「全てはあの2人が悪いのだ」 --- 長谷川 良

アゴラ

イラクで国際テロ組織アルカイダ系スンニ派過激派武装組織「イラク・レバント・イスラム国(ISIL)」が首都バグダッドに侵攻する気配を示してきた。イラクでは目下、シーア派勢力が支配するマリキ政権に対して少数宗派のスンニ派が巻き返しを図っている。1万5000人のスン二派過激派勢力に対し、マリキ政権は守勢を余儀なくされ、2011年に軍を撤退させたオバマ米政権はペルシャ湾に空母を派遣し、約300人の軍事顧問を送るなど、イラクの崩壊を防止するため乗り出してきたばかりだ。気の早い中東問題専門家の間では「イラクはスンニ派とシーア派、それにクルド系の3分割が現実味を帯びてきた」と予想しているほどだ。


ところで、欧米メディアではここにきて、「全てはあの2人が悪い」といった声が聞かれる。人は困難な状況に陥るとその責任を追及しだすものだが、ここでは英国のイスラム問題専門家とフランス人外交官が批判にさらされている。2人は既に亡くなったが、「中東の民族・宗派闘争の原因を作った張本人」ということから、糾弾されてきたわけだ。

具体的には、イギリスの中東専門家マーク・サイクス(1879年3月~1919年2月)とフランスの外交官フランソワ・ジェルシェ=ピコ(1870年12月~1951年6月)だ。彼らは1916年5月、大戦後のオスマン帝国領土の分割について英国、フランス、ロシアの3国が秘密裏に締結した協定の原案作成者だ。歴史学者が「サイクス・ピコ協定」と呼んでいるものだ。

それではどうしてサイクス・ピコ協定がシリアやイラクの現状に責任があるのか、といえば、2人はアラブ・中東の国境線を宗派や民族の相違を無視して線引きし、現在のイラク、シリア、ヨルダンの国境線を作成していったのだ。その結果、クルド系、アラウィー派、シーア派、スン二派など異なる宗派・民族が混ざった国が生まれてきたわけだ。2人が原案作成段階で、宗派・民族の相違を配慮し、国境線を引いていたならば、イラクの現在の混乱は生じなかったかもしれない。だから、「あの2人がシリアの内戦、イラクの混乱を生み出した責任者」ということになるわけだ。

独週刊誌シュピーゲル(6月16日号)は「部族、宗派を無視した不安定な秩序を破壊するのがISILの狙いだ。彼らはイラクとシリアの国境線を作成し、それに基づき、スンニ派の神の国を建設するため、軍攻勢を進めている」と分析している。皮肉なことだが、米軍が2003年、イラクに軍事介入した結果、少数派スンニ派のフセイン政権が崩壊し、多数派のシーア政権が誕生した。同じように、シリアでも少数派アラウィー派が政権を牛耳ってきたアサド政権に対し、スンニ派反体制勢力が政権打倒に立ち上がってきた。イラクとシリアの状況は、部族、宗派を無視した「サイクス・ピコ協定」の見直しを迫っているわけだ。

いずれにしても、サイクスとピコの2人は墓場でイラク、シリアの現状をどのように見ているだろうか。2人は宗派と部族を無視した国境線が後々の紛争の原因となるとは考えていなかったのだろう。「全ては2人が悪い」という批判は少々責任逃れの感がするが、責任の一部はやはり、2人にあるだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年6月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。