自由について海猫沢めろん先生と考えたこと:第1回 自由と不自由

2014年04月14日 08:17



同世代の作家、海猫沢めろん氏(通称:めろん先生)と対談した。テーマは彼の新作と絡めて「自由」について。全文書き起こしを行ったので、3回にわけてお届けする。第1回のテーマは「自由と不自由」だ。


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1.底辺高校の悪夢の「不自由」と進学校の見せかけの「自由」
海猫沢めろん(以下、海猫沢):この本どうでしたか?常見さん、頑張って生きているじゃないですか(笑)。

常見(以下、常見):まずそこから話そうか。めろん先生って僕のことどう思っているの?って、変な質問だな(笑)。同学年という親和性はあるとは思うのですけど。

海猫沢:常見さんのルートは僕には歩めないですよ。「進学校出身」じゃないですか。それでもう、既に違うでしょ。

常見:めろん先生の出身高校ってぶっちゃけひどい高校ですよね。全寮制で、誰でも入れて、いわゆる「DQN」が集まっていた。『魁!男塾』みたいな、軍隊式っていう。よく聞くのは、入学式で親を恫喝している学生がいたり、朝四時にみんな起こされて、掃除が始まったり、トイレを手で磨かせられたりとかというひどいエピソード(笑)。

海猫沢:ありましたね(笑)。本当にすごく不自由な高校で。もう高校出てから10年くらいは悪夢をみたら、大体は高校の話。フラッシュバックで出てきて、起きたら「あーよかった。おれ卒業してた」って感じです。

常見:僕がなぜ「進学校」に行ったかっていうと、「自由な高校だから」という理由でした。道内でも偏差値がトップクラスの高校で、私服通学OK。一年生からパーマの人いたし、髪を染めている人、化粧している女子も結構いた。「リア充」の象徴は、彼女がいるとかじゃなくて、学校帰りに都心のラブホでセックスをしているかどうかでした(笑)。修学旅行でする奴、風俗に行く奴もいました(笑)。

海猫沢:なんという高校・・・。

常見:そんな一見「自由な高校」にも関わらず、二週間で「自由」に挫折しました。当時は革ジャンにメタルTシャツにブーツという、今と変わらない服で高校に通っていたのだけど、「服装の自由なんてものは、果たして自由なのか」と考えるようになったんです。しかも高校の中にはもっともっと自由人がいました。「勉強しなくも東大に行く天才」とか「遊びまわっていても、親が浪人を認めていて、東京の私大に行かせてもらえる奴」とか「明らかに着ているものが高い奴」とかがいて、「自由って結局、生まれた時に決まってないか」と。当時の僕は、授業中に読書するか寝るか、放課後にレンタル店でロックのアルバムを借りることに楽しみと自由を見出していました。

海猫沢:常見さんがそのとき感じていた不自由ってなんだったんですか。

常見:「ぼんやりとした不安」と「視界が広がらないこと」ですね。「制服じゃないっていうことに騙されてないか俺!」という感じで。尾崎豊の「15の夜」風に言うと、「自由になれた気がした」だったいう感覚はありましたね。

2.「選択肢が見えない」という不自由
海猫沢:先日、トークショーの最後に会場の女性からの質問で「自由ってなんですか?」っていうのがきたんですよ。「どういうことですか」って聞いたら「自由っていうのがわからないんですよ」「なんで自由じゃないといけないんですか」って返ってきたんです。僕の考えている自由っていうのは、「選択肢がたくさんあって、自分が何かやりたいってときにすぐできる」ってことなんです。「やってもやらなくてもいい」っていう状態。その質問した人は、そもそも選択肢すらないときにどうすればいいのか?って聞きたかったんだと思います。俺の高校時代もそういう状態でした。高校のときってそもそも「分岐」がないんです。何も分からない。大人になるとあれやりたい、これやりたくないというのはある。でもやったことないと、そもそも良いか悪いかも分からない。選択肢自体がみえない状態って、実は一番不自由なんです。

常見:「選択肢があるのか問題」と「見えるかどうか問題」のふたつありますよね。あるのに見えない。僕は振り返ってみると、「選択肢が多い世界」を選んできました。豪快に生きているようで、決めるのが嫌なんです。選択肢を残して自由を担保していましたね。最近は、もろもろ決断してますが。

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3.体の自由/心の自由
常見:「自由とは何か」を考えるときに、逆に「不自由とは何か」を考える必要もあると思います。ブラック企業では、自由な行動が認められてない文字通り「不自由」がありますよね。

海猫沢:この本で書いているのが、「身体的な自由/不自由」というのと「内面的な自由/不自由」というのがあって、その規則で決められているっていうのは「身体的な不自由」ですよね。僕の高校もそうでした。でも「身体的な不自由」が完全に「心理的な不自由」につながっていましたけどね。

常見:原体験なのですが僕が生まれる前から父は脳腫瘍で、半身不随で最後は寝たきり。小5の時に亡くなったのですが。体が動かないって、自由がないわけですよ。でも親父が不自由だったかどうか分からない。

海猫沢:『ショーシャンクの空に』じゃないけど、刑務所の中にいても心は自由だって人もいるよね。あと「体は不自由だけど心は自由」みたいなことを乙武さんだったら言うと思います。それは「どこまで自分を受け入れるか」ってことです人間って、「先天的にどうにもならない問題」は受け入れるしかないけど、「どうにかなるかも知れないって問題」にはとらわれてしまう。

4.労働と自由―「報酬系」を刺激するものとしての労働
海猫沢:この本で書いているのは、「がんばって生きるのが嫌な人は頑張らなくていい」ってことなんですけど、僕の考える究極の頑張らないレベルって、本気で何もしないことなんです。それはもはや仙人レベルですよ。道端のルンペンでさえ缶集めて頑張っているこの時代、それより頑張らないってどういうことなんだよ!って話ですが。そのくらい頑張らない人になるのは大変だから、ちょっと仕事もしたほうがいいんじゃない? っていう提案です。

常見:この本はいかにも自由を奪うように見える労働を肯定しています。労働している間は嫌なこと忘れられます。仕事がないと、生活自体も不自由になるから。働くから自由になれると思います。

海猫沢:昔はみんなテクノロジーが発達したら、労働はなくなると思っていた。労働は何かを行動をして賃金をもらうってイメージじゃないですか。けど、もし経済圏がなくても、ありがとうってフィードバックは嬉しいものだと思うんです。ものすごくメカニカルに言えば、人間が生きていく上で、何かアクションがあって、脳の「報酬系」が刺激されるっていうフィードバックが必要だと思うんです。現状では「労働」というものが、一番バランスがいい。キモチチイイだけなら実はたくさんあって、パチンコもそうです。でもパチンコはお金がほとんどの場合出ていってしますから(笑)。それと比べて、着実にプラスがたまっていくものが労働だと思うんです。自分が行動して、着実にプラスが帰ってくる。このサイクルで、労働にかわるものがないのは問題ですね。

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次回は「自殺する自由」

お楽しみに。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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