アメリカ人『日本の女性は絶対権力を持っている』?

倉本 圭造

前回、ゴールデンウィーク中に半日話し込んだ「非常に政治的なアメリカ人青年との対話」についての記事を書きました。↓

” target=”_blank” title=””>前回の記事を読んでいただくとして、その余談的な話としての、彼が「日本の女性は凄い権力を持っている」っていう話をしてたのが凄い面白かったんですよね。

なんか、すぐに次の話題次の話題と移り変わっていく他愛もない半分冗談の話だし、近所の地方都市に通勤しながら企業に英語を教えている以外は、ログハウスの庭で好き放題DIY人生を送ってる彼も相当好きに生きている感じではある(むしろオクサンの方がわざわざ彼が日本に来てくれたっていう引け目ゆえに甘くしてあげてる部分もあるかも?)んですが、でもなんか凄く納得したんですよね。

で、だから日本の男は偉いんだとか日本の女性はズルいとかそういう話じゃなくて、

「こういうこと」も普通に言える環境の中で、「あたらしい時代の男女の役割分担」は考えて行ければいいな

って思ったんですよ。

と、言うのも、一人の女性と長らく一緒に住んでみたりする関係を持ってみると、世に言う「意識高い男女はこうあるべき的公式見解」・・・に従ってクールでも愛に満ちた関係を築きたいよね!と思っても残念ながら「それだけでは済まないな」っていう領域のことにしょっちゅうぶちあたるじゃないですか。

よくわからない理由で突然不機嫌になったり、逆に物凄く落ち込んでみたりして、で、必死に話を聴いたり色々してみるものの全然良くはならず・・・ってな感じだったのに少し時間がたったら何かのキッカケで台風が過ぎた後の晴天のように素晴らしい笑顔を見せてくれたりする。

「それが女性の素晴らしさだ!」

・・・とか言うと、伝統的なフェミニストの方や、「私はそういう非・理性的な女じゃないんだからね!」という挟持を持って生きておられる女性には苦々しく思われるのかもしれませんが、いやいや、そういう部分がない関係が持てるんなら俺だってそうしたいんですけど、でもなんかずっと一緒にいるとそうならないじゃん!という気持ちは、多くの男性の中にあるように思います。(もちろん、ヒドい気分屋の男だって世の中には一杯いるのはわかっていますよ!)

昔のような男女関係に戻るべきだ、って言ってるわけじゃないし、そんなことを望んでいる人は、「そういうことを言う人」の中でも実は多くないというか、実際にそうなっちゃうと結構お互い無理をしてしまうのでシンドかったりするんですよね。

だから、あたらしい時代のあたらしい男女関係のあり方、っていうのは一歩ずつ作っていかなくちゃいけないんですよね。女性の働き方とか、出産のサポートとか、そういうのも含めてね。

最近、「ハウスワイフ2.0」という本がアメリカで話題らしくて、アメリカの超高学歴女性がむしろ主婦としての生き方に新しい価値を見出している・・・みたいなムーブメントが一部にはあるらしく。

だから女性は家にいろ、っていう話では全然無いんですが、「あたらしい啓蒙的な意識が高い理想」を持ち出す時にご本尊サマ扱いされる国々でも、色々と難しい問題は抱えているんだ、っていう「事実」からスタートしないといけないんじゃないか、ってことです。

そうでないと、「遠くの国のほんの一部の恵まれた世界の人だけが物凄く無理をして実現している理想」を、日本人的な生真面目さで「みんなでマネ」しようとして自分たちがそうなれないことに「できないのは我々が欠陥品だからじゃないのか」的に絶望してしまったり、その絶望ゆえに逆に「だからやっぱり女をつけあがらせるとダメなんだ!」的な前時代的偏見に舞い戻ってしまう人が増えたり・・・という誰のためにもなっていない一人相撲を演じることになってしまいますからね。

例えば、(これはネットのどこかで昔読んだ話で、出典がわからなくなってしまっていて申し訳ないのですが、一方的に男社会を断罪する形でない取り組みでいいなあ・・・と思った話なんですよね)

