本土はいつまで沖縄にたかるのか

2015年01月04日 19:53

ここアゴラ主催者の池田さんが、またもや沖縄を貶める刺激的な記事を発表している。歯に衣着せぬ論はいつものように明快だが、違和感もあるのが正直なところだ。

僕の故郷は沖縄である。愛する故郷を愚弄されて黙っていられるか!という訳で反論を書かせていただく。故郷愛に目が曇ってあるいは論が過激になるかもしれない。その場合はあらかじめお許しを願っておきたい。


沖縄が本土に金をたかっている、というようなえげつない言い回しを相変わらずするのなら、本土は一体いつまで安全保障を沖縄にたかるのか、という視点での論議もなされるべきである。

米軍基地(専用施設)の74%を押し付けられている沖縄が、日本国全体の安全保障の大分を担っている事実を無視して、補助金云々の議論ばかりに終始するのはいかがなものか。

確かに沖縄の心とやらを持ち出して、沖縄を甘やかす極左翼的発想も問題だが、補助金の額ばかりを持ち出して県民を貶めるのは、構造的沖縄差別の発露だと見られても仕方がないのではないか。

そうした説にネトウヨ始めお定まりの右翼系の人々が乗っかって、沖縄に感謝するどころかこれを侮辱する構図はまことに見苦しい。彼ら自身のみならず、日本国の品位をさえ貶める行為である。

本土はもうこれ以上安全保障で沖縄にたかり続けることは許されない。基地問題の歪みの原因の一つは、日本国民のほとんどが「安全(保障)をタダ」かタダに近いものと思っているところにある。

世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だ。ほとんど愚民に近い。安全保障をタダだと 思っているから多くの国民が、沖縄にたかりつつ逆に島が本土に金をたかっている、と鉄面皮で下卑た非難をする。

沖縄への補助金は、安全保障のための国防費の一部として提供されて当たり前だ。米軍基地は迷惑施設なのだから、原発の地元に補助金が行くのと同じ構図で何の問題もない。

言うまでもなく、その額が妥当かどうかという疑問はある。従って米軍が日本から完全に撤退した場合の、日本独自の防衛予算がどれ程の額になるかの議論がなされるべきだ。

そうすれば、米軍が駐留することによって国が得ている利益が弾き出され、そこから沖縄の国防負担分の金額がきっちりと導き出される。なぜ国はそれをやらないのか。

実はそんな計算は、とっくの昔に霞ヶ関の魑魅魍魎、つまり官僚どもがやっていることだ。国防には今も膨大な金が掛かっている。米軍が沖縄からまた日本国全体から撤退した場合には、その額は天文学的な数字になるだろう。核武装の可否さえ必ず議題にのぼるに違いない。それよりは沖縄に基地を押し付けておく方が安上がりなのだ。 だから国は沖縄に金を出し続けている。

権力にぴたりと寄り添う官僚と官僚組織は、口が裂けてもそのことは言わない。が、気を入れて探ればすぐに分かることだ。沖縄基地を巡る日本政府とアメリカ政府の姿勢を支え、助長し、且つ隠蔽すると同時に、その力の中核でさえある彼らこそ、構造的沖縄差別の震源とも呼べる存在だ。

戦後、日本は米国との友好関係に助けられて、国防費の支出を抑え、それが経済発展の推進に大きく貢献した。安全保障のただ乗りとまで言われた本土の裕福な状況はそこにも由来する。

その抑えた国防費の多くが、本土から切り離されたまま多大な米軍施設を押し付けられてきた沖縄の犠牲の上に成り立った。そこを忘れてはならないのではないか。言い古されたことだが、あえてここでも指摘しておきたい。

繰り返しになるが、そうした犠牲に対する補償は当然である。その額が妥当かどうかという議論は、前述したようにもちろんなされるべきだ。その上で額が過剰だと結論が出るならば、その時に沖縄を責めても遅くはない。

同時に、沖縄の一部の人々が後生大事に抱え込んでいる被害者意識と、そこから生まれる本土への甘えは、池田さんが指摘するように最早許されるべきものではない。

本土に対等な扱いを要求するなら、沖縄自身も過去を忘れることなく、だが過去にこだわり過ぎずに、未来志向で経済的にも政治的にもさらに努力をしていくべきである。

さて、ここで池田説に賛同される皆さんに伺いたい。

沖縄の米軍基地の地元に降りる政府の補償金が、特別視されるほどに手厚いものなら、どうして全国の自治体は手を挙げて「ここに基地を持ってきてくれ」と言わないのだろうか?

日本の自治体は東京以外のほとんどが財政難で苦しんでいる。もらえる物なら、沖縄に落ちる補助金が喉から手が出るほど欲しい筈だ。ならば基地をそれぞれの地元に誘致して、補助金を獲得するべきである。

昨年1月の名護市長選挙と、年末の県知事選挙で出た辺野古移設NOの沖縄の民意とは、金よりも基地重圧のない土地を返してくれ、というものである。それは尊重されて然るべきだ。

補助金よりも貧しさの中の誇りを選んだ沖縄の民意が真実なら、普天間基地を招致したいと本土のどこかの自治体が手を挙げれば、沖縄は喜んでそれを受け入れるに違いない。

僕は沖縄にはある程度の米軍基地は必要だと考える。重要な戦略的位置にあることは否定できないし、年々凶暴化する中国への備えの意味でも重要だ。しかし現状は余りにも多過ぎる。

辺野古移設問題を語るときに忘れがちだが、沖縄には面積約20平方キロ、約3700メートルの2本の滑走路を持つ東アジア最大の嘉手納空軍基地を始め、本島の20%近い土地に米軍施設が居座っている

普天間基地はそのほんの一部に過ぎないのだ。補償金あるいは振興予算が、あたかも普天間基地の辺野古移転分のみ、という印象操作にも似た議論も間違っている。

最後に「沖縄県には辺野古移転を拒否する権利がない。日米地位協定で、米軍は日本のどこにでも基地をつくれるので、日本政府も沖縄県もそれを断れない 」という池田さんの指摘は正しい。

だがそれを唯々諾々として受け入れている日本政府はクズだ。日米地位協定は、米国が絶対で日本はそれに従う、という奴隷の発想から出たものだ。協定のおかげで米軍は沖縄で傍若無人に振舞う。沖縄はそのことにも激しく怒っている。

日本と同じ敗戦国、僕が住むここイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して暴虐行為を働き許されることなど決してない。沖縄で米軍がしばしばそんな行動に出るのは、奴隷契約「日米地位協定」があるからだ。

日本政府は日米地位協定の見直しを米国に迫りつつ、選挙で示された沖縄の民意を真摯に受け止めるべきだ。自国の小さな一部である「たかが沖縄ごとき」の悲しみや苦しみさえ救えないなら、日本国にはもはや民主国家と呼ばれる資格などない。

また沖縄県民が、今やもう差別だ、と恒常的に口にするようにさえなってしまった基地の過重負担と、それを見て見ぬ振りをする国民の存在も、前述したように日本国の品位を深く貶めている。

日本国民はもうそろそろ偽善の仮面をかなぐり捨てて、沖縄の基地問題に真正直に向き合うべきである。なぜなら基地は安全保障の問題であり、安全保障は全ての国民の問題だからだ。

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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