中国の権力、正統性は「文」の力

2014年06月26日 00:00

中国文明の偉大さ

uid000166_201401311811219a9c0f69中華民国(台湾)の「台北国立故宮博物院展」が6月24日から東京で開かれている。白と緑の翡翠から掘り出した名宝とされる精巧な「翠玉白菜」もやってきた。(写真)筆者も2時間待って、これを見てその質に驚愕した。さらに200点の書画、磁器、絵画、工芸品を見た。美しい宝物群は、エネルギーを発散していた。


ただし、これらはこの博物院の70万点の美術品のほんの一部にすぎない。18世紀まで世界でもっとも優れた文化を生み出した中国の偉大さ、そして名宝を集めつくらせた歴代王朝の皇帝の力の巨大さに思いをはせた。

uid000166_20140130182322ffadc9be台湾には、中国の清朝の皇帝が持っていた宝物の3分の1があるという。1931年の満州事変から49年の中国共産党との内戦の敗北まで、当時の中華民国総統の蒋介石(1887-1975)は、これらの宝物と、国庫にある金塊を優先的に敵から逃がし続けたという。敗北の確定した49年に疎開先の南京から5500の巨大な箱に納められ、台湾までやってきた。

私は、中国の軍事史の本を読みながら、蒋介石の行為を愚かと思った。戦争で優先するべきは軍の勝利である。宝物に関心を向けるから、彼は中共に負けたのだと思ってきた。

なぜ蒋介石は宝物に固執したのか

しかし宝物を見て考えが変わった。蒋介石には、それらに固執せざるを得ない理由があったのかもしれないと、筆者は思ったのだ。

日本は天皇という権威が存在し、また社会も同質だ。小さな「たこつぼ」のようなグループごとに別れ、自治が行われやすい。秩序を維持することを政治の目的とすれば、統治者が治めるにはかなり楽な国であろう。

ところが中国にはそうではない。権力者は頻繁に交代し、腐敗する。中国人一人ひとりは優れていても、自分勝手で自立した個人が多いとされる。文豪の魯迅(1881-1936)は中国人の本質は「つまらないそれぞれの面子(メンツ)へのこだわりだ」と喝破し、常に混乱する中国社会を憂いた。

「西洋では政治と宗教の距離が近すぎるため、キリスト教が人々を熱狂させて戦争が繰り返され、両者を切り離す近代国家ができたが、中国では人々が精神的にバラバラで政治に参加しないので、戦争はあまり起こらないが民主政治も生まれなかった」という指摘がある。(参考・池田信夫氏「民衆と官僚の距離が遠い国」)

さて、そうした中国人をまとめるのは難しい。中国の近代史は、建国の父孫文(1866-1925)、その後継者の中華民国総統の蒋介石、それを打ち破った共産党の首班の毛沢東(1893-1976)の3人の個性が色濃く投影されているとされる。

180px-Chiang_13人とも、中国人をあまり信用していない。孫文は西欧式教育を受けたが民主主義には懐疑的で「民政」は「軍政」「訓政」の後とした。毛沢東は、古典的な教養は身につけたが残虐で人間の常識から外れていた「皇帝」だ。蒋介石(写真・1930年代)も民主政治は採用しなかった。しかし他の2人と違い、伝統的教養が規範の中心であった。

国を束ね、権力の背景になる権威や力はそれぞれの国、社会集団によって違う。しかし中国の場合、束ねる力があまりにも弱い。民主政治を採用すれば、混乱は一段とひどくなるはずだ。蒋介石は自分の力の及ばなさを知っていたゆえに、軍事力、金塊、そして故宮の宝物という、統治をもたらす具体的な力を、常に手元に置き続けようとしたのだろう。

中国で皇帝は「文明の主催者」という役割をになってきたことを、宝物を見て筆者は理解した。中国の国家体制は、(誰もたいして信じていないものの)儒教的秩序で成り立つとされる。その世界観を反映した宝物を持つことが、統治に正統性をある程度与えた。蒋介石も、その伝統を十分認識したのだろう。

現在の大陸を支配する共産党政権は民国に、故宮の宝物の返還を求めている。台湾独立を求める民国急進派は宝物を返還する代わりに、独立を中国に認めさせようと主張している。宝物は、今でも政治的な意味合いを持ち、魔力を投げかけるように中国の政治に波紋を広げている。

バカな政治家でも国がまとまる日本は幸せだ

さて、隣国の日本についてである。天皇の王権の象徴である三種の神器のように、古代にはこうした宝物に権威を委ねたこともあったが、今は消えてしまった。天皇制は一応、統治の正統性を与える権威にはなっているが、私はそれほど影響を今は感じていない。

そして日本の政治は、かつての蒋介石、現在の中国共産党政権がやっている軍事力による恐怖もないし、文化による人工的な権威付けの努力もない。蒋介石が固執した「宝物のパワー」にすがることも、歴代皇帝がそうしたように「文」の力にすがる必要もない。不思議と日本は国が治まっている。

そして政治家に緊張感などない。都議会でセクハラ被害を受けたと称するタレント議員のやったことは、外国特派員協会で会見し、自分の被害を訴えることだった。それほどの大事ではないと思うし、日本経済の地盤沈下に伴って、ここで会見しても集まる記者は7-8割が日本のメディアであり、騒いでも日本以外の国ではあまり伝えられないのだが。「結婚しろ」とヤジを飛ばしたという愚かな自民党議員は有権者に「私でない」と嘘をついた

この人たちがそうであるように、日本において政治家は社会に迷惑になることも多いし、別にいなくていい。それなのに、社会は丸く治まっている。

中国大陸に再び動乱の兆しがが起こっている。まとまらない社会をまとめようと、共産党政権で締め付けが強まり、台湾も2016年の総統選挙を目指した動きが始まる。

政治が締め付けても、まとまらない中国。政治の締め付けがなくても、まとまってしまう日本。蒋介石が固執した宝物を見ながら、平和ボケでも、うまくまとまる日本のありがたさをしみじみと感じてしまった。

ちなみに中国の理想の政治は、古代から、政治の力が人々に及ばず、天下太平で人々が豊かに暮らすこととされる。「鼓腹撃壌」という言葉が使われ、その伝説を反映した宝物も展覧会にあった。

日本は文明の先生である中国よりも、理想の国(?)をいち早くつくってしまったことは興味深い。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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