敢えてヘイトスピーチを擁護する --- 山城 良雄

アゴラ

「それにしても、よう似とるなぁ。コロッケを超える物まね芸やな」学生が見ている動画を最初に覗いた感想や。そやから、「何言ってるんですか、本人ですよ」と言われた時は、心底ビックリやった。市長がカメラの前で市民を「お前」呼ばわりするかぁ。

それにしても、あの微妙な距離は何や。大きな2台の机を挟んで数m……こうでもせんと掴み合いになるんやろか。コントやと思っていたワシは、最後のギャグはデスクごとの体当たりを想像していたが、そういう問題ではどうも無さそうやな。やや旧聞やが、大阪市長の橋下はんと在特会の櫻井はん、何やっとるんや。


そもそも、あの対談。目的がはっきり見えん。「朝鮮人は朝鮮に住め」と「ものは言論の自由の範囲で言え」という主張の応酬や。それぞれ一理ある議論やが、よう考えてみるとると相互には全く関係がない。そやから、いくらこれをぶつけ合っても、話は全く前に進まん。二人してゲスぶりを満天にさらしただけで終わりや。

いったい誰が、ろくな司会もおかずにこの二人に対談させたんやろ。少なくとも維新関係の意図とは思えん。わざわざ党首に泥をかぶせてもしかたない。在特会は少しはポイントも挙げた、大阪市長と怒鳴り合いにまで持ちこんだんやから、大物ぶることには成功した。両者の違いは、ゲス呼ばわりされることのダメージの大きさが比べものにならないことや。

さて、その在特会。考えてみれば奇妙な連中や。「在日朝鮮人は帰化か帰国かのいずれかを選べ」という主張は、別に新しいわけではないが暴論とも言い切れん。ストレートにこれを言えばええのに、何で「死ね」やの「殺す」やの物騒で子供っぽいことをワメき散らすんやろな。

おかげで、国連から法規制の要求(?)されるわ。右よりの政治家や評論家にまでボロくそに言われるわ。「レイシストどつき隊」なる「友好団体」も出来た。政治的には失敗もええとこ、なんでええから目立ちたいということなんかな。

そうは言っても、大阪の嫌韓デモはエエ加減なもんや。生野や鶴橋でさんざんワメき歩いて、最後は焼き肉でビールというのがありがちなパターンや。「大声を出すには昼食にトッポギが一番」って、嫌韓やら親韓やら、ようわからんヤツまでおる。なんとなく反原発デモに通じるユルい雰囲気がある。

真面目に嫌韓やってるタイプの人でも、チャンスがあれば本気で朝鮮人を殺したいと思う人は少数派やろ。それどころか大韓民国やら朝鮮人について、殺意を抱くほど深い関わりやら知識があるやつが、わんさかおるとはとても思えん。要は、ろくに知らずに嫌っておるわけや。通り魔系の決まり文句「誰でも良かった」という世界やな。

ヘイトスピーチを含めて、嫌韓の根底にあるものは、たいてい政治でも民族でもなくて、単なる不機嫌や。ハッキリ言うてしまえば八つ当たり。彼らの日常の生きにくさの原因に占める韓国・朝鮮人の割合など、数%にも満たないやろ。

さて、デモに関して、表現の自由ということがよう言われるが、ヘイトスピーチに関する「表現」ということを考えてみる。まず、叫ばれていることを言葉通り取るのは、バカげている。「朝鮮人を殺せ」と言っているヤツのなかで、自分で手を下すのはもとより、虐殺がおこることを本気で望んでいるヤツは皆無やろ。

よく引用されるスピーチに「良い朝鮮人も、悪い朝鮮人も殺せ」というのがある。ワシはこれ、なかなか深い言葉やと思うで。まず、「朝鮮人」にも良い人もいることを認めると宣言している。もともと良し悪しを言い出す時点で、相手を人間扱いをしているわけや。ユダヤ人を単なる汚物と見なしていたナチスなんかとは、完全に方向性が違う。

だいたい、最終的に「殺せ」と一括してしまうのになぜ、「良い」「悪い」の話を持ち出すんやろ。ワシの流の素人分析ということで聞いて欲しいが、彼らは、「自分たちの不機嫌は善悪を超越するほど強い」と言いたいのではないやろか。やとすれば、嫌韓は口実でしかないということになる。借景と言った方がええな。つまり、自分の狂気じみた怒を表現する場所を鶴橋に借りているわけや。

表現の自由が大事な理由のひとつは、こういう極端で強い感情を表現というものを通じて共有することで、人と人との結びつきを作っていくということがあると思う。狂気じみた表現に触れて、自分にも同じ感情があることを再発見することで、人間の幅が拡がる。これを文化と言ってもええやろ。

ただし、普通、こういう表現は音楽などフィクションの世界で行われる。これなら基本的に無害やし、何をやっても悪い意味で狂人と見なされることはない。

そやから、ヘイトスピーチもひとつの文化資源と考え、そのバックにある感情や思想を可能な限り取り入れるのが、ひとつの理想的なあり方やと思う。機械的に取り締まれというのは、息苦しいばかりか、何とももったいない話やがな。

そうは言うても、あまり呑気なことばかり言うてもおれん。商売の邪魔になったり、関係者の心身に重大な悪影響のあるデモも少なくない。正直言うて、取り締まるしかないやろ。また、ナチス時代の反ユダヤ感情も、最初は第一次大戦敗戦国であるドイツ国民の生活苦が投影された軽いヘイトが、組織的な虐殺まで行ってしまう。甘く見てはいかん。

しかし、だからと言って、デモでの発言内容を審査するような形でのヘイト規制には強い違和感がある。暴力的・威圧的なデモとヘイトスピーチは別の問題や。現状なら、脅迫や威力業務妨害できちんと取り締まれば、十分問題は解決すると思う。

ついでに言えば、安倍総理が大声での反原発デモをテロと同様やと言ったらしいが、この話も、物理的な威嚇や迷惑とデモの内容とをキチンと分けて議論する必要があるはずや。デモを主催する側も、この点への配慮がないと、自分たちのクビばかりか言論の自由を損なうことになりかねん。

日常の不満に対して何もできない分、目の前にある手近なターゲットに攻撃的になるヘイトスピーチ。実は、こういうのの相手、鶴橋は昔から手慣れたもんや。たとえば焼き肉屋の看板、たいてい、新調しても3日目ぐらいからボコボコになっていく。デモのせいということは滅多にない。むしろ阪神が負ける方が影響は大きい。

表通りで「朝鮮人は死ね」とシュプレヒコールがあっても、「はいはい、言われんでもいつか死にますがな」とアクビしながらつぶやき、今夜は繁盛するでとニンマリするのが、鶴橋の定跡や。在日である前に、ひとりの大阪のオバチャンであるというのが、この町に似合うキャラやがな。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

ときどき復活するサイエンティスト
山城 良雄