EUは極右の巣窟になり得るか

2014年06月06日 01:20

先日の欧州議会選挙では、フランスの国民戦線に代表される反EU(欧州連合)や反移民などを掲げる極右政党が躍進した。この事実を受けて、多くのジャーナリストや識者や論者が憂い顔で欧州の行く末を案じる議論を展開している。だが、彼らが心配するほど欧州の民主主義はひ弱ではない。

右傾化する社会心理を受けて、欧州の良心である民主主義の信奉者や守護者たちは、気を引き締めて危険な芽を摘みに行く動きを加速させるだろう。欧州には多様性という極めて大きな武器がある。極右や排外主義や人種差別主義等の悪でさえ、欧州の多様性の一環という側面があるほどだ。それらは欧州民主主義の主流勢力の驕りを戒める重要な少数派だ。彼らが政権を取ったり、それに近い勢力にまで成長する可能性は限りなくゼロに近い。とはいうものの、決して無視されるべき存在でももちろんない。


欧州議会選挙は、加盟各国の政治、社会、経済問題などについて争われる場合がほとんどで、有権者の動向はそれぞれの国内政権への批判、という形で終わるのが常である。積極的選択というよりも異議申し立ての意味合いが強い。今回の極右の躍進にも抗議の意味合いがあるのであり、それ以上でも以下でもない。

先日の選挙でもっとも耳目を集めたフランスの極右政党・国民戦線の躍進は、フランスの国内政治の主流派への不満、特に現政権のオランド大統領と社会党への抗議が直接に反映された結果だ。それは今後政治不安を招き、欧州の他の極右勢力と相まって、混乱をもたらす可能性も確かにある。が、前述したように彼らが政治の主流となって政権を担ったり、欧州の舵取りをすることはあり得ない。

なぜなら欧州は、過去の各国家間の血にまみれた闘争やいがみ合いや夥しい間違いや経験を通して、対話と開明と寛容の尊さを学び且つそれらを民主主義の枠組みの中で最大限に生かす術を獲得した。それが形になって現われたのがEU(欧州連合)である。経済共同体として出発したEUは、加盟国間の経済の結びつきだけを目指すものではない。周知の通りそれには究極の戦争回避装置という役割がある。

戦争とは、国家間の対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪が膨張して爆発する破壊、とも定義ができる。そしてフランスの国民戦線に代表される極右政党の本質とは、まさに対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪である。欧州の民主主義はそうした危険な勢力を押さえ込む方法を知っている。今回のネガティブな民意の潮流を目の当たりにした「正当な」政治勢力は、そのこと自体を糧にしてさらに強固な民主主義を構築する道筋を探るだろう。そこにこそ欧州の真価がある。

先の欧州議会選挙では実は、イタリアの民主党の大勝利という「事件」もあった。マリーヌ・ルペンと国民戦線及びファラージの英国独立党の躍進、という2つの大きな話題に飲み込まれてほとんど注目されなかったが、イタリア民主党の勝利は「歴史的」と形容しても過言ではない大きな出来事だった。若きレンツィ首相率いる民主党は41%の票を獲得したが、それはイタリア民主党史上最強の数字であり、反EUを標榜する五つ星運動のほぼ2倍もの得票率に当たる。EU支持の主流派が勝って反EU政党の五つ星運動が負けるという、フランスとは逆の現象が起きたのである。

ところが昨年、イタリアの総選挙において最大勢力だった民主党は、国民の政治不信と主流政党への不満をうまく引き寄せて、反EUを唱えて総選挙を戦った五つ星運動に敗北した。民主党とベルルスコーニ元首相率いる勢力が主流であるイタリアで、反EUを掲げる第3勢力に過ぎなかった五つ星運動が大躍進をし、そのあおりを食って民主党は沈んだのだ。今回フランスで国民戦線が大勝して社会党が沈んだのとそっくり同じ構図である。

しかし総選挙後、イタリアの五つ星運動は衰退した。 党首のグリッロ氏の意味不明の言動や、政権を含む他党との協力や共闘を完全に拒否する責任逃れとも見える動きや、カルト染みた内部粛清の体質や、党首の専横ぶりなどが明るみに出て支持者離れが進んだ。結果、今回の欧州議会選挙では惨敗した。一年前の総選挙で僅差ながら民主党を押さえて、下院第一党に躍り出た時とは雲泥の差だ。

フランス国民戦線とルペン党首は、昨年の五つ星運動の躍進とグリッロ氏を彷彿とさせる。やり方を間違えれば彼女の党は必ず五つ星運動と同じ運命をたどるだろう。それは翻って、レンツィ首相への警鐘でもある。つまり今後レンツィ首相が、オランド仏大統領の轍を踏んで改革の歩みを失速させたり逡巡したり間違ったりすれば、彼もまた即座に落第の烙印を捺されてしまうであろうということだ。このようにEU内の政治地図は加盟国同士が互いに影響しあい、先導や後追いや批判や賛同を繰り返しながら絶えず書き換えられていく。EUの多様性とはそういうことであり、それが欧州の民主主義の強さである。

ところで、英仏伊あるいはギリシャなど、局地的には重い意味を持つ欧州内の極右あるいは反EU(欧州連合)政党だが、彼らはそれぞれが勝手に主張し行動をすることが多く、国境を越えて手をつなぎ合うという関係にはなりにくい。その辺りがまさしく「極」の枕詞がつきやすい政治集団の限界である。街宣車でわめき散らす日本の極右などと同じで、彼らは蛮声をあげて威嚇を繰り返すばかりで他者を尊重しない。従って相手の言い分を聞き、会話し、妥協して協力関係を築き上げる、という民主主義の原理原則が中々身につかない。

そのために彼らは欧州内にあってもそれぞれが孤立し、大きな政治の流れを生み出すには至らない。今後も恐らくそうなるとは思うが、もしもその流れが変わって、彼ら過激政党がお互いに手を組み合うようになれば、それこそ憂慮すべき事態である。そこからさらに進んで過激派が政権を取るような場面があるなら、その時点で世界政治・経済・文化その他の分野における欧州の優越性は、がらがらと音を立てて崩れ去ることになるだろう。

しかし、栄光と、また苦難にも事欠かない歴史体験と、そこから生まれた知恵と良心と誇りに満ちたEUあるいは欧州が、それを許すとはいかにも考えにくい。

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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