対話で高まる原発の安全--米NRCに学ぶ「効果的」原子力規制

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写真・米NRCのホームページと5人の委員

石井孝明 ジャーナリス

1・はじめに

日本の原子力規制委員会、その運営を担う原子力規制庁の評判は、原子力関係者の間でよくない。国際的にも、評価はそうであるという。規制の目的は原発の安全な運用である。ところが、一連の行動で安全性が高まったかは分からない。稼動の遅れと混乱が続いている。(記事「原発は、今の規制で安全になるのか」【言論アリーナ・本記】参照)

どのようにすればよいのか。2012年に日本の原子力規制委員会をつくる時に参考になり、世界でもその規制能力を高く評価されている、米国のNRC(Nuclear Regulatory Commission)の姿を紹介したい


この原稿を作成に当たって、現地の事情に詳しい、何人かの原子力工学者に話を聞いた。今回匿名とするが、感謝を申し上げたい。

2・規制当局と規制対象の意識の日米差

米国の国家機関は、かつての日本の中央官庁にあったような、官尊民卑の雰囲気を、どこもほとんどないという。NRCも同じだ。国家機関が社会の中の一つの歯車、国民に奉仕する機関に過ぎないことを米国民も公務員も、よく認識しているそうだ。

NRCは権威を笠に着て、高圧的な規制の行政手法は取らない。原子力産業界と対等の関係で議論を戦わせ、その結果に基づき責任を持って自ら判断し、行政を進めている。

例えば、1990年の初めにこんな事があった。原子炉圧力容器上蓋の貫通部に「応力腐食割れ」という破損がいくつかの原発で生じた。NRCは法整備なしで、検査を行おうとした。ポイントビーチ発電所(ウィスコンシン州)は検査を拒否し、NRCに評価手法の制定を急がせた。規制を受ける民間がルールを当局につくらせようとする。

原子力の業界団体(INPO)には、専門家が集まる組織があり、そこが行政側に提言する。NRC側も外部専門家、また内部の規制担当者が集まり、規制の妥当性、法律や規則の妥当性を検証する「専門家委員会」がある。その委員会が大半の事務案件を処理し、それで決められない問題を5人の規制委員による合議に委ねる。

規制当局と事業者が激しく対立し、結論がなかなか得られない場合もある。法令や規制基準に無く、経済活動を阻害するような事をNRCが強行しようとすると、電気事業者はNRCに対し訴訟を起こす。そこに緊張感がある。

日本の規制委員会は、現在、電力会社、また専門家の意見聴取に消極的だ。福島原発事故の後、規制機関と事業者の癒着批判が出たためだろう。一方で、電力会社は当局への批判を陰で言うが、訴訟などで対抗しない。さらに規制委員に判断が集中。しかも、5人の中で、原子炉の専門家は1人しかいない。日米で、規制をめぐる意識の違いがある。

3・NRCの「良い規制の原則」

NRCの行動規範の原則をまとめたものが公開されている。そこに大いに学ぶべきものがあるので、紹介したい。

米国マサチューセッツ工科大学で女性初の原子力工学博士号を取得し、米国原子力学会会長を務めたこともあるゲイル・マーカス女史は、1985年から1999年までNRCに在籍していた。「NRCの良い規制の原則(NRC’s Principles of Good Regulation)」(下表参照)の作成に参画した。当時は、NRCは規制の下手さに批判が広がっていた。(コラム「マーカス博士の部屋」(日本エヌユーエス)

そこで、NRCは自らの規制の背景になる考えを整理し、5つに集約したという。

表 NRCの良い規制の原則(5つの原則)

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4・NRCの規制を日本の規制に照らす

これらを日本の現状と照らしてみよう。

第1の原則である「独立性」は、最高レベルの倫理観と専門性以外の全てからの独立を要求している。ただし、被規制者である電気事業者やその他の利害関係者から事実や意見を求める必要があるとする。

日本では福島原発事故以降、感情的な議論が横行した。専門知識の乏しい政治家、自治体、メディア、自称専門家が、原子力の安全性への注文を出した。もちろん、多様な議論があってもいいが、専門性が必要な原子力発電の安全では、学会や電力会社の研究者や専門家の知見を意見の中で尊重すべきであろう。技術は結果が出るものであり、検証も可能である。検証にも、専門家の知見が必要である。

