「暴力取材」にまで身を堕したNHK

2014年07月28日 08:59

STAP細胞で窮地に立たされた理研の小保方リーダーが、NHKの取材班に追いかけられ、頸椎ねんざと右肘の筋挫傷で全治2週間のけがを負うと言う事件が起きた。

この事実を確認した理研も、「NHKの記者らにより小保方リーダーに対し、過度の取材が行われた。安全や人権を脅かすものであり、厳重に抗議する」と言う内容の抗議をFAXで送信した後、郵便で正式な抗議文を送付したと発表している。

これに対し、NHK大阪放送局の報道部長と記者ら3人は、「誠に申し訳なかった」と謝罪した上、報道部長が「厳重に指導する。撮影した映像は使わないよう指示した」と対応を説明したという。


日本に限らず、何処の国でもマスコミの質の低下が問題になっているが、取材相手に暴力を振るって傷を与える類いの悪質な事件は聞いた事がない。

これでは、日本で「マスゴミ」と言う言葉が何の抵抗もなく受け入れられるのも当然である。

「報道の自由」と言う特権は、暴力ではなく「言論」で権力の行き過ぎと闘う為に国民から報道機関に与えられた民主制度特有の権利であり、その特権を与えられたNHKの記者が起こしたこの暴力事件を、他の暴力事件と同様に扱う訳には行かない。

この事件は又、アクトン卿の「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」と言う有名な格言を持ち出すまでもなく、「第四の権力」と異名を取る日本のマスコミの腐敗を象徴する事件である。

我々の世代の憧れの職業の一つであった報道記者が、ここまで身を堕とすとは悲しみを超えた怒りを覚える。

ヤクザ並の質に低下した記者の典型が、2011年9月10日に経産省で開かれた、鉢呂大臣の辞任会見でのエピソードであった。

ブロゴスに載った田中龍作氏の「ネットが暴いた記者クラブメディア暴言事件の顛末」を見ると、社名も氏名も名乗らす、挙手さえしないまま鉢呂大臣に暴言を吐き続ける記者の、傍若無人振りが良く判る。

A記者「あなたねえ、国務大臣をお辞めになる理由くらいちゃんと説明しなさい」。
鉢呂氏「私も記者さんとの非公式の懇談でございまして、一つ一つに定かな記憶がありませんので」。
A記者「定かな記憶がないのに辞めるんですか? 定かな記憶があるから辞めるんでしょ。きちんと説明しなさい。最後くらい」。
鉢呂氏「私は国民の皆さん、福島県の皆さんに不信の念を抱かせた…」。
A記者「何を言って不信を抱かせたか、説明しろって言ってんだよ!」

あまりの酷さに恥ずかしくなった田中氏が、「そんなヤクザ言葉はやめなさいよ。敬意を持って質問して下さい。記者なんだから」と注意すると、「うるせえな」と何の悪びれもしなかった名無しの記者は、記者証をシャツの中に隠す姑息な人物だったと言う。

このような下劣な記者に注意しない記者クラブも酷いが、怒鳴りつけない大臣も情けない。

ネットのビデオでこの悪質な記者が時事通信の鈴木隆義記者だと判明すると読者から抗議が殺到し、鈴木記者はたまらず鉢呂前大臣の事務所に出かけ謝罪したそうである。

戦後の同盟通信の分割に際し、海外から引き揚げてくる2,000人の同僚に職を提供すると言う大義に押され、共同通信に比べ圧倒的に不利な分離条件であった時事通信の初代社長を引き受けたのが長谷川才次氏であった。

大秀才の誉れ高く英語に極めて堪能な長谷川氏は、同盟通信時代には報道部長を務め、1945年8月の終戦時には陸軍省の意向を無視して日本のポツダム宣言受諾の第一報を打電して終戦を早め、戦争被災者を減らす事に貢献した人物でもあった。

長谷川氏を中心にした経営幹部が自前で調達した資本を基に発足した時事通信は、長い間、共同通信の嫌がらせで記者クラブへの加盟さえ許されなかった。

鈴木記者が、長谷川初代社長の記者魂や時事通信の社史を知っていたら、もう少し嗜みと反骨のある記者になっていたのではないかと思うと、教育の大切さが身に染みる。

国境なき記者団は、「世界報道の自由度ランキング 2014」で日本がアジアの中でも台湾(50位)、韓国(57位)を下回る59位に転落した理由として、特定秘密保護法の成立と共に「福島の事故以来、『記者クラブ』という日本独特のシステムによって、フリーランスや外国人記者への差別が増え、日本の原子力産業の複合体(所謂『原子力村』)を取り上げようとするフリーランスの記者や外人記者は、政府や東京電力が開く記者会見への出入りを禁じられたり、主要メディアならば利用できる情報へのアクセスを禁じられたりするなど、記者クラブ(kisha-clubという英単語まである)システムによって情報統制が強化されている」と言う日本の報道システムの腐敗を挙げ、記者クラブの閉鎖的体質が日本の信用を傷つけている事実を指摘している。

大手メディアの記者と政府が形成した「記者クラブ」と言う一種のエリート談合体質は、政治的言論の後進国であるフランスなどでも見られるらしいが、活動費用まで政府から提供を受ける記者クラブ制度は世界でも日本だけの「ミーオンリー」システムといってよい。 

もちろん、全ての報道が悪いと言っているのではなく、校内暴力やいじめによる自殺防止には、日本のマスコミも一定の役割を果した事は認めるべきだ。

しかし、教師がちょっとでも手を出せば、例え相手が暴力生徒であっても処分されるのは、全ての校内暴力を禁止している法律がある以上仕方ないとしても、手に負えない生徒を警察に通報すれば「警察に突き出すとは、教師としての責任を放棄している!」と非難する程他人に厳しいマスコミが、「全治2週間の傷」を負わせたNHKの記者を非難もせず「謝罪」で幕引きを図り、マスコミ全体としての反省もない事実は、特権階級の持つ横暴としか思えない。

「報道の自由」の権利の前提には「暴力の否定があると言う世界の常識も理解しない記者は、百害あって一利も無く、NHKはこの際、被害者への陳謝と共に、この記者の解雇と報道部長を停職処分にする等の厳罰がNHKに残された義務である。さもなければ、身内の暴力に甘い職業的なモラルに欠ける組織として国民の信頼を失うばかりである。

報道が権力化して堕落を続ければ、国家権力から国民の自由を守れる道理はなく、「報道の自由を奪っているのは誰か? 」と言う疑問は増すばかりである。

そして、報道が頼りにならないのであれば、国民は全体主義から自分を守る為には「特定秘密保護法も必要だと言う機運が生まれる事も危惧される。

と同時に、日本のマスコミがここまで増長した裏には、マスメディアに対する国民の過度な期待やセレブ好きの国民がマスコミをちやほやして来た事があると思うと、国民の一人として恥ずかしいと反省させられた今度のNHK暴力取材事件であった。

2014年7月25日
北村 隆司

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