死もまた社会奉仕--「朝日新聞的なもの」の葬送を喜ぶ

2014年09月11日 22:05

朝日新聞の自滅

screenshot「死もまた社会奉仕」。陸軍、官界のドンであった、元老山県有朋が1922年に亡くなった。彼は同時代人に、当時進行中の民主化を妨げる悪の象徴と思われていた。ジャーナリスト石橋湛山は冒頭の言葉を使って辛らつに評した。

「生命の損失は追悼するが、社会に迷惑を与えていた社会的人格の死は大きな意義を持つ。彼に操られていた人、制度が解き放たれる。人は適当の時期に去りゆくのもまた一つの意義ある社会奉仕でなければならぬ。新陳代謝だ」。こんな趣旨のエッセイで、「死もまた社会奉仕」の意味はそこにあった。(画像はNHKより)

この湛山の主張を、朝日新聞の自滅を見ながら思いだした。これは人ではなく日本を動かした組織、それに代表される「朝日新聞的なもの」という思想の葬送だ。


9月11日に朝日新聞は木村伊量社長が会見し、自社の2つの報道ミスを認めた。(『吉田調書「命令違反で撤退」記事取り消します』)朝日新聞東電福島原発事故をめぐる吉田調書の誤報問題を認め、これまで罵倒を紙面で繰り返してきた東京電力に「社員が逃げた」と嘘の報道をしたことを謝罪した。そして読者にもわびた。さらに8月に異様な記事で弁明した慰安婦報道についても読者に謝罪し、同社の報道が与えた日本外交への損害への検証を含めて、第三者委員会をつくり精査するという。

私の考えでは、前者の吉田調書をめぐる誤報は想定内だったが(私の記事『「東電社員、事故原発から逃亡」?朝日報道への疑問 』)、後者の慰安婦問題について「全面屈服」とも言える謝罪は想定外だった。

朝日に代表される日本のおかしな思想潮流

朝日新聞は、戦後の言論界で巨大かつ、象徴的な存在であった。「民主主義」「言論の自由」「平和主義」「非武装中立」「戦争を繰り返さない」「アジア諸国民との和解」。70年前になるが敗戦後に、日本人の誰もが必要と考えた価値観を、同社は掲げた。そのスローガンの響きは当時美しかったであろう。ところが、それらは陳腐化し、内実を伴わないものになった。同紙の報道について、過去20年ほど、多くの批判が出た。それを放置したゆえに、とうとう自社で自社のおかしさを認める形にまで追い込まれた。

日本のメディアの問題は山のようにある。その一つは、イデオロギー的な主張が、事実よりも先にあることだろう。そして言論界で流行した思想の特徴を2つ指摘すれば「パターナリズム」(国による弱者救済)と「反権力」。朝日新聞の先ほどの美しいスローガンは、いつのまにか、陳腐なこれら2つの考えが中身になっていった。そうしたイデオロギーが事実よりも重視された。

私は既存メディアの記者からフリー記者になった。フリーになって経済的に損をしたと反省しているが、そうしたメディア界の呪縛から解かれた良い面もあった。この3年、原子力、エネルギー、放射能の健康被害報道で、朝日新聞をはじめとするメディアが、事実を冷静に分析することなく、恐怖を煽り、自分の主張を押しつけるあまり、事実をゆがめて伝え続けることに衝撃を受けた。

「冷めた頭、暖かい心」(クールヘッド・ウォームハート)。社会変革を志した英国の経済学者のアルフレッド・マーシャルの座右の銘という。物事に向き合うには、「ウォームハート」で象徴される善意や思想も必要だが、まず「クールヘッド」で示される事実観察が必要なことを示すのだろう。

ところが日本の報道はゆがんでいた。朝日新聞だけではないが、日本のメディアには事実の観察・提供ではなく、自分の主張が前面に出て、正確な事実認識をゆがめる報道が多いのだ。社会の諸問題を本質からそれて、自社と取り巻きの価値観によって判断された「勧善懲悪」のわかりやすい、しかし意味のない問題に落とし込む。朝日新聞の「慰安婦」「吉田調書」報道はその典型だろう。残念ながら、それは一般の社会でも観察されてきたが、メディアの場合は他に影響を与えるのが問題だ。

朝日新聞は、自滅した。戦後日本の流行した「朝日新聞的なもの」といえる思想の、軽薄さ、虚構、醜さを示しながら。もちろん、思想や価値観は大切だ。しかし、最近の日本では多くの場合、そうしたきれい事の主張の正体が、中身のない妄想であった。それゆえに、とうとう化けの皮がはがれたのだ。

おかしな呪縛から「解き放たれる」

私は、朝日新聞の権威が失墜して何が残るのか、懸念を持った。(『朝日新聞への憎悪はどこまで?–「血祭り」後を考える』)けれども実際に朝日新聞が「全面屈服」した会見をみると、同社の存在を買いかぶりすぎていたと考えを変えた。おかしな人たちが、おかしいことをして、賢明な大半の日本国民に批判され、勝手に自滅した。そういう簡単なことだ。それよりも日本を束縛していた、おかしな思想、それを象徴していた存在の権威がぶっ壊れたことで清清した。

特に慰安婦問題では、朝日新聞が嘘を認めず「女性の人権を守れ」などという愚かな議論を展開したために、日本の名誉を回復するための取り組みが前に進まなかった。そうした「後ろから日本人の背中を匕首で刺す」裏切り者が自滅した。これも清清した。

朝日新聞を糾弾したい人はどうぞやってほしい。それだけの間違いをしてきたし、糾弾をするべき対象と思う。ただ朝日新聞が何を言おうと、企業や政治のいかなる責任を追及しようと、いかに「弱いものを救え」といおうと、もはや笑いネタにしか見えないだろう。「全面屈服」という結果が出てしまうと、私は同社の未来にあまり関心がなくなった。

それよりも、私は湛山が上述のエッセイで述べた、「解き放たれる」というような前向きな動きに期待する。ばかばかしい脳内のイデオロギーや思想にとらわれず、現実を直視し、その中で格闘する人をたたえる社会に日本はゆっくり動いている。いわゆる社会に迷惑をかけた「サヨク」が力を失っている。そうした「サヨク」を支えた存在の朝日新聞が自滅したのだ。これは日本にとってプラスになるだろう。必要のないものは、適当な時に去りゆき、新陳代謝を進めなければいけない。

残念ながら湛山の戦った1920年代の日本は、藩閥政治や封建主義から「解き放たれた」結果、民主主義を達成できたのに、それが未熟さを残したために1945年の敗戦という亡国に向かって突き進んだ。山県という怖い小言じいさんがいなくなってたがが外れた面がある。

今回、失敗を繰り返すのはやめよう。前向きに、このあほな新聞の自滅をとらえよう。外にあっては慰安婦問題を処理し、内にあっては安保、経済、エネルギーで現実をしっかり見極めるのだ。「朝日新聞的なもの」が混乱させてきた諸問題を解決に動かすのだ。

日本を現実を直視した言論や思想の広がる「普通の国」にしたい。「朝日新聞的なもの」について「死もまた社会奉仕」と、私が思うゆえんはそこにある。

石井孝明
ジャーナリスト

メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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