創薬研究アウトソーシングと高学歴ワーキングプア(下) --- 城戸 佳織

2014年05月07日 06:00

(上)より続く。

<その6> 日本の博士号取得者の置かれている状況

日本の製薬企業の研究においては、学位による研究者間の序列は、逆に明確ではない。たとえ博士号を持って入社したとしても、最初の数年は上司について丁稚奉公だし、修士や学士号しか持っていなくても(最近は減ったが)昇給が多少遅いだけで同じだ。中国では、修士号取得者の初任給と、博士号取得者の初任給では、倍近い開きがあるが、日本では博士号を取った研究者に、給与において今ひとつメリットがない。ドイツのように、最初からプロジェクトを丸ごと任されることもないし、逆に責任を負わされることもない。


会社によっては、ある程度、研究者の意思でテーマを選び、実験できる企業もあるようだ。だが、博士号を持っているから、修士号しかないからと、テーマや実験のレベルに制限はつかない。日本では、研究者は学位に関わらず、皆平等に扱われる。日本の研究者は、最初は皆実験の日々だから、欧米人に比べ実験が上手だ。実験科学では、理論だけでなく、実験から学ぶことも多いので、全体として優秀な研究者が多くなるのだろう。研究者が、実験だけで評価されるとすれば、日本人研究者ほど優秀な研究者はいないと確信する。

日本の会社で働くメリットは、学歴に関係なく幹部候補生になれる点だが、本人の意思とは関係ない。最近では管理職にならず、専門職として定年を迎えられる制度も整備されてきている。が、それは管理職のポジションにあぶれたおじ様たちのもので、最初から別採用は一般的ではない。だから、男でも女でも、正社員なら定時で子供を保育園にお迎えに行くなど難しい。そうしたい人は、会社を辞めるしかない。

つまり日本は、研究において、入社する前に、ドイツの博士のように自分でなんでもできことは期待していない制度を持っていたし、今でもそうなのだ。だからこそ修士課程で卒業しても博士課程を卒業しても、大して給料の差がなく、一定期間のOJTを経て一人前になることを求められる。

現在の仕事で、会社のスタッフを連れ、日本の製薬企業の研究所を訪問し、面談することもある。中国系アメリカ人のスタッフに、「彼は博士号を持っていないのに、プロジェクトのことがよくわかっているね」と、博士号を持たない製薬企業の研究者について、感心されたりする。私からすれば、日本では、別に博士号を持っていてもいなくても、研究内容は同じなので当然なのだが、欧米+中国の研究者から見ると、普通ではないらしい。つまり欧米では博士号取得者と、それ以外で明確な区分けがあり、仕事の内容も違うし、働き方も全く違う。

<その7> 医薬研究分野における雇用のミスマッチ

日本の派遣研究者は、海外における博士号取得者以外の研究者立場に似ている。

ドイツでは、実験助手の事故責任はケミストが負うと紹介したが、日本ではどうか。正社員ならば、実験中何か事故があった場合、それが研究者の自由意志の実験であろうとなかろうと、例えば、あえてサリンを合成するような自殺行為的な実験内容でない限り、企業が補償するだろう。

アウトソーシング(請負)の場合は、法律上、請負会社で補償することになる。だが、派遣の場合、責任の所在が今ひとつ明確ではないのではないか。補償が適用されるためには、「全ての仕事を派遣先の指揮監督下で行う」必要があり、そうするためには、派遣研究者は創造性など発揮できないし、言われたことを行うだけのロボットにならざるを得ない。

これではそもそも「研究者の派遣ではないし、立場的には、家庭の事情でブランクのある元女性研究者のパートと同じ扱いだ。それに限定された仕事を続ける限り、研究者としてのスキルは身につかないし、企業も、たとえ派遣の期限が撤廃されても、何年かの勤務を経て、研究者として正社員で迎えることはあり得ないと考える。

大学院重点化の折、日本の競争力を上げようと、博士号取得者を増やそうとしたが、それは正しかったのか。元々日本の研究環境に、少なくとも企業においては、彼らを受け入れる受け皿はあまりなかったのだ。それよりも、研究レベルを上げるのであれば、博士号取得の基準をもっと厳格にし、なかなか取得できないシステムに変えてもよかったのではないのか。果たして定員を増やすこと=レベルを上げることだったのか?

