朝日新聞への憎悪はどこまで?--「血祭り」後を考える

2014年09月04日 02:02

当然の「国民的憎悪」

20130103_185151朝日新聞社に「国民的憎悪」が向いている。「国民的憎悪」とは「社会の大半の人が、理性的にではなく、何かをきっかけに一つの対象を、憎悪を込めて罵る」ことと、ここでは定義しよう。(戦前の朝日新聞社旗。戦争協力の証拠)

慰安婦問題の誤報騒動、吉田調書報道の誤り(私のコラム)、原発・放射能報道の誤報(私のコラム)など、相次いだトンデモ報道が批判されている。それを一般の人々のネット世論が先導し、新聞、雑誌という既存メディア、そして政治家という幅広い層が追いかける姿に、時代の変化を感じる。


朝日新聞への批判は当然だ。同社の慰安婦報道によって「日本人が「強姦魔」である」との誤ったイメージが世界に拡散する一因となった。一国民として腹が立つ。それなのに同社はその責任を直視せずに、謝罪のないままずれた弁明を繰り返す。

ただし、「ちょっと待てよ」と、私は今思う。私は経済記者を20年近くやって、数年おきに「国民的憎悪」騒動を経験した。バブル崩壊後の不良債権問題を引き起こした銀行、株価を煽った証券会社への批判、2000年ごろ、06年ごろのベンチャー企業叩き、継続する官僚叩きなど、怒りが特定組織に頻繁に向いた。個人では検察に逮捕された堀江貴文氏、鈴木宗男氏に取材した。福島原発事故以降に、東京電力と電力業界への凄まじい批判を観察した。

過去を振り返ると、「祭りの後」はたいてい虚しさを感じてしまう。朝日新聞批判は多くの人がするであろうから、そうした別の視点から問題を考えてみたい。

「疑惑の総合商社」–罵られた鈴木宗男氏の経験

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(筆者記事『フィナンシャルジャパン2006年9月号』)

「なんと言ったらいいのかなあ。あのバッシングは何だったんでしょう。えたいの知れないものに襲われる恐怖ですよ」。新党大地の鈴木宗男元衆議院議員に06年に取材した。彼は2002年に逮捕される直前の状況をこう振り返っていた。

「疑惑の総合商社」と鈴木氏は辻元清美氏にののしられた。朝起きたら、新聞の社会面に鈴木氏の疑惑を報じる記事が掲載されていた。「逮捕」という見出しの記事が掲載された週刊誌の広告が新聞と中吊りに大きく出て、その顔は悪人面(づら)に見えるものが使われていた。テレビのワイドショーではコメンテーターが鈴木氏をそろって批判。事務所の電話は鳴り止まず、当時の伝達手段であるFAXで大量に抗議文書が送られ、それが壊れ続けた。街宣車やデモが、東京と北海道にあった自宅と事務所に押し寄せた。こんな状況だったという。

「世界中が敵になったかと思いました。信頼できる支持者の方はいました。同志もいました。しかし、そうした人たちの声は罵声にかき消されたんです」(鈴木氏)

逮捕後の裁判対策で、報道された疑惑を数えたところ約200件になったそうだ。しかし、その中で鈴木氏が刑事訴追されたのは1件もなかった。斡旋収賄罪で有罪になったが、それは倒産した会社による少額のものだった。鈴木氏は賄賂性を最後まで否定した。鈴木氏に向けられた憎悪、報道被害に比べ、(こうした評価はよくないかもしれないが)罪はあまりにも小さい。私は鈴木氏の支持者ではないが、これは合理的なものではなく、彼を気の毒に思う。

よく似る「国民的憎悪」騒動

「国民的憎悪」騒動には、共通点がある。憎悪の対象になる人や組織には隙がある。そして、きっかけはさまざまだが「極悪人」とレッテルが貼られる。すると攻撃のスイッチが入り、メディアと世論の批判が一斉に向けられる。対象は本当に極悪人の場合もあるが、悪い面ばかりであることは少ないのだ。

憎悪が向いた人や組織は、何を言っても信用されなくなる。「問題を甘く考えていました。正しいことを発信したら誤解が解けると思っていました」。東京電力で、原発事故後に、他部門から原子力の幹部になった人が悲しげに話していた。

ところが糺弾者は、渦中にいるときには分からないが頻繁にやり過ぎてしまう。しかしその行為への罪の意識はない。正義の名において人を糺弾すること、そして興奮状態の時に敵が滅びるのは快感だ。未開社会の祭りでは、いけにえの血を浴びる「血祭り」に参加者は興奮状態になるそうだ。人間の持つ動物的感性と、現代社会の憎悪拡散はつながっているのだろう。

