感謝する国、しない国 --- 井本 省吾

アゴラ

「日本人になりたいヨーロッパ人──ヨーロッパ27カ国から見た日本人」(片野優、須貝典子著、宝島社刊)という本がある。日本人を褒め称え、日本の文化や自然にあこがれているヨーロッパ人がいかに多いかを記し、その源流、歴史的背景を探ったものだ。


日本人にとっては嬉しくも照れくさい著書で、リップサービスや外交辞令をそのまま書いた部分もあるかも知れない。だが、豊富なエピソードや史実がちりばめられており、誇張とは言えない。我々の祖祖父母の努力と誠意の賜物と感謝したい内容が少なくない。

その一つにベルギーへの支援がある。第一次大戦下の1914年、ベルギーはドイツに攻め込まれた。

<ベルギーの苦しい戦況は連日日本でも報道され、ドイツと勇敢に戦うベルギーの国民を支援しようというキャンペーン運動にまで発展。義捐金といっしょに、日用品や薬品がベルギーに届けられた>

ベルギー人は大戦終了後もその恩を忘れず、1923年9月1日に関東大震災が勃発したとき、2日後の9月3日にその事実を知ると、電光石火の早業で翌々日に「日本人救済委員会」を立ち上げた。

このとき、第一次大戦の元兵士に向け、「ドイツ軍に攻め込まれ苦戦していた時、祖国を支援してくれた日本人のため、今こそその恩に報いよう」というメッセージを発信したという。

チャリティーコンサートやバザールなどが開催され、当時の金額で約7億円の義捐金が日本に贈られた。米、英に次ぐ3位で、小国ベルギーとしては桁外れだった。

「情けは人の為ならず」というが、見返りを求めない誠意ある支援が、後々に自分たちを助けてくれるということわざを絵に書いたようなエピソードである。

同様の話として、有名なトルコの支援があり、本書にも載っている。明治時代、来日したトルコの軍艦「エルトゥール号」が帰途、和歌山沖で嵐に遭遇し沈没したとき、地元の村人が全力を尽くして救助に向かい、69名を救った(死者・行方不明者は587名)。政府は生存者をトルコまで送り届けた。

これにトルコ人は深く感謝している。トルコの歴史的天敵であるロシアを日露戦争で日本が破ったこともあって、トルコは屈指の親日国。エルトゥール号の船員救助の話はトルコの教科書にまで載っている。

そのため、イラン・イラク戦争のとき、イラク在留の日本人が脱出する際、トルコは危険を顧みずに救援機をイラクに派遣、在留邦人を救出したのだ。

なぜ危険を顧みずに日本人を救うったのかというマスコミの質問に、当時のオザル大統領は「エルトゥール号事件の恩をトルコ人は忘れていない」と答えたという。

胸にじんと響く言葉である。国際親善、国際交流とはこういうものでなくてはならない、と改めて思う。

日本はこのトルコへの感謝もあって、1999年にトルコ北西部で発生した大地震では、世界に先駆けて国際緊急援助隊を派遣し、緊急物資・無償援助などを行なった。

それに対して、トルコは2011年3月11日の東日本大震災の時、福島原発の放射能汚染を恐れて、退避する外国人が多い中で、トルコは3週間という各国の救援隊の中でも屈指の長期間にわたり、宮城県などの被災地で活動を続けてくれた。

東日本大震災では台湾が200億円以上という破格の義捐金を贈ってくれた。
過去、台湾で災害が発生した際、日本は精一杯の支援をしてきた。それに対するお礼の意味があった。

恩に対してお互いに報いる。こうした国々との交流を大切にしたい。

これに対して、戦後、日本が様々な経済技術協力をしてきたのにもかかわらず、そのことに対しては一切、感謝せず、戦前戦中の恨みをいつまでも根にもって、親善に気持ちを表さない。そんな国も近隣にある。書かなくてもわかるだろうが、そういう国との付き合いは深入りせず、淡き交わりに徹する方が後々のためである。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2014年12月2日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。