なぜ、サッカーW杯を開催するか --- 長谷川 良

アゴラ

サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会があと数日でオープンする。サッカー王国ブラジルでの大会ということもあって、世界のサッカー・ファンたちのブラジル大会への関心は高まってきた。スポーツ・ファンの一人として大会の成功を祈るが、大会開催前にブラジルから流れてくる反政府デモはやはり無視できない。深刻だ。ブラジルでW杯開催は無理というより、ブラジルは取り組まなければならない別の優先課題があったのではないか、という思いが湧いてくるのだ。


反政府デモ参加者は巨額の資金が必要なW杯開催より社会の基本的インフラの整備、学校教育の推進などを政府当局に要求している。貧民街やストリート・チルドレンの姿、犯罪問題の現状を聞くと、反政府デモ側の主張に頷かざるを得ない。世界からサッカーファンがブラジルに観戦に来るが、そのため、路上の乞食、物乞いは市街から追放され、軍隊がスラム街に住む国民をトラックで運んでいく。全てはブラジルのイメージアップのためだ。

ブラジルの話を聞いていると、ソチ冬季五輪大会開催前の状況を思い出す。ソチ市民は大会開催のため強制移住を強いられ、水も下水も完備されていない場所に移住させられた。ソチ冬季五輪大会は一応成功し、プーチン大統領も満足の意を表明したが、ソチ市民や周辺国民は五輪開催中、不自由な生活を余儀なくされた。

五輪大会やW杯など国際イベントを誘致しようとする国は多い。会場整備や関連施設建設に巨額な資金がかかるが、経済学者が指摘する“経済効果”は確かに小さくない。ブラジルのW杯でも130億ドルの経済硬貨があると予測するエコノミストもいるほどだ。その経済効果は時間とともに国民全般に浸透していき、国民の福祉向上に繋がるという主張も説得力がある。

全ての是非を経済効果で判断することは、しかし、正しいとは言えない。ソチ冬季五輪大会、ブラジルのW杯大会、その前には中国・北京夏季五輪大会は経済的効果もそうだったが、為政者の国力誇示、名誉のために誘致され、開催されたケースではなかったか。為政者が世界にその国力を示すことで、国の名誉を高めたい、という思いは一概に悪いとはいえないが、国力誇示のため国民に一層の負担をかけることは後遺症の多い選択だろう。

サッカーのW杯開催地決定でFIFA関係者の腐敗問題が再びメディアの話題となっている。灼熱の夏に大会開催ができないことを知りながら、FIFA関係者はカタールのW杯大会誘致(2022年)を支持した。後日、FIFA関係者がさまざまな腐敗に関与していたことが判明した。誘致先の資金力、スポンサーなどが重視され、サッカー文化のない国で開催地が決定された実例だろう。

ブラジル大会開催を直前に控え、批判的なコラムを書くことに気が引ける面もあるが、やはり忘れてはならないと思い、書いた。世界のサッカーファンたちは自宅でゆっくりと食事や友人たちと談笑しながら試合を観戦できる一方、開催地の多くの国民は住む場所、水、食事すら十分ではない環境下で生きている。サッカーを信仰するブラジル国民は大会が始まれば、日々の生活苦を忘れてサッカー試合に狂喜するだろうが、大会が終わり、祭りが過ぎ去った後、生きるための厳しい日々がまた始まる。

第20回W杯大会がブラジル国民の大多数にとってプラスをもたらイベントであってほしい。ブラジル政府もW杯開催を成功すれば、次は国民の経済・社会福祉向上のために全力を投入すべきだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年6月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。