習近平国家主席の愛する「数字」 --- 長谷川 良

アゴラ

ドイツを公式訪問中の中国の習近平国家主席は3月28日、ベルリン市内で講演し、その中で日中戦争に言及、「日本の軍国主義によって3500万人の中国人の死傷者が出た。旧日本軍占領下の南京市では30万人以上の兵士や民間人が殺害された」と指摘し、日本を厳しく批判した。

国家主席の立場にありながら、歴史学者の間で見解が分かれている「南京市30万人虐殺」説を公式の場であたかも真実のように語ったことに驚くというより、これが中国共産党政権のプロパガンダだ、と改めて感じた。


中国側は日本を批判することが重要であり、犠牲者数が史実かどうかはどうでもいい。犠牲者数は多いほどそのプロパガンダ効果は出てくる。南京市の当時の人口と30万人犠牲者数をじっくり並べてみて、30万人説が現実的な数字か少なくとも検証すべきだろう。

ここでは歴史に登場する「数字」について少し考えてみたい。冷戦時代、共産圏を取材していた当方は何度かデモ集会を取材したことがある。このコラム欄でも一度書いたが、再度紹介する。

ハンガリーでルーマニアのチャウシェスク政権のマジャール人政策に抗議するデモ集会がブタペスト市内の英雄広場で行われた。デモ隊は市内のルーマニア大使館まで行進を続けた。

同じ共産政権国であったハンガリーとルーマニア両国は当時、ルーマニア国内の最大少数民族マジャール人(ハンガリー人)の取り扱い問題で対立していた。ハンガリーでは反ルーマニア感情が強かった。

ところで、デモ参加者がルーマニア大使館に向けて移動中、当方の前に大手通信社の2人の記者がいた。彼らの会話が耳に入ってきた。

「君、今回のデモ参加数をどのぐらいと書くつもりだ?」
「僕は5万人集会というタイトルを考えている」
「そうか、3万人集会にしようと思っていたが。それでは5万人集会といくか」

どちらの通信社記者が「5万人集会」と言い出したかは覚えていないが、両通信社記者のデモ集会のブタペスト発記事では「5万人集会」という見出しが付いていたことはいうまでもない。

当方は「多く見ても1万人だろう」と推定し、ブタペスト発の記事では「1万人集会」の見出しを付け、送信したことを思い出す。東京のデスクは通信社からの「5万人集会」記事と「1万人集会」の自社記事を前に、「これは同じ集会か」と戸惑ったはずだ。

東欧共産政権時代、反政府デモ集会は無視されるか、意図的に過小評価されて発表される傾向があった。西側の取材記者は独自で判断しなければならない。もちろん、カウンター器など持参していないから、あくまで目算だ。

世界の通信社が発信した「5万人集会」は歴史的事実として定着していった。誰かが後日、疑問を感じてその真偽を検証しようとしたとしても、もはや難しい。

戦争時の犠牲者数、デモ集会の参加数などはそれを発信する通信社記者の意向が強く反映される。記者は自分の記事が大きく報道されることを願うからデモ集会の参加数では当然過大評価してしまう。少なくとも、冷戦時代の共産圏でのデモ集会の場合、そうだった。現代でも「主催者側発表」と「警察側発表」がある。両者に大きな相違が出てくることがあるという。

ブタペストのデモ参加者数問題と南京市の犠牲者数を同じテーブルに置き議論することは適当でないかもしれないが、歴史に登場する「数字」が実証的な裏付けが乏しく‘人間的な思惑‘で操作されていることが少なくないのだ。そして、その「数字」が定着すると、その修正も検証も難しくなるのだ。

南京虐殺事件の「30万人」は習近平国家主席の愛する「数字」であることは間違いないだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。