興味深い事実もある。憎悪騒動の渦中で観察すると、それを利用するしたたかな人々が必ずいる。以下は鈴木氏の確認できない憶測だが、「私の追い落としは(当時、政治的対立関係があった)福田康夫官房長官が積極的に悪い情報をメディアに提供したことが追い風になった」という。朝日新聞の攻撃は全メディアが行っている。そのネタは売れるからであろう。

そして憎悪の拡散者は、あまり品が良くない面がある。狂信的なナショナリズムが欧州を覆ったナポレオン戦争の後で、ドイツの政治家で文豪のゲーテは若者に次のように言った。「国民的憎悪というものは、一種独特なものだ。—文化の最も低い段階の所に、いつももっとも強烈な憎悪があるのを君は見出すだろう」。憎悪に論理は必要ない。今回の朝日の糺弾はゲーテが喝破したように、いわゆる「ネトウヨ」というあまり品のよくない人たちが攻撃の一翼を占める。

見えない騒動の先行き

国民的憎悪騒動の行き着く先は、状況によって異なる。最悪の場合が、欧州で20世紀に繰り返された民族虐殺であろう。日本人はまだまともなので、たいてい個人や組織の崩壊程度で止まる。

ただし今回の朝日新聞騒動の落としどころは見えない。朝日新聞社の木村伊量社長は社内報で、「関係者から応援をいただいている」「朝日新聞の信頼を高めた」「理不尽な反朝日キャンペーンに屈することはできない」と、今回の騒動を総括しているという。(文春記事『朝日新聞 木村伊量社長のメール公開』)「北朝鮮」のような幻想の世界に住んでいるのだろうか。この恐ろしい状況を認識していないようだ。

今回の朝日新聞をめぐる騒動は「信用が崩壊した」「『慰安婦問題で日本人に強姦魔のレッテルを貼り、日韓関係をたたき壊したメディア』という悪のレッテルが貼られている」「糺弾者が正義になっている」「攻撃することで利益の得る人の増加」という事実が観察できる。先ほど抽出した、「国民的憎悪」の共通点にすべてぴったり当てはまる。そして、すべての要因が増幅している。終わる兆しがない。

さらに政治情勢が追い討ちをかけそうだ。安倍改造内閣が4日に発足した。極右に分類される稲田朋美議員が、政策をまとめる自民党政調会長になった。政府がしがらみで慰安婦問題で動けない。自民党と国会が主導して、慰安婦誤報を糺弾しそうな気配だ。そしてそれを行うことで、自民党が「正義」になり、政治的利益を得やすい。メディアへの政治の圧力は大変危険だ。しかし朝日新聞がそういう状況を自らつくりつつある。

「血祭りの後」の虚しさ

ただし私は朝日が自滅することを懸念する。前述の「国民的憎悪」騒動は、たいてい行き過ぎた。攻撃対象が大きな傷を負った後、一部のずる賢い人が得をするだけで、社会全体には損になることが多かった。

物事は必ず多様な側面を持ち、「絶対悪」などあまり存在しない。例えばベンチャーの旗手だった堀江貴文氏への「国民的憎悪」が、日本の起業状況に悪影響を与えたことは否定できないだろう。彼に問題視される面があってもだ。朝日新聞もその存在のプラス面はあるのに、消される可能性がある。

過去の「国民的憎悪」騒動で、興味深い「宴の後」の共通点がある。熱狂から醒めると、騒いだ人は、「あの興奮は何だったのか」と、多くの場合に自省するのだ。鈴木氏には、釈放後、メディア関係者が何人も「派手な報道をしてすみません」と、謝罪に来たという。そして講演で日本各地を回っているが、話を聞いたあと、「あなたを誤解していました」とか「当時、悪魔かと思っていました」と、話しかける聴衆が多いそうだ。

「血祭り」の興奮の後、寝覚めは常に気分が悪くなる。

私はメディア界の片隅にいる。その中にいると、影響力は日ごとに急速に低下しているが、朝日新聞の存在は大きかった。「朝日が問題をどう書くか」ということを、誰もが注目していた。読者には関係がないことかもしれないが、今回の信用失墜行為によって、朝日新聞が担った「報道価値の物差しの提供機能」が完全に消滅することになるだろう。それは指針のない「荒野」が情報の世界に広がることになる。さらに、巨艦の朝日新聞の轟沈は、縮小中のメディア界の社会への影響力がさらに減り、業界全体の信用失墜にもつながるはずだ。

朝日新聞への国民的憎悪騒動の先行きは見えない。しかし、ボケた同社関係者が事態の深刻さに気づいてほしい。そして糺弾は当然にしても、それをする人は「落としどころ」を探してほしい。

このままでは、この騒動の先に日本にいる誰もが損をする未来が待っているような気が、私にはするのだ。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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