マフィアの用心棒

2014年05月02日 17:22

マフィアの構成員ヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ元首相の厩舎番として雇われていたのは1973年から1975年の間である。彼は元首相の子供たちが誘拐されないよう警戒する役割を担っていた。

マンガノはベルルスコーニ邸を去って25年後の2000年7月、殺人罪で終身刑を受けて収監され、わずか数日後に獄死した。死因は癌だとされる。死亡から時間が経った今でも、彼はベルルスコーニ邸で仕事をしながら、デルトゥリ元上院議員と共にマフィアとベルルスコーニ氏の仲を取り持ったのではないか、という強い疑いをかけられている。

デルトゥリ元議員もベルルスコーニ元首相もそれを否定し、それどころか元首相は、マンガノを雇ったとき彼がマフィアの構成員であるということさえ知らなかった、と証言している。その真偽はさておいて、僕は元首相がマンガノを用心棒として雇ったのは許せる出来事であったように思う。

ベルルスコーニ氏が政界に進出した頃は、僕も彼の支持者とは言わないまでも、元首相に好感を抱いている人間の一人だった。しかし時間経過と共に、公私混同の著しい政策やでたらめな言動に嫌悪感を覚えて、僕は長い間彼の批判者であり続けている。しかし、マンガノ周辺にまつわる事案に関しては、あまり元首相を批判する気にはなれない。

1960年代後半からイタリアには誘拐事件が相次いで発生していた。政治がらみのも のもあったが、身代金目当ての誘拐事件も頻発していた。裕福な家の子供が誘拐されて、本人であることの証明として耳を切り落とされ、身代金要求と共にそれが家族に送りつけられる、というような残酷なケースも目だった。

実業家として大成して大きな富を得、それをさらに拡大しようとしていた時期のベルルスコーニ氏が、そんな物騒な世情を目の当たりにして、 2人の子供の安全を気遣ったのはごく自然なことである。彼は部下のデルトゥリ氏の紹介で強(こわ)持ての男、マンガノを子供の周囲の監視役として雇った。

恐らく彼はその時、マンガノがいかなる経歴の男であるかは知らされていたのではないか。マフィアの一員を雇ったこと。部下の中にマフィアとつながる者がいること。そしてマフィアの存在そのものetc、etc・・それらは悪であり、不快なことであり、排斥されるべき事柄であることは論を待つまでもない。長きにわたってイタリア随一の政治家であり続け、首相経験もあるベルルスコーニ氏の場合には特に。

ところが、マンガノを用心棒として雇った1973年のベルルスコーニ氏は、若くして富を得た有能な実業家の一人に過ぎなかった。彼が政界に進出するのはそこから20年以上も先、1994年のことである。子供の安全の為にマフィアの構成員を用心棒として雇った男が、一人の大金持ちなら良くて、政治家なら悪い、というのは筋の通らない話だが、僕はこの件では敢えて筋を曲げて元首相を弁護したい気持ちになるのだ。

なぜなら一連の出来事はここイタリアでの話である。誘拐事件を起こすような連中は、マフィアと直接あるいは間接に関わりがある場合も多いと考えられる。マフィアの真正の構成員であるヴィットリオ・マンガノが、子供の守護役としてベルルスコーニ氏に雇われた事実は、闇のサークルで素早く広く噂として拡散して、誘拐の抑止力になり易かったであろうことは想像に難くない。

元首相と、マフィアに近いとされる彼の右腕のデルトゥリ元上院議員は、そのことを確認し合った上で、例えば民間の警備会社員や元警察官や元軍人などの「普通の用心棒」ではなく、闇社会に顔の聞く「異様な用心棒」ヴィットリオ・マンガノを敢えて採用したのではないか。

もしそうであるならそのエピソードは、ベルルスコーニ氏が政界進出をしていなかった場合は、きっと誰にも気に留められずに時間の流れに埋もれて消え去っていたに違いない。

そんなエピソードはイタリアにはきっと多い、と僕が感じるこの「感じ」はしかし、この国に住んでみないと恐らく分かってもらえないことなのだろう・・

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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