若者が本気で挑むべき日本の民主主義

高橋 亮平

 この国の方向性が本気で問われている。20代・30代の若者、すでに中堅であり社会の主体とも言える40代も含め、この国の未来を背負っていかなければならない世代は、そろそろ真剣に考えてもらいたい。これから述べる事は、べき論ではなく、若者は直ちにこの問題について、世代としての働きかけを始めようという呼びかけである。

 多くの人にとって当たり前の様に認識されている「選挙権は20歳から」という事について、実は、この国の法律の中に、18歳から国政選挙に参加する事ができる様にしなければならないと明記されている事をどれだけの人が知っているだろうか。
 厳密には、「国は、この法律が施行されるまでの間に、年齢満18年以上満20年未満の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、選挙権を有する者の年齢を定める公職選挙法、成年年齢を定める民法その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする。」と書かれており、2010年5月18日までに18歳・19歳が選挙権を行使できるよう公選法を改正しなければならなかった。つまり、現在は「違法状態」になっている。

 今月、自民、公明、民主の3党は、この「違法状態」になっている憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案を3月中に今国会に共同提出することで大筋合意したと報じられた。合意内容は、国民投票年齢について「改正法施行後4年を経過するまでの間、20歳以上」とする改正案と、その上で、与野党が合意文書を交わして、「選挙権年齢は改正法施行後2年以内に18歳に引き下げることをめざす」「これと同時に国民投票年齢も18歳に引き下げる措置を講じる」とすること。さらに各党のプロジェクトチームを設置し、2年以内に投票年齢と選挙権年齢を同時に引き下げる法整備を目指すことを明記することでも一致したと伝えられた。自民はさらに、改正案の附則に投票年齢と選挙権年齢の「均衡を勘案」して検討するとの文言を加えた妥協案を示し、みんなが受け入れたとも報じられている。
 国民投票法改正については、別途また整理してこの改正の論点だけを明らかにしていこうとも思うが、法律が18歳としているものをまた先延ばしにしようとしている政治家たちに、この国の目指すべきは「未来志向成長国」か「老人依存衰退国」かと、若者世代が一体となって求めていくべき事は、まずこの世代の選挙権の獲得であり、この1点に集中して実現してもらいたいと思う。


 世界に先んじて超高齢社会へと突入するこの国の世代間格差は、世界の中でも極めて大きい。こうした世代間格差の是正と、持続可能な社会システムへの転換を求めて、2008年に、小林庸平 NPO法人Rights副代表理事と共に呼びかけ、城繁幸 (株)Joh’s Labo代表取締役、小黒一正 法政大学准教授らと『ワカモノ・マニフェスト』を立ち上げた。
 当時誰もが発信しなかった「世代間格差」は、既に社会課題として幅広く認識されるようになり、我々が提示したシガラミに捕われない政策の数々は、与野党問わず、多くの政党のマニフェストに反映されてきた。しかし一方で、この国の政治や政策構造は、進みかけた改革さえ立ち止まり、逆戻りしようとさえしている。その象徴が一向に進まない「税と社会保障の一体改革」などだ。
 来月から消費税が8%に増税となる。この国の財政状況から考えれば、これでもなお止血剤にしかならない。しかし、多くの方々にこの問題を認識し、厳しくチェックしてもらいたいと思う事は、この増税分さえ、財政構造の健全化や、持続可能な社会システムへの転換に必ずしも全てが使われる訳ではなくなりつつあるということだ。2015年度予算は、過去最大の95兆8,823億円まで予算規模を膨らませた。指摘し続けた社会保障費は初めて30兆円台にまで脹らみ、消費増税して膨らんだ予算規模に乗じてか公共事業費と防衛費は2年連続で増加している。何より、こうした過去最大規模の予算が戦後3番目の早さで早々と予算決定されたという事には首を傾げる。
 政府は2020年度までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化にするという目標を掲げたままでいるが、実質不可能である事は明らかだ。プライマリーバランスの黒字化は、財政規律だけでは難しく、実際には、経済成長によるところが大きい。しかし、消費増税による影響を懸念したとはいえ、ここまで財政拡大しては、将来への負担押し付けにしかならないのではないか。
 世代間格差の問題を議論すると、財政規律と経済成長をトレードオフの様にいう人も多いが、どちらにするんだと言っているほどこの国は悠長な状況ではなく、また、本質的にもこの2つを両輪として実施していく必要がある。
 先述の『ワカモノ・マニフェスト』では、これまでもこうした財政状況を社会保障との一体改革による持続可能な社会システムへの転換と、生まれてくる世代によって一人当たり1億円にもなる世代間格差の是正について訴えてきた。その前提にあったのは、どうすれば、この国を財政破綻させない様にできるかだった。
 しかし、最近は、『ワカモノ・マニフェスト』のメンバーでの議論は、むしろ、ほぼ確実になってきた「日本の財政破綻」を前提にした、「破綻後の日本を救う方法」を考えようと、フェーズが変わってきた。