現在は博士課程の定員の充足率により、国から大学に出る補助金の金額が増減するシステムになっている。だがこれを例えば、博士号を取得する学生の、論文のインパクトファクターの平均点が高い順に、定額の補助金を出すシステムに変更したらどうだろうか。そうすれば、大学は自然と少数精鋭を狙うよう、システムを変更するだろう。地方の大学や私大でも、学費の免除や、奨学金を優秀な学生に給付をすることで、一発逆転を狙うことができるかもしれない。良い学生が集まらない大学や学部は、廃業でよいのではないか。

就職氷河期時代、大学院生だった研究者達は一体どうしただろう? 当時、タイミングよく起こった大学院重点化で異常に拡大された定員を埋めるべく、無意味に進学を勧められ、博士号は取ったものの、路頭に迷った人も多かったはずだ。当時はまだ、課程博士以外にも、論文博士という「奥の手」があり、優秀な学生は修士号を取ってすぐに企業に入社し、数年勤めてから、働きながら論文博士を取る手法が一般的だった。逆に博士号を取ると、アカデミア以外の就職先はあまりないと言われたものだ。

当時博士号をとって就職できなかった研究者達は、その後ポスドクと呼ばれる、期限付きプロジェクトこなしつつ、大学のポジションを見つけるか、企業の研究ポジションを見つけるタイミングを計っていた。が、結局ポスドクを、実質的な年齢制限の35歳まで続けた結果行き場所がなくなり、最後は派遣で働いているという人も少なからずいる。しかし、前述したように、派遣から正社員への登用は、製薬企業側の立場で考えるとまずない。

何しろ、日本の製薬企業も、ここ10年ほどは合併を繰り返し、欧米ほどではないものの、研究者の人数は確実に減っている。合併を経験した某製薬企業の五十代の研究者の話によると、彼が新卒のころ、毎年100人ほど採用されていた新卒研究者の数が、同規模の会社と合併したのにもかかわらず、気がつくと50人も研究所の新卒の採用がないという。

つまり、正社員での研究員としての採用は、実質当時の4分の1以下なのだ。その分、派遣の研究者で足りない分を埋めているか、アウトソーシングしている。実際、バブルの後採用を控え続けた影響で、研究員の世代間のギャップが大きく、非正規雇用研究員なしでは研究は成り立たない状態にある。また武田薬品のように、新卒で研究者を採用しないと決めたところもある。

世界的に見れば、武田薬品は特別な会社ではなく、新卒採用をする欧米の製薬企業は多くはない。医薬に限らないのかもしれないが、先進国では、高度に専門化された仕事と、ごくごく単純な労働と二極化が著しい。高度な専門職になるには、どこかで経験を積まなくてはいけないが、経験を積む場所が若者にはなくなって来ている。そして気がつけば、日本で医薬関連の研究職というと、企業や国の研究機関の一部の正社員を除き、大学や国の名だたる研究機関を含めて、新規採用はプロジェクトベースの短期雇用ばかりになっている。

<その8> 研究者を養成するための大学教育の今後

大学院重点化により、日本の大学院の定員は、少子化にも関わらず飛躍的に伸びた。学部を新設する大学も多かった。だが企業の受け皿は確実に減った。新設された大学のポストは、定年後のお小遣い稼ぎをしたい段階の世代、あるいは天下り先を確保したい官僚にうまく利用されただけで、若者にはメリットにならなかったように思う。

