オリンピックの日韓共催は拒否すべき --- 井本 省吾

2014年12月10日 12:36

2018年冬季五輪は韓国・平昌で開催される予定だが、ここへ来てにわかに競技の一部を日本で開催するというアイデアが浮上している。

IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が「2018年、2020年の五輪を行う韓国と日本について、費用削減と競技場活用のため一部種目を分散開催する場合もある」と発言しているのだ。

背景にあるのは韓国側の準備不足だ。建設費用の捻出に困っているといわれ、開会式会場の建設予定地は更地のまま。スピードスケート競技場は2年遅れで今年10月ようやく工事が開始されるなど大幅に遅れている。


そこで冬季五輪種目の一部、とくにボブスレーやスケルトンを長野五輪(1998年)で使われた施設で実施してはどうかというアイデアが出てきたというわけだ。

これに対して、日本オリンピック委員会(JOC)は、「韓国が提案してくれば前向きに検討する」としている。

10月に訪韓した日韓議員連盟も全面的に協力する構えだ。訪韓時の韓国議員連盟との共同声明で「平昌五輪、東京五輪について緊密な協力体制を構築する」としている。

同議連は韓国側の要求ばかり聞いて日本側の主張を一切しない議員団として有名だ。次世代の党幹事長の山田宏議員は、この共同声明を取り上げて次のように批判している。

<「友好のためというなら、韓国側に対して、不当な「産経新聞ソウル支局長起訴」や韓国側の長年の「反日教育」や「反日法」の撤回など、わが国が当然に主張すべきなのに、それは影も形もない>
 
一方、韓国政府は明確な態度を示していないが、韓国・朝鮮日報は8日付の社説で、「2018年平昌冬季五輪を日韓共同開催にするかどうか、検討する価値はある」と主張している。

なにやら、イヤな空気だ。2002年のサッカーのワールドカップが日韓共催になった経緯を想い出す。当初は日本単独開催で話が進んでいたのに、韓国が猛烈に追い上げ、外交下手の日本が日韓共催に追い込まれたのだ。

それも共催と言いながら、実質的に日本の韓国支援が大きかった。お人好しの日本政府は「日韓友好のため」を名目に日本国民の不満を黙らせ、大手メディアもその路線に乗った。終了後に政府もマスコミも友好が促進したと自賛した。だが、その影では、韓国チームに有利な不当なジャッジが多発したという話が広がるなど、後味の悪さも残った。

今回も日本の外務省は日韓議員連盟と歩調を合わせながら、冷え切った日韓関係を改善するにはチャンスとばかり飛びつき、マスコミもその風に乗って行きそうなイヤな予感がある。

友好の名のもとに、資金面の負担、大会運営などで実質的に日本側がタダ働きさせられる構図だ。韓国側は日本に一切、感謝しないどころか、「日本が一緒にやりたいというから、長野県などで競技を開催させてやった」と恩着せがましいことを言いそうな気がする。

さらに、何らかの不備が日本のみならず韓国の会場であったとき、「これは日本がいけなかったんだ」と日本を非難することさえありうる。

下手をすると、平昌五輪に参加させてやったのだから、2020年の東京五輪には韓国も参加させろ、共催にしようと言ってくるかも知れない。名目は「平昌五輪で協力を受けたので、東京五輪は我々(韓国)も支援する」などと言いながら。

日韓共催サッカーが決まったとき、FIFAが韓国側についた経緯を見ると、国際的な駆け引きでは韓国側が上手だ。今回も裏でIOCにしたたかに食い込んでいるかも知れない。

日本は今、野球とソフトボールをなんとしても東京五輪で復活させたい。「平昌五輪で韓国に協力してくれれば、野球とソフトボールのオリンピック開催を復活させてもいい」と言われているかも知れない。

IOCはすべてがうまく行くことを望んでいる。平昌五輪の運営に支障が生じては困る。「ここはサッカーの共催という実績を積んでいる日本の力を借りたい」と思っても不思議はない。

日本は平昌五輪への協力は極力少なくすべきだ。運営方法などのノウハウを教えるのはいいが、長野など日本での競技開催はしない方がいい。また、協力した分の資金もきっちり要求すべきである。

東京五輪の共催は、一切断るべきなのは言うまでもない。

「あなたは事態を悪く、悪く解釈している。品格に欠ける。もっと大人の対応をするべきだ」。

こんな批判、反論が聞こえてくる。隣国、隣人とは仲良くし、困ったときは助けるのが正しく、美しい態度だと言われれば、その通りだ。

しかし「感謝する国、しない国」で触れたが、「しない国」の代表である韓国とはできるだけ離れていたい、という気持ちがある。以前も取り上げたが、脱亜論を書いた福澤諭吉は、今の私と似た心境にあったのではないか、と思うのだ。

<我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖も、其国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。……此二国の者共は一身に就き又一国に関して改進の道を知らず。……一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払ふて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し……(我国は支那朝鮮に対し)隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。……我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり>

友好、親善、協力の道を目指したのに、相手(シナと朝鮮)の不当な態度にほとほとイヤケがさしたという福澤の気持ちがにじみ出ている。 

現実の外交関係を考えれば、謝絶、絶交まですることはないだろう。貿易などの経済関係を企業同士でビジネスライクに続けるのはいい。しかし、それ以外は「淡き交わり」が彼の国とは望ましい。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2014年12月10日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。

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