民度の高すぎる日本

池田 信夫

きのうの「韓国はなぜ民度が低いのか」という記事はいまだに大きな反響があって、BLOGOSでも2日続けて「最も支持された記事」になった。民度の定義は読む人が自分で考えればいいが、少なくとも中国人は自国の民度が低いことを認めている。

 1 日本
 2 アメリカ
 3 フランス
 ・・・
 162 朝鮮
 167 中国
 168 インド


この「国連国民素質道徳水平調査」というのはガセネタだが、中国人の自己意識としては興味深い。日本が好感をもたれているといるというのも定型的事実で、BBCの好感度調査でも2012年には1位、今年も少し落ちたが5位である。

このように民度や好感度が高いことは日本人が誇っていいが、これは「お人好し」という欠点でもある。植民地支配でもイギリスはインドから徹底的に搾取して二度と立ち上がれないように産業を破壊したが、日本は道路や学校などを整備して朝鮮を近代化した。そのあげく「日帝36年」などと恨まれてるんだから間抜けな話だ。

このように日本人の民度が高い原因は、片山杜秀氏によると、平和があまりにも長かったためだという。

平家や南朝のときには将軍の強いリーダーシップが求められる。が、平時に移行し行政事務が増大するにつれて、執権や管領や内管領が台頭せざるをえない。その下に無数の役所や役人がぶら下がる。下で裁量できることは、下へ下へと委任される。こうして実権のありどころは下降し分散してゆく。非常時でなければ、強いリーダーシップなんて邪魔なのだ。(『国の死に方』25ページ)

こうして際限なく権限が下降するのを防ぐため、摂政・関白や元老などのナンバー2が組織をまとめるのが日本の組織の1000年以上変わらないパターンだ。その有効性は「平時」に限られるので、利害の対立する問題を先送りし、平和を維持することが何よりも重要だ。

何が正しいかは判断しないで、すべて足して2で割るのが金丸信のような「元老」のスキルだ、と小沢一郎氏も言っていた。先日、大井町線で酔っぱらいにからまれて警察が来たとき、「お互いに謝れ」というので驚いた。警察も「正義」には関心がなく、喧嘩両成敗なのだ。

これが日本人の平和ボケで、「非常時」に弱い。民度の高い日本人どうしならいいが、中韓のような精神的後進国にそういう洗練された文化を期待すると裏切られる。それは彼らが民族として劣っているためではなく、何千年も続いた愚民政治の産物なのだ。