「敢えて擁護した」朝日新聞の木村社長の謝罪対象を考える --- 山城 良雄

アゴラ

もともと、ワシの「あえよご」シリーズは、低打率や。擁護したもんの名誉回復率はほとんどない。韓国フェリーの船長、セクハラ発言都議、STAP関係……みな、予定通り沈没している。

それでも、木村社長はワシの前回の「あえよご」が出て、数時間後に、別ネタでドボンというのには驚いた。ワシの記事を速報かと思って読んだ人は、がっかりしたやろ。残念ながら福島の吉田調書とは関係無い慰安婦ものや。アクセス数の多さに恐縮してるが、これは仕方ないがな。


今回は、マスコミと謝罪について、もう少し考えてみる。前回の記事で、一番多かった反論は、「やはり朝日は国民に謝罪するべきや。なぜならば国の名誉を傷つけたから」という議論や。ありがちな考え方やが、ワシはこの発想に違和感がある。

まず、「国やたら国民やたらという単位は、名誉やら不名誉やらを持つのか」という議論や。偉人伝やらスポーツ選手の活躍やらを見て、「日本人として誇りに思う」というヤツがおるが、「お前が育てたんか」「日本人のやりとげた事は、全て自分の成果やと思っておるのか」と聞きたい。

偉人やスーパースターを尊敬したり、目標としたり、ときに、うらやんだり、ねたんだりする気持ちはわからんでもない。そやけど、赤の他人の成功を同じ日本人であるというだけの理由で、自分が誇りに思うのは、冷静に考えたらおこがましい話やろ。

誇りがそうなら、恥も同じ。誰かが何かをしでかした時、同じ日本人だというだけの理由で、誰もが恥じ入るべきやとは、とても思えん。「お前は愛国心が足らんからや」と言われそうやが、それもあるが、そういう問題だけではないと思う。

個人や一部の組織が何かを達成したり、やらかしたりした時、名誉や恥を国民全体のものと考える習慣、そろそろやめにしたらどうやろかな。

朝日の奴隷狩り報道を見て、「日本の名誉が不当にケガされた」と、わーわーわーわー騒いでおるヤツに聞きたいんやが、以前に奴隷狩りの話を初めて見た時、日本人として恥じ入って、朝鮮人に謝るべきやと声を上げたか。少なくとも自分の問題として反省はしたか。

今騒いでるヤツで、そんなヤツ見たこと無いで。奴隷の話が出ている時にはヒトゴト、嘘やとわかったら急に日本人の問題やと言い出す。このヒトゴト意識は、朝日の側も同じ事。人権人権と騒ぐわりに、慰安婦本人には至って冷たい。

慰安婦報道で叩いているのは、基本的には旧日本軍全体や。少なくとも、旧日本軍のやったことに関して一般国民には責任がない、というのが戦後世界の建前や。悪いのは軍部、一般国民はむしろ被害者。日中国交回復でも使われた「解釈」やが、冷静に見ればムチャクチャ無理や。ただ、こうとでもしておかんと収拾がつかん。ポツダム宣言自体が成り立たんようになる。

そやから、戦争報道での責任追及の対象は基本的に旧軍部であって、国民ではない(あくまで建前、くどいけど念を押しとくで)。誤報やら捏造やらで謝罪するときだけ、国民に謝るというのは筋が通らんようになる。

例外は軍以上にマズいことをやらかした個人への追求や。済州島の場合、実行犯は捏造の本人、共犯者も命令系統も全て架空の話となると、誤報と分かっても、謝る具体的な相手がおらんことになる。

強いて謝るなら、旧日本軍関係者への謝罪ということになるが、これはこれで面倒な話になる。巨悪(もちろん建前)に対しても、謝罪すべきなのかという疑問や。ちなみにワシ個人は、ちゃんと謝るべきやと思う。

以前ドイツで、車いすの少女がナイフで額にカギ十時の傷をつけられる、という事件が起こった。ネオナチ団体への抗議デモが大発生したが、後で少女本人の自作自演やとわかったとき、誰もネオナチへの謝罪をしようとは言い出さなかった。PC(パソコンちゃうで)の支配する世界って、こんなもんや。

ナチスと旧日本軍は違うぞ、と言っても空しいだけや。負けたこと、戦争犯罪を一手に引き受けることで戦後が成立していること、そっくりや。一度でも謝罪なんかしようものなら、「ナチスや旧日本軍にも言い分はあるはずや」という話になる。敢えてこの問題に踏み込みたいなら、国民に謝罪などとケチなことは言わず「朝日は旧日本軍関係者に謝れ」と堂々と主張すべきやろ。

旧軍部の問題は一旦おくとして、それとは別に朝日が急いで謝罪せんとあかん相手が3名ほどいてはる。河野はん、村山はん、クマラスワミはんや。間違った記事に基づいて談話や報告書を書かはった人らや。この3人さん、無駄な仕事してもうた上に、恥もかかされたはずや。当然あやまらなあかん。以下に例文を示す。

うちの済州島の記事がウソやったばかりに、えらい御迷惑おかけしました。そちらの談話(報告書)の「強制」の件や「意思に反して」の件が、うちの済州島の記事だけが根拠やったら、訂正をお願いします。もし違うんやったらヤヤこしいんで、別の根拠を改めて提示してください。お手数おかけして申し訳ありません。

ここまで書いているうちに、変な話が出てきた。河野談話は済州島の件とは無関係やそうや。気は確かかと言いたい。済州島での奴隷狩りの事実が報道されているのに、それを無視しての謝罪と反省って何や。真面目な議論とは思えんがな。

現在の慰安婦問題の議論の中で、済州島の一件に依存している部分と、そうでない部分をきちんと切り分ける。ワシに言わせれば、謝罪なんかよりもよっぽど即急に、朝日がやるべきことやと思う。

自社の過去記事をチェックして、必要なら、細かく訂正を出していくべきやし。上の3人など影響力の大きそうな人らには、関連情報の訂正をお願いする。こういう作業を仕上げてはじめて、「済州島の件が誤報であっても、慰安婦問題は人権問題であり、旧日本軍のやったことは間違っていた」という主張が説得力を持つ。

この構造は、福島敵前逃亡の誤報でも同じや。「福島の東京電力職員がいかに勇敢に戦ったからと言って、原発の推進は間違っている」という主張は、誤報とそれに影響された議論をきちんと処理してはじめて、意味があると思うで。

ついでに言うと、福島第一での敵前逃亡報道。せっかくのフクシマフィフティーという世界的的ヒーローの顔に泥を塗ることで、「日本人の名誉」に多大な悪影響を与えたことになるが、日本人に謝れという声はまるで聞こえん。勝手なもんやで。

木村社長はん。関係者の処分などが終わったらヤメはるつもりやろ。ただ、その前に、この議論の切り分けはキッチリしておくべきや。それがきちんと出来たら、誤報をしたときの報道機関の対応のスタンダードになり得ると思う。

読者へ(国民へではなく)のマトモな謝罪がないことには、個人的にはゲッソリするが、謝罪も出来んクソ野郎と評価されることを、朝日自身が容認してはるんやから、それは仕方ない。ただ、クソ野郎はクソ野郎なりに、筋を通しておけばええがな。

戦後すぐまでは、「ブンヤ(新聞記者)には金を貸すな、嫁をやるな」と言われていたらしいが、それでも社会は新聞を必要としていた。格好ええクソ野郎やったと思うがな。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

本格的に再稼働する気のサイエンティスト
山城 良雄