年金記事から、メディアの意識を考える

玄間 千映子

年金問題は、大変な社会問題です。

そういうことで、結構まじめに読んでいたら、次のフレーズにぶつかって思わず爆笑!

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….早く死亡すれば「損」になる。…

<年金納付延期>65歳以上の就労前提 水準確保へ苦肉の策
毎日新聞10月1日(水)22時11分配信  吉田啓志、中島和哉

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そりゃそうだ。「保険」というのはそういうものです。
ところで、裏を返せば長生きすると、社会が「損」するってことを言っているのと同じ意味。
社会は、高齢者を「損」をさせる対象という目で眺めるでしょう。

一方で長寿を祝い、高齢者の雇用を本格的に考えねばならない時代となっているにもかかわらず、一方で非難の目線を投げかけるという、そんな矛盾を文中に抱え、また社会に生ませはしませんか?
それって、社会をよくすることでしょうか?

企業ですから、部数確保の気持ちは分かります。
しかし、読者目線は状況を正しく認識したいという所にあると思うのです。

「正しく認識」するのにあたって、「保険」には「損」って言葉は無いと思うのですがね?
特に、社会システムとしての保険であれば、なおのことです。
どこかの「生命保険」なら、「損する」という発想は分からなくもないけれども。

確かに読者の心の中には、「損得」というワードが浮かぶかもしれません。
けれども、記事にするのであれば「“社会システム”の保険」と「企業保険」の目的の違いも書くべきではないでしょうか。

これを書いた記者には、こうしたことの違いの整理が不得手なのかもしれないですが、社会を見ている目がこういうところに表れているように思います。

こういうところから、人々の中に社会システムへの偏見と不信が煽られ、引いては信頼関係をベースに非常にローコストな社会を、リスク関係をベースにした高コストな社会にしてしまうのではないかと危惧します。
「社会」の活動と、個人の活動は全く違うレベルにあるものです。

「損」と思えば、滞納者が多くなるのも当然です。
けれども、社会のシステム維持のための「保険」としたらまた違うのではないでしょうか。
年金の運用が上手くない–というのは、記事としては受け入れられても、「損」は違うと思います。

他社でもあるのかもしれないけれど、同じ新聞メディアである朝日があれだけバッシングされたにもかかわらずこういうことが生じるのは、やはり社内における人事考課視点に「正しい記事を書く」なるものが欠落しているのかも知れないと思いました。

もちろん、根っこにあるのは社会とどう向き合いたいかという、組織の価値観の問題ではありますが…。