嫌韓の時代は終わった

2014年08月29日 13:50

みなさん、こんにちわ。いよいよ読書の秋が近づいている。

さっそくだが、『誅韓論』(晋遊舎)という本が発売直後から話題になっていると聞いて、一読してみた。あえて否定も肯定もしないが、題名からして、物凄く議論を呼ぶ内容であることは保障できる。おそらく、少し愚かな人は、例によって「下品な嫌韓本だ」「ヘイトスピーチだ」というレッテル貼りの思考停止で終わってしまうかもしれない。だが、少しでも文章を精読し分析できる人ならば、もっと重要なメッセージを汲み取ることができるはずだ。これほど「日韓関係の転機」を象徴している、あるいはもたらすかもしれない本はない、と気づく人もいるに違いない。実際、この本を通して見えてくるのは、戦後約70年ぶりともいえる日韓関係の「パラダイムシフト」そのものなのだ。


さて、書評というのはある種の情報処理の才能であり、ダラダラと長文を書く癖のある私にはそれがない。よって、まっとうな書評を読みたいという人は、アマゾンなど他を当たってほしい(だいたい書評をさせると、私のごとき貧弱な知性は一瞬にして馬脚を現してしまうものだ)。私が興味を持ったのは、それまで漠然としたものが、急に鮮明になって眼前に姿を現した「明日の日韓関係」なのである。以下は書評というより、その劇的変化の兆候についての、やや野次馬的私見を述べたものと思っていただきたい。

従来の日韓関係を支えてきた思想的基盤そのものが崩壊する?
この本のユニークな特徴は、私も含めて多くの日本人が漠然と信じてきたある種の常識というか固定観念を徹底して否定していることだ。従来、日本人は、韓国に関して「幻想」や「誤解」を抱いてきたと、著者は主張する。それが以下の三つである。

1・韓国は大陸に対する防波堤であるとの考え。
2・日韓は自由と民主主義・法治主義などの価値観を共有しているとの考え。
3・韓国は日本企業にとって欠くことのできない市場であるとの考え。

著者は数々の証拠を挙げて、この三つの考えが間違いであることを論証していく。とりわけ前二つを、「韓国に対する美しい誤解」といって斬り捨てる。

では、なぜ日本人は長年に渡りこのような「常識」に呪縛されてきたのか。著者によると、第一にアメリカが自国の世界戦略上、日韓を無理やりくっつけたこと。第二に日韓の国内事情が接着剤として機能してきたこと等が挙げられるという。後者についてはさらに二つの理由に分かれる。一つは、「国内の共産化だけは食い止めたい」という日韓の保守層の思惑が一致したこと。つまり「自由と民主主義」ではなく「資本主義」の価値観は共有していたのだ。もう一つは、旧帝国時代からの日韓の古い人脈がそのまま米支配下の反共連帯へとうまくスライドしたこと。この二つが日韓の接着剤として機能してきた。

だが、日韓を互いに縛り付けていたこれらの装置が終焉を迎えているという。その結果として、日本人が上の「三つの幻想」から目覚める日もそう遠くないとする。

これは日本国民に驚くべき発想の転換をもたらす可能性がある。なぜなら、従来の日本の対韓政策は、まさにこのような韓国観の上に立脚してきたからだ。だからこそ、これまで一種の常識として、「中国に取り込まれないように韓国をこちら側に引き寄せろ」とか、「第二次朝鮮戦争になった場合、韓国側に立って参戦する米軍の兵站を支えるべきだ」などと言われてきたのである。

従来、韓国はこうして己の戦略的価値を日本に高く売りつけることによって、やりたい放題することができたという。そのような対韓政策を正当化する思想的基盤そのものを徹底して否定しているのが、この「誅韓論」なのである。

仮にこのような主張が広まり、従来の常識的韓国観に上書きされていった場合、当然ながら世論は、「韓国なんか軍事的に支える必要はないじゃないか」とか、「別に中国に吸収されても構わないではないか」という結論に自然と行き着いてしまう。正確には、著者は一歩先を進めて、「中国による半島吸収を是認し、極東を日清戦争前に原状回復したらどうか」とさえ訴えている。その行き着く先は韓国の「自治区化」である。その背景として、環境破壊によって自国の生存条件を悪化させた中国人が朝鮮半島へ生存圏を拡大したがっているとの推測があり、これは私が過去にアゴラで書いた「中国人は朝鮮半島への民族大移動を始める」を参考にしているようだ。著者は、韓国は治療不可能な反日国家であり今や安全保障上の敵国であるから、そうやって処分したらよい、それが戦わず殺さずして韓国という危険要素を排除する方法なのだと、そう真面目に訴えているのである。

