リベラルなメディアが「空気」を醸成する - 『言論抑圧』

池田 信夫
言論抑圧 - 矢内原事件の構図 (中公新書)
将基面 貴巳
中央公論新社
★★★★☆



朝日新聞は最近、慰安婦問題については報道を「自粛」しているが、彼らのOBの勤務する大学に右翼から脅迫状が来た事件については何度も報じ、「言論弾圧の被害者」を演じている。これに呼応して海渡雄一(福島みずほの夫)などが「負けるな北星!の会」なるものを結成しているが、肝心の植村隆は会見にも出てこない。

言論の自由は戦前も「右翼の脅迫で知識人が沈黙する」というわかりやすい形で失われたわけではない。本書は戦前に矢内原忠雄が辞職に追い込まれた事件を素材にして、複雑な言論抑圧の実態を明らかにしたものだ。矢内原を沈黙に追い込んだのは蓑田胸喜のような右翼ではなく、そういう「空気」を読んで矢内原を追い詰めた東大経済学部と、彼の発言の場を奪ったメディアだった。

ファナティックな主張をくり返す人々が空気を生み出し、朝日や中央公論のような「リベラル」なメディアがそれに迎合する。彼らは蓑田に賛成はしないが、彼の攻撃する人々は「論壇」から姿を消す。そして政府がそれに屈して「国体の本義」を出し、東大が矢内原を追い出すとき、言論抑圧は完成する。

現代において蓑田に相当するのは、福島で放射線の健康被害はないという科学者を「御用学者」として脅迫した反原発派だ。朝日が彼らを「プロメテウスの罠」などで支援して「原子力を擁護する者は悪党だ」という空気を醸成したため、電力会社も財界も原子力に言及すること自体を恐れるようになった。

慰安婦問題がここまで長期化したのも、女性国際戦犯法廷は荒唐無稽だと指摘する安倍晋三氏を「右翼政治家の圧力」と指弾する極左を朝日の松井やよりなどが支援し、その「政治介入」を朝日の本田雅和が報道して、批判を封殺したからだ。

逆にいうと、コアの問題は事実でも科学でもない。矢内原の非戦論が常識的な主張だったように、強制連行がなかったことも1mSvまでの除染に意味がないことも最初から自明だ。重要なのは、朝日の醸成する空気に逆らって客観的な事実を伝える場なのだ。この点で「論壇」が消滅してネットに舞台が移ったことは、言論抑圧を打破する役に立つだろう。