ある会社が女性の登用をするとなった時に、今まで男ばっかりがやっていた職場に女性を一人だけ放り込んでしまうと、何かあったらすぐ「これだから女性は」って感じになる全ての責任をその女性に押し付けてしまうことになるから本人も回りも大変だよね。だから、転換するなら一気にある程度の数の女性をそこの職場に入れて、「女性ならではのその職場の回し方」っていうのをみんなでサポートしながら作っていくように、ちゃんとトップがリードしてあげなくちゃいけないよね・・・でも一回そうやって「女性ならではのその部署の働き方」をみんなで作っちゃえば、これこそダイバシティ!って感じの価値が生まれますよね

というような「正直ベースの話」を、みんなでやらなくちゃいけない時代なんですよね。

これ、最初に「だから女は!」っていう反応が「男社会」から出た時に、それが「彼らなりの責任感の現れ」であると言う風な理解をせずに、ただ「なんて無理解でゲスで内輪だけを守りあっている父権主義的な態度なんだ!ほんと日本の男って自己中心的で考えが古いよねえ!」っていう方向で紛糾させてしまうと、本来スムーズにお互いの意見を出しあえたらスルスルと進むようなことも全然進まなくなりますからね。

我々日本の男と女が、あたらしい「あまりに多くの男女の現状を無視したレベルに”意識が高すぎず”、でも我々が両性とも幸せになれる愛し合い方」を見つけ出して行くとき、「あまりに文明化された世界」と「その外側の野蛮人扱いされる世界」とが東欧や中東やアフリカで悲劇的な事件を巻き起こしてしまっている時代の、「あたらしい世界的な希望」を産み出すのです。

今、ナイジェリアでボコ・ハラムというイスラム過激派(というか”アンチ欧米的教育ムーブメント”)の集団によるヒドい拉致事件が起きているじゃないですか。

で、「あんなことするヤツは悪だ」ってのは疑いないことなんですよ。あんなことするヤツはダメです。極悪人ですよ。ほんとに。容赦無い断固たる決意を持って対処しなくちゃいけない。

でもそれとは別に、

「ああいうムーブメントが逆側に盛り上がってしまうような、地域の伝統的実情を無視した無理やりな欧米化」ってのが先にあったんじゃないか?ということは、考えてみる価値のある問い

ですよね?

もっと漸進的に、「日本のオクサンってああ見えて結構凄い権力持ってるよね(笑)」とかいう「正直ベースの話」もできるムードの中で一歩ずつ転換していけたなら、彼らの価値観もだんだん変わっていったはずです。

そういうプロセスが丁寧に行われれば、父親が自分の娘に対して

「まあ今はもう女に教育がいらないとか言ってた時代じゃないからな。(上の世代の他の物分かりの悪い男どもとは違って)お前の父さんはお前には自分の可能性を思いっきり試して欲しいと思ってる」

「言える自分であることを納得できる」流れを完全に平和的に導くことだってできたはず

です。

そしてそういう流れに反発するような男を、「男社会の空気」によって排除するところまで行ける。社会の安定性を崩壊させることなく、一歩ずつ「やっぱ今の時代こうだよね?」というコンセンサスを作っていくことが可能になる。

もちろん、そこには難しい問題をはらんでいます。

というのは、古い男社会の抑圧力というのは物凄く強固なので、やっぱり一度は「過激で一方的であろうとも欧米風の”意識の高い”啓蒙主義ムーブメント」で動かしていくことも必要だよね・・・という事情もあるからです。(今の日本だってまだ少しはそういう問答無用なメッセージが必要とされる領域も残っているかもしれないので、そう考える伝統的なフェミニストのあなたは、”こういうゴール”を横目に睨みつつ、適切なバランスを維持しながら動かしていっていただければと思います)

だから、アメリカはアメリカとしてのスジを通さなくちゃいけない。彼らはスキを見せるわけにはいかない。

彼らが彼ら流にアメリカンな、ある種一方的な押し付けを辞めてしまったら、今度は逆に「現地の普通の人にとってもあまりにも息苦しいぐらいに復古主義的な締め付け」が暴走してしまったりするからです。