また日本の規制委はどの官庁にも従属しない、高い独立性をその設置で与えられた。その独立を維持し、他者から意見は聞いた上で、干渉を排除し、中立的に、規制基準、またその適用を行う必要がある。要は「独立しても独善ではいけない」という、バランス感覚が必要だ。

しかし規制委は今、事業者との対話がほとんどないとされる。これは問題だ。規制もうまくいかなくなる。

第2の原則である「開放性」では、NRCは設置法で、規制プロセスを市民に伝え、市民が規制プロセスに参加できる機会を設けることを要求している。

日本の現状を見ると、福島原発事故の後で、田中俊一委員長は国民への情報公開を掲げ、議事をすべて公開している。そうした開放性は評価できる。しかし、情報が多すぎ、日本の規制委員会のホームページは議事録の山だ。本当に必要な情報が整理され、市民や専門家がそれにアクセスしやすい状況ではない。

第3の原則である「効率性」で、NRCは納税者/消費者だけでなく、認可取得者(電気事業者)も規制活動の管理・運営が実現し得る最良のものであることを求める権利がある、と法律で決まっている。

この要求の根底には、効率性は良き公僕であることの必須条件であり、公務員は納税者のお金を効率的、効果的に使わねばならないという意識がある。また、効率的でなければ、電気事業者に多大のコストを生じさせ、それが結果として電気料金に跳ね返り、消費者と社会全体の負担にもなる、との考えがある。

日本の規制委は、昨年7月に新規制基準で審査を開始して、今年5月まで原発の審査を一つも終えていない。福島事故後、原子力の安全規制の効率性とか経済性を議論することすらタブー化している。

全原発の停止による燃料負担での負担は13年推計で3兆6000億円。この巨額負担は稼動の遅れで発生している。

第4の原則である「明瞭性」は、規制の一貫性、論理性、現実性を要求するとともに、日常行われている規制と規制目的・目標との関連性、その分かり易さを要求している。

日本の原子力規制は、法律、規則、そして原発の審査官の判断が不明瞭であるとされる。また規制庁は、各原発での判断を文書化、データベース化もしていない。規制の現場では規制担当者ごとに言うことがバラバラであり、事業者はどう対応してよいか困惑している。このような現状で、膨大な非効率が発生している。

規制委は活断層調査を行っている。これも明瞭性を欠く。活断層が存在すると、原子炉が廃炉になるのか。その場合などの負担はどうなるのか。誰が判断するのか、明確に決まっていないのに、調査だけが走り出している。

第5の原則である「信頼性」も重要だ。NRCはこの原則で「出来る限り安定した規制」「不変ではないが、弁解できないほど変更されるものではない規制」を出すとの方針を掲げた。

米国では、事業者側から「規制環境が変化し続けるのでは規制要求に対応し、投資することは困難である」との意見が繰り返されているためだ。

日本は福島事故前から、原子力規制の変更が繰り返され、業者が困惑した。そして、昨年7月の新規制基準では、さまざまな機器の導入、防護系統複線化などを要求した。変更に一貫性を見出すことは難しい。

さらに、NRCは信頼の前提となる客観性を確保するために、発電プラントのリスクを、確率を使って数値化している。起こりうる危険、またあるリスクを避ける規制を導入した場合に、他のリスクにどのような変化をもたらすかの検証を、コンピュータシミュレーションを多用することで、確率的に評価している。数値化することで、あるところで効果のある規制は、別のところで効果があるか、検証しやすくなる。

日本の規制委員会は発足時、こうしたリスクの数値化と確率的評価を、規制として導入することを表明した。原発事故前には、そのような発想はなかった。ところが今、そうしたリスク評価など科学的手法は取り入れず、審査官の判断に依存しすぎた審査をしている。

5・おわりに

米NRCの規制と、混乱の続く日本の規制を比べると、日本が劣っていることは明らかだ。

日本の原子力規制体制は再編されたばかりで、その不手際は仕方がないことかもしれない。しかし、一番の問題は、おかしさを、是正せずにそのままにしていることだ。そうした問題を気づかせるきっかけは、対話と外部からの適切な意見であろう。

原子力規制委は、すぐれた他の規制組織から学んでほしい。そして日本の政治は、力量という点で疑問のある、原子力規制委員会と原子力規制庁を監督し、その問題を是正してほしい。