こっけいな場に「させられる」靖国神社

2014年08月20日 00:01

毎年8月15日の終戦記念日になると、戦没者を神としてまつる靖国神社をめぐって騒ぎが起きる。私は、ここにどのように向き合おうと自由と考えている。それが「信教の自由」だ。そして外国の政府、勢力、そして国内の政治勢力が批判をするという事実も不快だ。しかし、個人的に靖国神社を慰霊の場にするべきでないと考えている。特に公職にある人はその対応に慎重であるべきと、思う。(私の考え『英霊は餓死、自殺攻撃をさせられた–装置「靖国」賛美の違和感』)


そして靖国神社の8月15日の実態は慰霊の場ではなくなっている。滑稽(こっけい)さを伴う政治主張や自己満足の場になっているのだ。2つの写真を紹介してみたい。

慰霊の場での、おかしな「コスプレ」

一つはフランス通信社(AFP)が世界に配信した写真だ。旧軍の軍装をした、おじさんたちが靖国神社に参拝している。そもそも、この姿は21世紀に似つかわしくない。そして旧軍の知識があれば、間違いだらけなのだ。

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Tessan_Nagata_2私は、幹部である士官を養成する旧海軍兵学校の礼法教科書を読んだことがある。戦後公刊された兵学校教育を教える本の付録についていた。立派な士官を育てるために、旧海軍は礼法をカリキュラムに取り入れるなど、大変な配慮をしていた。軍の慰霊施設である靖国神社は大切にされ、そこでは礼装での参拝が奨励されていた。陸軍も同じであろう。(写真・陸軍礼装、永田鉄山少将、昭和9年(1934年)、ウィキペディアより)

この写真のコスプレおじさんの服装は、陸軍の上着のない熱帯用の防暑服と戦地で被る鉄兜。これは作業着で仏前に上がるような失礼な態度だ。

手前の人物の階級章は伍長。伍長は兵士を統括する下士官であり、軍刀ではなく銃を装備にする。写真の人は士官の行う刀礼をしているが、下士官は通常は銃を持ち、軍内の礼では「捧げ銃(つつ)」、もしくは軍外の礼では対象にお辞儀をする。

軍刀は原則として指揮官たる士官が持つ。その軍刀も変で日本刀の柄に、サーベル(洋刀)状の鉄の棒がついている。また階級章を一般人が詐称するのは、軍人に対して大変無礼な行為であり、軍法で普通の国なら処罰される。

奥の人物は連隊旗手のつもりらしい。旧陸軍は編成の中心である連隊(歩兵連隊で戦時5000人規模)に、大元帥である天皇から連隊旗を与えた。連隊旗は象徴として大切にされ、若い優秀な士官が旗手になった。

この旗手は腹の出たおじさんであり、履いている靴はゴム長靴らしい。旧軍のブーツ形式の長靴のつもりのようだ。しかし、それは士官が乗馬用に原則履くもので、戦地、また兵、下士官は脚絆(きゃはん)、もしくはゲートルという巻く形の靴下と短靴の軍靴が一般的だ。さらに軍旗は、天皇と拝神の場合は垂直に下ろす敬礼をするがこの旗手は、左の人物が刀礼をしているのに、していない。帝国陸軍の栄光を体現した連隊旗を、この人らは意図していないようだが態度でバカにしている。(軍旗は行軍の先頭に立った。正露丸の広告にあった軍旗。珍しい写真であるのと軍旗の扱いが分かるので参考。ウィキペディアより)

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軍の知識のない軍装コスプレマニアが、自己満足のために、パフォーマンスを靖国で行っている。慰霊の場でこうしたことはやめていただきたい。

こんな細かい指摘は一般読者にどうでもいいことだろう。しかし彼らが軍装をするゆえに、私も知識を使って、おかしさを批判した。そして彼らは代表例だ。同じノリで、日の丸をパタパタさせて、自分の主張のために靖国に来る人がたくさんいる。(私の知識が間違っていたら指摘いただきたいが、細かすぎる軍オタウンチクは勘弁してほしい。)

過激な政治主張表明の場である靖国

靖国神社では、8月15日にさまざまな右派、国粋主義系政治団体が、パンフレットを配っている。その中で「新しい歴史教科書をつくる会」という団体が、以下のチラシを配っていたと、ネット状で拡散していた。「日本に誇りを持てる教科書を子どもたちに」という団体だ。(同会のツイッターでは、会の一部の人がチラシをつくったとしているが、否定はしていない。)

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「自衛の戦い」「大東亜戦争」を日本は「清く正しく、英知を尽くして」、アジア諸国民に「感謝」され、「白人はおそれおののいた」そうで、「戦後レジーム70年の眠りから覚めれば」、日本は「世界に尊敬される」という。

歴史的事実を知れば、確かに一部にそうした面は指摘できるかもしれないが、この主張に全面同意する人はほとんどいないだろう。あまりにも美化しすぎている。このような主張を反映した教科書の採択を警戒する人が、今の日本では大半だろう。日本の歴史観は一時、彼らのいう「自虐」に確かに振れた面があるが、そんな美しいものでもあるまい。

靖国神社にいくと、慰霊の場として来る人は確かにいる。しかし、それだけではなく日本の国粋主義の考えを持つ人々の政治主張の場になっている。戦前には軍運営の慰霊施設と明確化されており、このような姿ではなかったようだ。これは戦後的光景なのだ。一連の右派の政治パフォーマンスは社会常識から見るとこっけいさを伴い、「ひいきのひきたおし」に、私には思える。

「慰霊」というなら、静かに祈るべきである。靖国には政治的意味がまとわりつきすぎている。このまま靖国神社を一部の人の政治主張の場にし続けるなら、こうした人々の願う皇室の参拝、首相の公式参拝など、永久に夢のままであろう。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki
 

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