「ほんとうの学力」とは、あるのか 小学校教諭が見た全国学力調査狂想曲

2014年11月16日 11:30

学力がさがったという。学力はさがっていないという。どちらの根拠も一理あるように思える。一方、G型・L型大学議論が物議を醸している。世間は学力をあげろ、というが、学力とは何なのだろうか。

旧聞に属するかもしれないが、小学校6年生と中学校3年生は、2007年より毎年全国学力状況調査というものを受けさせられる。学力の到達を客観的に見ようというのは素晴らしいことである。しかし、尾木ママに言わせれば、これはほんとうの学力を測るものではないらしい。

したがって「学力」は、友達とたっぷり遊んだり、自然体験をしたり、多彩な生活体験をする中で体得した、自分の知識と感性と学びがどこかで融合し、「うん、そうだ」と法則や真理が納得できること、それらが生活の中で有機的に機能することによってはじめて獲得することができるのです。そして、こうした「わかる」の段階的な積み重ね、つまり、授業など意図的な「学習」活動の場合であれば、学習すべき到達目標を設定し、それが上がっていくことこそが「学力が上がる」ということの実体です。したがって「学力」は非常に個人的個別的なものであり、平均点(正答率)を出して競ったり無機質な数値で示せるようなものではないのです。(「全国学力テスト」はなぜダメなのか 本当の「学力」を獲得するために p47)

おっしゃることは全く正しい。しかし、私に言わせれば、そもそも”ほんとうの学力”などあるのか、あっても測れるのかだ。


あるのは個別の学力、たとえば、東大に受かる学力、日大に受かる学力、医学部に受かる学力、看護学部に受かる学力、司法試験に受かる学力、マンション管理士に受かる学力といった必要に応じた学力ではないだろうか(むろん、最低限のリテラシーは必要です)。

“ほんとうの学力”があると思ってしまうのは、公立高校の入試の形態に原因があるように思える。公立高校は、同一日程、同一問題で行われる。ゆえにトップ校に受かって、2番手の学校に落ちると言うことはありえない。しっかりとした序列ができる。ゆえに学力は客観的な能力だと勘違いしてしまう面があるのではなかろうか(そのアンチテーゼとしての”ほんとうの学力”探しは、ちょっと飛躍しすぎていると思うのである)。科目も多いし。実際あるのは上記のような個別的な学力で、そんなオールマイティな学力があるとは思えない。東大生だって、オールマイティな教養があるから出世するのではなく、会社独自の競争に適応した人が出世していて、これも個別的な能力ではなかろうか。(かれらのあらゆるものへの適応力が高いのは、蓋然性があると思うが)

もちろん、これ以上に客観・公正な入試方法があるのかといえば、ないので、建前としては非常に重要である。会社も序列がついてた方が採用に便利だろう。が、実社会で必要な能力と建前は、ちょっとちがう。

尾木ママは学力状況調査の中身を批判していたが
学力状況調査は、全国の6年生が学校で受ける国語と算数の試験だが、A・Bのタイプの問題に分かれており、Aはおもに知識を問うタイプ。BはPISAに対応した自由記述タイプとざっくり思っていただいてよい。これに生活状況調査を掛け合わせて、こんな生活習慣を送っている子は成績がふるわないとか、こんな教科が好きな子は、正答が多いとか分析する。

子どもの主観的な評価と客観的な評価をクロスさせて、妥当な結論がでてくるのかという疑問はおいておいて、ここではどのように学力状況調査が利用されているのかを簡単に述べておく。

例えば、総合的な学習の時間。総合的な学習の時間が好きで熱心に取り組んでいると回答した児童は、成績がよい。ゆえに総合学習は存続させるべきだ。といった、各部局の都合のよい解釈が加えられて、開示される。相関関係と因果関係は私にも分からないが、ふつうに考えて、成績のよい子は、いろいろ試行錯誤がおこなわれる総合学習も熱心に取り組むといったほうが、常識的な判断ではなかろうか。

総合学習を一例に挙げたが、各利害関係者が、自分の都合のよいデータの切り取り方をして、既得権を守るといった構図になっている。これが私が学力状況調査はむしろ悪い影響をあたえていると思っている所以で、調査すること自体が悪いとは思っていないのである。

個人の競争を完全否定
もうひとつ、私が疑問に思うのは、都道府県単位の順位は出すくせに、個人の評価を出さない。これでは、指導のしようもないと思うのだが。そして微妙な都道府県の順位の変動に一喜一憂している人が少数(だが声がでかい)、いる。これこそ、個人間の競争をあおってよくないという文科省と日教組と左翼の共同幻想によって、ねじ曲げられた調査結果ではなかろうか。ふつうの社会には競争以外にない(教員の世界は別として)。この点では私はしょせん学校の学力は序列を付けるためにある、とドライに切り捨てたい。もちろん、G型の方にはぜひとも”ほんとうの学力”つけてほしいと思っている。それをすべての子どもに適応しようとするのがそもそもの間違いなのだ。

本当の問題はどこに?
“ほんとうの学力”があれば日本の社会問題は解決される。そして”ほんとうの学力”などつけようがないし、存在しないがゆえにいつまでもも問題を教育のせいにできる。日本の教育の夜明けは遠いぜよ。

(教員や学校が被害者だと言っているのではありません、それに付き合わされる多くのL型の子どもが気の毒だと言っているのです、念のため)

中沢 良平(小学校教諭 初任者)

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