連載 GPIF改革の論点 (9) どのような資産に投資すべきか

小幡 績

現在のGPIF改革の論点は、ガバナンス改革とアセットアロケーション(ポートフォリオ(保有資産構成))の変更に集約されている。前者は原理原則及び仕組みの問題であり、後者は現実的な戦略の問題である。

ガバナンス改革は、GPIFという組織のあり方に関する法律を変更することになる可能性があり、その議論はこれからで、実際には、まだ余りなされていない。現在、政府によってなされたのは、運用委員会という取締役会と審議会の中間的な組織のメンバーである運用委員の人事で、ほぼ全員を入れ替えたことだ。人選の基準は、改革に積極的な人、株式投資に積極的な人を入れたと言われている。

つまり、今のところ、ガバナンス改革は、アセットアロケーションを変更するための一つの手段であり、改革の目的は日本株をGPIFがより積極的に買うようにすること、というある種うがった見方をするのが自然な解釈となる状況となっている。

この解釈の妥当性については議論しない。ここでは、実際のアセットアロケーションは具体的にどのような資産にどの程度配分するのが望ましいかについて、実質的で、実際的な議論だけをしよう。アセットアロケーションを決めるプロセスや権限、主体については、ガバナンスの話になるので、後日議論することとしたい。

しかし、一点だけ、方法論について触れておく必要がある。


アセットアロケーションを決めるには、資産全体でのリスク許容度、リターンの目標水準を最初に決めておく必要がある。この2つの軸を決めずには、どのような資産にどの程度配分するかは全く決まらない。したがって、ガバナンスの形も決めずに、リスク資産への投資を増やすような改革をするというのは、本末転倒である。さらには、大前提である出資者である国民の意向、もっと具体的に言えば、国民が自己認識しているリスク許容度、そして、政府が家父長的に行動するとすれば、本来、国民が持つことが妥当な公的年金資産としてのリスク許容度、これを議論せずには、何も始まらない。アセットアロケーションどころか、ガバナンスの形も、そもそもGPIFという組織を使うことの妥当性、意義も決まらない。

現在は、GPIFは、安全かつ効率的な運用という言葉がリスク・リターンに対する姿勢を規定している。安全というのは、なるべくリスクをとらないということであり、効率的というのは、運用コストをできる限り下げると同時に、リスクを上げずにリターンを最大限獲得するということであると考えられる。もう少し具体的には、中期計画と呼ばれる5年間のタームの大枠のアセットアロケーションを決定するときに、国内債券並みのリスクを維持したまま、運用対象資産を分散させることで、リターンを最大化する(効率化する)という考え方が採られている。国内債券並みとは、日本長期国債のことと考えるか、もしくは、NOMURABPIという国内債券のベンチマークに応じたポートフォリオ(発行体および満期までの残存期間などの組み合わせ)のリスクと考えるのが一つの解釈だ。

その結果が、現在のアセットアロケーションであり、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%、短期資産5%となっている。

このポートフォリオを変える必要がある理由としては、①国民のリスク許容度が変わった、あるいはそれに対する考え方が変わった、②資産市場の側が変化し、新たな資産に投資が可能になったり、既存の資産でも資産のリスクリターン特性が変化したりした、という二つの側面が考えられる。前者はディマンドサイドの変化、後者はサプライサイドの変化と言えるだろう。

後者の変化については、これはGPIFの執行部、あるいは運用委員会で適宜議論するべきであり、実際、現在のポートフォリオへ変更となったのは昨年のことであり、前者についての変化があったわけではなさそうであるから、後者の変化を反映したものと考えていいだろう。ただし、当然、前者の議論が最も重要なことであり、今回、アセットアロケーションを変更する議論に置いて、最も重要なことのはずである。それが、全く行なわれないまま、アセットアロケーションの議論がなされるのは、致命的な欠陥である。しかも、議論の方向性が、リスク資産への投資を増やす、とりわけ日本株への投資を増やすという結論へ向かっている。これは危機である。

理念的にも危機なら、現実的にも誤りだ。二重の誤りを犯している。第一の理論的な誤りは、アセットアロケーションは、まさに運用委員会およびGPIFの執行部で専門的に議論するべきであり、政治家や外部のエコノミストやいわゆる有識者がするべきではない。これは致命的な誤りで、どのような立場から見ても誤りであるから、このような振る舞いをすることで、彼らの目的はGPIFに株式を買わせようとすることだ、という通常なら穿った、週刊誌的な批判が説得力を持ち、自然な解釈となってしまう。

第二の現実的な誤りは、仮にリスク資産への投資を増やすとしても、それは決して日本株ではないということだ。理由は、①国内株式と外国株式の配分が同一で、株式への配分の程度に寄らず、明らかな日本株への過大投資となっている、②国内株式とは上場株式であるが、上場株式へ投資することは、流動性が得られる分リターンを犠牲にしていることになり、エクイティ性の資産の中では、上場株式への投資は相対的に劣っており、まだ投資していないより望ましい資産が多数ある、ということなどがある。

後者の話は、上場株式の市場全体に近いTOPIXをベンチマークとして用いているが、これも、透明性、説明責任を確保するために、リターンを犠牲にした投資手法であると考えられ、もっと多様化すべきであり、その観点からも日本の上場株式への投資割合が現在よりも高まるということは望ましくないという議論もあり、さまざまな議論ができ、そのほぼすべての論点で、上場日本株式への投資を拡大することには否定的な結論となる。

ただ、誰の眼にも明らかなのは、①の理由で、ホームバイアスに囚われている誤りは致命的だ。分散投資の観点から、投資対象資産は分散するべきであり、日本経済も日本の株式市場も世界に占める割合は10%を大きく割り込んでいるから、グローバルエクイティというカテゴリーを作れば、その10%程度が日本株となるはずで、今の配分で行けば、国内外の株式へは24%となっているから、2.5%程度が妥当であろう。もちろん、国内に情報を持ち、情報優位性から、海外投資家よりも日本株への投資に優位性があるという議論はありうるが、そうであれば、TOPIXに連動して投資する、いわゆるパッシブの運用ではなく、アクティブ、それもTOPIXをベンチマークとせず、独自の調査で集中投資をするようなファンドや運用機関にGPIFが委託するような(将来的にはインハウス(自家運用)という考え方もありうる)形になるべきで、ただ、その割合はそれほど高いものにはならないはずだ。

したがって、現在、GPIF改革の全体像が見えない中で、せいぜい第一歩を踏み出した中で、日本株を買い増すという話が出ること自体、GPIF改革の現在の議論が、不健全であることを示している。

さて、そうであれば、どのような資産へ投資するのが望ましいのか。

つづく