その「アメリカ文明vsアンチアメリカ文明」がお互いに全力で押し合ってしまって解決の糸口が見つからない時代・・・・それが「今」なんですよ。

しかしそこにこそ、21世紀の日本が世界に提示できる希望の領域があるのです。

とりあえずの「共通了解」を作るために、グローバリズムと欧米的な啓蒙思想が世界中を制覇し、引き返せないレベルにまでなるまでは、人類はそういう「無理矢理な人工性によって生身の多くの人間を断罪するムーブメント」に、大きな力を「一時的に信託」していたんですよ。

でも、今まさにグローバリズムと“意識が高過ぎる啓蒙主義”が世界中を覆い尽くした時に、今度はそれをバージョンアップして本当に「我々の本当の気持ち」にピッタリフィットするような、愛には愛で感じあえるような世界に変えていく段階に来ているのです。

私の著書「日本がアメリカに勝つ方法」の図を引用すると、

図1-6

20世紀と21世紀の最初の10年において、人類は「大阪から東京の新宿に行くには、まず新幹線に乗らなくちゃ」っていう段階だったんですよね。

でも今や人類は(国によって発展度合いに時間差がありますが少なくとも日本では)品川に着いてしまってるんですから、「東に行けば行くほどいいぞ!」的なことを叫んでいるだけでは紛糾して余計に前に進めなくなるんですよね。

女性の皆さんにわかって欲しいのは、特に日本の「男社会」の、「啓蒙的な意識の高い女性に対して抑圧的な部分」には、「一周回って来て社会の安定を保ったりハジキ出されてヒドい目に合う人がいないようにしようとする」メカニズムがあって、日本人の男は「それ」に縛られて生きているんだってことです。

で、それはただ前時代的で抑圧的で男のメンツしか考えていないエゴのようでいて、一方であなたが夜道を歩いている時に変なヤツに襲われたりしないような「空気」を維持しようとするための、

あなたに対する決死のI LOVE YOU

でもあるんですよ!

あなたに『ベルサイユのばら』のオスカルのセリフを2つ贈ります。

あまりにも静かに、あまりにも優しく、あなたが私のそばにいたものだから・・・。私は、その愛に気付かなかったのです・・・。

心優しく温かい男性こそが、真に男らしい頼るに足る男性なのだということに気付く時、大抵の女はもう既に年老いてしまっていると…

アメリカ人ほど堂々としてないしフランス人ほどロマンチックなことは言えないし、韓国人ほど熱情を持って強引に迫ってはこれない彼らの静かに見守るような確固とした愛情について気づいてやっていただきたい。

あなたがたが本心から「嫌だ」と思うようなことは、日本の「男社会」の大勢としてもどんどん辞めていきたいと思ってるわけなんですよね。

でも「彼らが彼らの本分として守りきらねばならないもの」を理解してあげながら改革を進めていかないと、「ほんの一部の恵まれたインテリさんのカップル」で可能なことも、「多くの人間」が巻き込まれていった先で非常な不幸をまき散らしてしまいますからね。

あまりに理想化された外国の事例を振り回して身の回りの人を断罪するのではなくて、「正直ベース」で、自分たちにとって一番良い愛し合い方を創りだしていきましょう。

そうすることで、再度「日本がアメリカに勝つ方法」からの図の引用をすると、

図3-2

あまりにデジタルすぎ、啓蒙的に意識が高すぎて世界中の生身の多くの人間に息苦しい思いをさせているアメリカ文明とグローバリズムを、日本人の男と女の毎日のいっぱい泣いていっぱい笑っていっぱい話して・・・積み重ねていく毎日の集合体が柔らかく受け止めることで、どちらも一方向的に押し合っているだけで解決の糸口さえ見えない東欧や中東やアフリカの血なまぐさい悲劇を根底的に解決する道が開かれるのです。

私は大学卒業後アメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「東アジア人の美点を支える集団的本能」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

そういう「文明社会の外側の野蛮性」と「文明社会の窮屈さ」との間をあたらしい信頼関係で繋ぎ直すことが、「アメリカ的秩序が踏みにじってきたもの」が、東欧や中東やアフリカで紛糾している現在の喫緊の課題なのです。

http://keizokuramoto.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2905.html

倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto

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