「オリンピック」も平凡なコンテンツの一つになる時代 --- 岡本 裕明

岡本 裕明

モナコで開催されたIOCの臨時総会で五輪の複数都市や複数国での開催が認められたようです。五輪にとって直面している危機をいかに脱却するか、大きな試練に立っていることが見て取れます。

この臨時総会、「アジェンダ2020」と称して五輪の在り方を見直すことを主眼としていました。その背景には五輪の立候補地が大きく減少していることが挙げられます。それも政府や当局レベルでの推進があっても住民が強固に反対するケースがあるという事でしょうか? 2022年の開催候補地に関してはミュンヘン、ストックホルム、クラクフ、リビウ、オスロが手を下してしまい、最後に残ったのは北京とカザフスタンのアルマトイだけだった、という事態が臨時総会を開いてまでの「アジェンダ2020」なのでしょう。


もう一つは韓国平昌で開催される2018年の冬季オリンピックに関しての財政上の問題による一部開催競技施設の準備に暗雲が立ち込めていることがあります。本件は朴槿恵大統領が分散開催はダメとするなど一般公開情報からは韓国がまだ否定しているもののIOCを含めた一部で様々なオプションが考慮されているとされています。そのアイディアの一つが上述の複数国開催をベースに日本の長野が地理的に近いため、既存施設を使わせてもらう、という事のようです。

本件はまだ何も正式に議論されているわけではなく、あくまでも水面下の話でありますが、五輪開催都市がギリギリの調整を求められている状態にあるというのは開催地を推挙したIOCの責任も当然問われることになります。

実は今年の夏前、札幌市では冬の五輪を再誘致したいという話が盛り上がっていました。そこで2010年に冬季オリンピックを開催したバンクーバーではどうだったか、という事で地元テレビが特集を組むにあたり、私も出演予定でした。が、急な日本出張で流れた経緯があります。その際、札幌での五輪についてじっくり考えたのですが、仮に番組に出演していたら「あの時とは時代が違う、効果と失うものについて天秤にかけよ」という事をしゃべったと思います。

2010年のバンクーバーオリンピックの際、私は管理する駐車場を全部IOCが占用することになり、私のクライアントのホテルはIOCの本部と化していました。その物々しい警備体制に辟易としたのは私だけではなく、交通規制をかけられた多くの住民もそうでありました。

ふたを開けてみればセキュリティ上の理由で会場を中心とする人の動きを作るコリドア(回廊)はある一定の道路に集約するようになっていました。これが大半の地元のビジネスに全く恩恵を生み出さず、多くの不満を残した結果となったのです。勿論、その後の世論調査ではバンクーバー五輪は良かった、と相対評価されていますが、誰のための五輪なのか、と考えた時、何が残ったのか大いに考えるところがあったと思います。

札幌は正式に国内として2026年の五輪に手を挙げることを決めました。住民の推挙もあるというのが札幌市長のステートメントでありました。そんな中、18年の平昌は長野にヘルプを求めるかもしれず、22年は北京かカザフスタンとなればアジアばかりの開催となってしまいます。

IOCが焦ったのは正にこの点であります。昔は五輪はアメリカがそのキーを握るとされていました。巨額のテレビ放映権であります。だから、アメリカからみて時差があってゴールデンアワーに試合が放送できないところは推挙されないとまで言われたのです。それがアジアでの開催が少なかった一つの理由であります。

ところがオリンピックの価値がこの数十年の間に薄れつつあるのは紛れもない事実です。理由は10以上簡単にあげられると思いますが、大衆が楽しめるものが増え、五輪だけが世界の注目を集めるものではなくなったことが最大の理由でしょう。特に種目別に世界大会は多く開催されており、視聴者も○○大会を通じた盛り上がりはその場の限定的なものとなった感があります。

オリンピックの場合、その憲章をもとに厳かにプロセスされる点において無駄、無理が多く、現代のスタイルにマッチしていません。それゆえに五輪効果そのものも限定され、アメリカはすっかり五輪に興味をなくしたわけで、むしろスーパーボールの方がはるかに盛り上がるのであります。

アジェンダ2020を通じて五輪がどう変わるのか、それはルールをどう実務に当てはめていくか次第ですが、私は「よりライトに、フットワークよく、財政負担を如何に軽くしながら街の発展と同期させていくのか」これがすべてのキーになると思っています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年12月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。