「人物本位」の入試が日本を滅ぼす

池田 信夫

今回の早稲田の決定は、理研より重大な問題を示唆している。調査委員会は明らかに「小保方氏は不適格」と断定しているのに、大学が政治的配慮で「学位取り消しに該当しない」と決めた。5人の委員のうち4人が匿名になったのは、こんな調査結果に責任をもてないということだろう。


鎌田総長は「人物本位」の入試を進める政府の教育再生実行会議の座長だが、今回の事件はそういうことをやると何が起こるかを見事に示している。もともと早稲田は「入りにくく出やすい」日本の大学の代表だった。それがAOや推薦と称する情実入試で学生を水増しし、「入りやすく出やすい」大学になったことが問題の始まりだ。小保方氏がAO入試の一期生だったことは偶然ではない。

日本社会は古代から部族社会の連合体だが、そのままでは「大きな社会」を組織する原理がなく、近代国家との戦争に勝てない。そこで明治政府は西洋の制度を輸入したが、それが短期間に成功したのは、もともと儒学の合理主義があったからだ。日本は人口の1割に満たないエリートが、儒学型のトップダウンで9割以上の民衆を指導し、民衆はボトムアップの現場主義で暮らすハイブリッド社会なのである。

このとき重要なのは、エリートに本当に能力があるかどうかだ。多くの社会ではエリートの地位が貴族として世襲されるため、国が腐ってゆく。中国の皇帝がそれを防ぐために発案したのが科挙だった。これは完全な実力主義とはいえないが、少なくとも貴族の地位を無条件に世襲することは許さない点で、メリトクラシー(能力主義)といえる。

明治政府は「古層」の日本型デモクラシーに、高等文官や帝国大学のペーパーテストで中国型メリトクラシーを接合した。制度設計をした山県有朋は、情実入試で政治家(自由民権運動)の影響が及ぶことを防ごうとしたものと思われるが、この組み合わせは絶大な効果を発揮した。近世までは部族社会からほとんど外に出ることのなかった百姓がエリートになる道を開き、人材の流動化によって日本は近代化をなしとげた。

アゴラにも書いたように、教育は社会の根幹であり、最強のガバナンスは公正な競争である。しかしいったんエリートの地位を得た者は、競争をきらう。中国の歴史は、科挙の堕落の歴史だった。官僚は「人物本位」の試験にして、子供を合格させようとする。科挙を輸入した李氏朝鮮では官僚(両班)は世襲になって増殖し、国民の半分近くが公務員になった。

早稲田は昔から徒弟制度が強いことで有名だ。早稲田出身者しか教員に採用しないので、親分子分のなれ合いで劣化する。教員の質が悪いので、学生は授業に出ない。教員もそれを認めて無条件に卒業させるので、入試以外の大学の機能は空洞化している。その極致が小保方問題だ。

ボトムアップの日本社会の長所は現場の自発性が生かされることだが、短所は全体を指導するエリートができないことだ。明治政府はそれを補うために、高文と帝大でハイブリッドの制度をつくった。リーダーを選ぶ競争原理が大学入試で徹底したからこそ、「やさしい社会」がなれ合いに堕落しないで機能してきたのだ。ペーパーテストをなくしたら、日本中が早稲田になってしまう。