嫌韓の役割が終わり、次の段階へと移行する日本社会
以上は、本の内容のごく一部にすぎない。しかし、私的にツボを突かれたポイントなので紹介した。一見何気ないことのようで、こういう考えが広まれば、まるで蟻の群れがダムを掘り崩してしまうように、最終的には対韓政策の大転換に繋がっていく可能性がある。

さて、私的には、こういう内容の本が出版され、話題になるという社会現象それ自体にも興味がある。そもそも、これはもはや“嫌韓”とは呼べないのではないか。従来の嫌韓本や嫌韓記事の意図するところは、ネガティブ情報の提供である。韓国ってこんな奇妙な国ですよ、異常な反日の国ですよ、アブノーマルな国ですよ、だから付き合う上で注意しましょう、無理に付き合うのはよしましょう、と暗に訴えるものだ。一番厳しくても「こんな国は捨て置け」という“離韓策”に留まる。ところが、「誅韓論」が従来と根本的に異なるのは、相手はすでに安全保障上の「敵国」であり将来はもっと危険な存在になるから、こっちから戦略的に動いて潰してしまえと、堂々と論陣を張っている点なのだ。

従来、嫌韓それ自体は昔からあったが、マニアックな領域に留まっていた。朝日新聞などが北朝鮮の立場にたって朴正熙独裁政権批判を繰り広げていた時代もあったが、それでも大半の日本人は韓国について無関心だった。それを思うと、隔世の感を禁じえない。

今日の「草の根嫌韓」的な大衆感情が生じたのは、2002年の日韓ワールドカップ以降だとする点で、かなりの意見が一致している。マスコミによる強迫的な日韓友好の空気に、多くの人が苛立ちを爆発させた。故・片岡鉄哉博士もあまりの報道管制ぶりを見て、日本にはまだまだ言論の自由がないと嘆いておられた。ネットではその瞬間から「草の根嫌韓」が野火のごとく拡大した。ただ、その率直な感情が「書籍化」という形で現実社会に噴出するまでに数年の時を要した。その第一弾が、本の冒頭でそのワールドカップにおける韓国チームの不正を告発した2005年の「マンガ嫌韓流」(晋遊舎)であった。

奇しくも、この「誅韓論」も同じ版元だが、「精神世界で生じたものが現実社会に反映されるまでに少し時間を要する」という法則からすると、「実は数年前から日本人の間で“誅韓感情”が始まっていたのではないか」という仮説が容易に成り立つ。すると、02年の日韓ワールドカップに匹敵する転換イベントがあったのではないか。私はそれが、2012年8月の、当時李明博大統領による竹島上陸であり、天皇陛下侮辱発言であり、野田総理の親書突き返しではなかったか、と思うのである。

つまり、今から2年前のあの事件の時、おそらく過半数の日本人の間では、嫌韓は終わっていたのである。以来、日本人の精神風景がダイレクトに反映されるネットの世界では、とっくに「次の段階」へと移行していたのだ。それは韓国を「敵」と見なした上でいかに対処するか、という段階である。その日本人の内面がようやく現実社会に噴出し始めたということだ。その一つの顕れがこの本の登場であろう。

考えてみれば、何も不思議なことはない。韓国は盧武鉉・李明博・朴槿惠と三代続けて反日政権を輩出した。日本人がいつまでも「韓国を嫌う=嫌韓」程度で留まっているはずがない。それはもはや日本人にとって常識であり前提となった。マーケットでいう「織り込み済み」というやつである。韓国はこれから「嫌うだけはすまない相手」と見なされる。中国はすでに「敵」と認識されて久しい。政府が市民を扇動し「デモ」と称して日本企業を襲撃させ、放火するような国だ。日本の領海を侵犯しておきながら「日本のせいだ」と因縁をつける国だ。とうていまともな国ではない。これから韓国もそういう扱いになる。

この「誅韓論」の出版が示すのは「現実社会での嫌韓の終わり」だと思う。以後、日本は「懲韓・倒韓・誅韓・討韓・殺韓の時代」へと移行していく。その空気はまさに暴支膺懲ならぬ暴韓膺懲である。それらは鏡が光を反射するように、正確に韓国の反日政策を反映したものであり、韓国にとっていわば自業自得である…。

さて、私は眼前で起きている社会現象から以上のようなシグナルを読み取った。果たして日韓関係はこれから敵対関係へと移行するのか。皆さん自身で判断してほしい。

(フリーランスライター 山田高明 yamadataka@mbr.nifty.com)

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