僕は体罰で育ったという話 --- うさみ のりや

アゴラ

今日、高校時代とてもお世話になった先生にあった。

その先生は今のところ僕の人生の中でベスト3に入るくらいの恩師なのだけれど、まぁこの人に僕はよくビンタされた。少なく見積もっても50回くらいはビンタされたんじゃないかと思う。初めてビンタされた時は高校一年生の授業中居眠りしていた時だったのだけれど、変な言い方をするけれど叩かれながらその先生のビンタの上手さに「この人すごいな」と驚いた記憶がある。大きな音は出るけれど、実際のところ痛くはなく、鼓膜に衝撃を与えないように手をナイキのマークのように形作っていた。


妙に感心して後で「先生ビンタ上手いですね」と褒めたら気に入られてしまい、その後も良く一種のスケープゴートとして私はよく怒鳴られビンタされたわけなのだけれど、一度としてケガの危険性を感じたことは無かった。それになんというか「この人は自分と本気で向きあおうと思ってるからここまで踏み込むのだな」と思えた。ああいうのを体罰のプロと言うのだろう。高校1年の頃の私は偏差値40代で万引きやカツアゲで補導の経験もありお世辞にも良い生徒とは言えなかったのだけれど、どういうわけかその先生は私に大変期待をしてくださった。根腐れしかけていた高校時代の私を見込んでくれた唯一の先生なので、なんとか期待に応えようと性根を入れ替えて頑張っているうちに成績がうなぎ上りに上昇していった。

当時(1998年頃)ですら体罰というのは時代遅れと言われていたのだけれど、あのビンタ先生がいなければ自分が東大入ることも官僚になることも、そして今のような形で独立することも無かっただろうと思う。(それが良い人生なのかは別問題だが。)少し成果がでると調子乗るのが私の性分なのだけれど、その度にその先生は「調子に乗るな、低い目標で満足するな。勉学に励め。お前如き屁理屈をこねるくらいしかできない奴は、つべこべ言わず勉強くらいしろ。」と強烈なビンタを食らわせてくれまして、その度に我が身を省みることになり何だか知らないうちに東大に受かったというのが僕の大学受験というものだった。

その先生は今でもビンタを続けてて、多くの生徒から感謝されている。だから何だ、という話だし一般論として「体罰が良いことだ」などと言う気は微塵もないのだけれど(実際その先生以外の体罰には強烈に反発した)、精神がひねくれた都会の高校生には体罰くらいの衝撃が無いと自分を省みることない自分のような生徒も一定数いるというのも真理なんだと思う。世の中は単純に白黒がつくもんじゃないだろう。そんなことを思いながらネットサーフィンしてみたらアメリカのカンザス州議会で通称「お尻ぺんぺん法案」なる体罰を一定程度容認する法案が提出されたらしい。

個人的には悪いことじゃないと思う。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2014年3月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。