 ここまでこの国の政策が歪んでしまった背景には、「シルバーデモクラシー」と言われる高齢者の声が過度に反映される構造がある。単に「高齢者が悪い」という事を言っている訳ではなく、「高齢者VS若者」という対立構造を煽ろうというものでもない。しかし、政治判断を常に、表面的な声だけを捉えて舵を取れば、どうしたって常に現状への場当たり的な対応になりかねない。その結果が、今の状況だ。国民に声を聞けば、えてしてリラルタイムの1人称で語られる事が多い。マスコミのフィルターによって、さらに切り取られた一部分が誇張される事で、目指すべき方向とはさらに歪んでいく事になる。こうしたマスコミに報道される世論を「民度が低い」などという人もいるが、実際に自治体現場などで市民を巻き込みながらの政策形成の実践を行い、参加をはじめた市民の方々の考えや発言を聞いていると、マスコミなどで発信されている市民ニーズとは異なる事も多い。政治報道には、世論が使われる機会も多いが、一般化されていく中で、実際には「そんな国民は1人もいないのではないか」と思わされる事が「世論」と取り上げられる事もある。どう本質的な世論や、潜在的なニーズを捉えて行くかという事も考えていかなければならない。

 「財政破綻を前提とした対応」を考え始めなければならない様な現実の中で、もはや遊ばせておく国民はない。全ての人材をできる限り活かし、オールジャパンでこの難局を乗り切る必要があるのではないかと思うのだ。少なくとも「お上に任せておけば」という官僚依存、「政治不信」をいう言葉を盾に政治にすら目を向けない現実は、何としても変えていかなければならない。
 社会保障人口問題研究所による人口推計(出生中位死亡中位)では、 この国の生産年齢人口は、2014年時点で77,803千人(61.3%)になっているものが、2060年には44,183千人(50.9%)へ、老年人口は、2014年時点で33,080千人(26.1%)が、2060年には34,642千人(39.9%)となるとされている。
 安倍政権は、成長戦略の一環として、女性の活用を掲げた。こうした人口構成の問題を鑑み、減少する生産年齢人口への対応の中で、女性についても経済成長への人材として活用しようという事だろう。しかし、ここであらためて確認したいのは、労働人材と位置づけられている「生産年齢人口」は「15歳~64歳」となっているという事だ。もちろん女性の社会進出を否定するものではないが、ダイバーシティを目指す中では、経済成長のための人材としての若者の活用については、より真剣に考えていく必要があるのではないだろうか。
 
 「若者政策」というと、これまでは「青少年の健全育成」といった事をイメージしがちだった様に思う。こうした状況は、欧米においても一昔前までは同様だった。それが1970年代から若者の失業率の上昇や、ストリートチルドレン等の問題が社会問題化する中で、労働雇用政策や住宅政策など直接若者に関わる政策へとシフトしていった。欧米においては、こうした政策転換から、さらに当事者の問題については、当事者の声を聞いて行っていこうと、同時に若者参画の整備が進んできた。

 少子高齢化による人口問題を背景に持ちながら、同時に持続可能な社会システムへの転換を図るためには、これまで当たり前だった社会システムを大きく転換していかなければならない。成長戦略の中でも、若い世代が新たな産業の創出や生産性を向上させていく必要があり、若者が様々な分野でチャレンジできる様にもしなければならない。当事者が今、何を求めているのか、場合によっては規制の緩和なども含め、どういった環境整備が必要なのかを共有し、問題解決をしていく必要もあるだろう。
 その為に必要なのが、若者を将来への最も重要な社会資本と捉え、彼らを社会システムを転換していくための当事者として巻き込んでいく事である。この国を「未来志向成長国」へと舵を切っていくためにも、まず、未来に対しより責任を持たなければならない世代へと選挙権の年齢引き下げを実現すべきではないだろうか。