そして増えすぎた大学院は、つぶすこともままならず、今や多くの大学が、留学生で無理やり定員を埋めている。もう少し時間がたてば、過去に歯学部で起こったように、私学の定員は維持される一方で、授業料の安い地方国立大学の定員はカットされる事態になるかもしれない。税金の投入比率の高い学部は積極的に私学へ移行し、金持ちの子弟だけが通えばよいというわけだ。

日本の高学歴ワープアと呼ばれる研究者には、学部から大学院まで、学生支援機構の奨学金を借りていた人も多く、総額が1000万円近い人もいる。それに加え、非正規労働の繰り返しで、研究者の最も重要な経験やスキルが身につかず、年金も健康保険も未払い、果ては精神疾患を患って引きこもっている人もいる。今のところ親と同居して何とか屋根のある暮らしをしている人も、親が高齢化し、路上生活になる人が確実にでてくるだろう。

博士の需要が最も多いと考えられている医薬系でこの状態なのだから、文系博士に至っては、惨憺たるありさまなのは容易に想像がつくのではないか。

医薬業界は今、従来型の研究開発の手法の行き詰まりという、閉塞感に覆われている。業界は新しい何か、それが再生医療なのか、あるいはまた別のものなのかはわからないが、とにかく既存の技術を大きく変化させる何かを待ち望んでいるように思う。そしてそれは、旧来の研究手法を踏襲した研究者が生み出すことは、逆に難しいように思える。

だからこそ医薬業界は、若く優秀な人材を求めている。しかし現状は、優秀な人材ほど日本の研究環境に失望し、そっぽを向いているように思う。今や創薬研究は、高度に分業化されたルーチンワークの集合体になり、全体を掌握できる研究者はわずかしかいない。研究者の高齢化も進んでいる。将来は益々不透明だ。

一方の教育現場では、増えすぎた博士課程の定員を埋めるべく、今や社会人にも課程博士取得の門戸を広げている。だから、働きながら博士号を取ることは以前より容易になった。しかも社会人入学は、試験も論文審査もゆるいのだ。

このような状況で、学部から博士課程に進学したいという人は、よほど経済的余裕のある家庭出身か、よほどモラトリアムを延長したい、働きたくない学生のどちらかではないだろうか。本当に頭のよい学生なら、博士課程に進学するリスクを客観的に評価できるし、とりあえず安定した就職先を確保するのではないか。現に、学部から博士課程に進学する学生はここ数年減少しているという。同時に博士課程修了者の全体的なレベルの低下も、大学院改革後は著しいという。それが日本の研究者のレベルを引き上げるという命題のもとに行われた教育改革の結果なら、こんな皮肉なことはない。

だから教育現場としての大学と、産業界がもっと歩み寄り、ニーズに合わせた教育を提供すべきではないだろうか。なによりもまず、文部省と厚生労働省が管轄の垣根を越えて真剣に話し合うべきだろう。アカデミアや産業界は、短期的な評価にとらわれず、長期的な視野に立って人材を育成することが、結局は遠回りのようで、産業の発展に貢献する近道になるように思う。

ちなみに中国では10年ほど前から、政府が海外企業の創薬研究を受託する企業を積極的に後押した。それらの企業で働く若者たちは、製薬企業の下請けプロジェクトをこなしながら、創薬研究のノウハウを学んだ。また、多くの若者が相変わらず海を渡り、その一部は母国に戻って研究活動に従事している。そして今中国では、どこかの企業の研究を請け負うのではなく、自らのアイディアで医薬品を作り出そうとする企業が、次々生まれようとしている段階だ。

日本はこれから益々高齢化し、労働人口が減少する。資源の少ない日本で、人材こそが貴重な資源であることを再認識し、それぞれが持てる力を発揮できるよう、個人の能力を無駄にしないよう、早急に環境や制度を整えるべきではないだろうか。

城戸 佳織
Shanghai ChemPartner Co., Ltd.

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