憲法改正は「大改革」ではない

池田 信夫

安倍首相の組閣後の「戦後以来の大改革進める」という記者会見に違和感を覚えた。憲法改正が困難であることは事実だが、それによって具体的に何が「改革」されるのだろうか。


たとえば第9条を改正しても、自衛隊の名前を「国防軍」と変える以外の変化はほとんどない。大事なのは一院制にするとか衆議院の優越を明確化するなどの国会改革だが、自民党の改正案は参議院にまったく手をつけない。これでは改正する意味がない。

憲法改正で「戦後レジームから脱却」した先に、安倍氏はどういう「国のかたち」を考えているのだろうか。彼の祖父は、一時は日米同盟を破棄して日本が「アジアの盟主」になる構想を描いていたが、首相になってからはあきらめた。

日本が「武装中立」をめざすとすれば、核武装するしかないが、それには莫大なコストがかかり、戦争を誘発するリスクが高まる。米ソの核の均衡のもとでは、どちらかの核の傘の下に入る以外の選択肢はなかったのだ。

日本はアメリカの世界戦略に組み込まれた「属国」だというのは、安倍氏も平和ボケの左翼も批判しているが、それは何と平和で豊かな属国だろうか。日本の「宗主国」がソ連だったら、どうなったか考えてみればいい。国家としてのプライドさえ捨てれば、これほど安上がりで快適な属国はない。

安倍氏にとって問題なのは、そのプライドだろう。彼が靖国参拝でみせた強い決意には、戦後レジームを超える「美しい国」を求める執念を感じる。それは、かつての左翼の「社会主義」のように理想化され、戦後70年、失われたままであるがゆえに美しく見えるが、実はもう戻るべき国はないのだ。

日本は日米同盟で実質的に核武装しているので、憲法を改正しても大きな変化はない。むしろ日本がそなえる必要があるのは、アメリカが日本を見捨てるリスクである。彼の祖父は日本中から非難を浴びても安保条約を改正し、日米同盟を守ったのだ。