相手を攻撃する「表現の自由」への対処法--仏テロ事件に思う

2015年01月08日 11:16

フランスの週刊誌の実態

フランスで、シャルリ・エブドという左翼系の政治風刺マンガ週刊誌の事務所が1月7日テロリストに襲われ、12人が亡くなった。私は言論に対する暴力に対して最大限の怒りを持つし、犠牲者のご冥福を祈りたい。逃走中の犯人はイスラム過激派らしい。

同紙のサイトは、「私がシャルリだ」(仏語:JE SUIS CHARLIE)を多言語で示すものになっている。テロに国際的な非難が広がる。

しかしツイッター上の「#JeSuisCharlie」で、同誌のマンガを見た。その表現はちょっとうんざりするものだ。


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私は仏語が読めないが、翻訳ソフトにかけると左が「クルアーンはクソ。銃弾も避けられない」、右が「ムハンマドのスター誕生」だそうだ。下品な映像を公開して、読者の方には申し訳ない。

イスラム教では預言者ムハンマド、聖典クルアーンは至上のものとされる。その信徒を挑発するもので、当然怒りを買うだろう。私は「私がシャルリだ」と、自分が言うことに戸惑ってしまう。

韓国の一部の人と朝日新聞など一部日本人は、従軍慰安婦問題で、「日本人は強姦魔」と嘘を世界にばらまいた。それをニコニコしながら「表現の自由ですね」と言う日本人がいたら、とても気持ち悪い。それと同じ感情だろう。

表現の自由は最大限認めるべきだが、それは当然、他者の権利を侵害しない内在的な制約を持つ。ただし、制約をどこまで認めるかは、その国・社会の政治状況、文化的な成熟によっても、また個人の内面でも違う。「線引き」が他の問題と違って、なかなか難しい。

行き過ぎの表現をどう規制するべきか

ちなみに表現の自由の規制をどうするかという問題は、私たちも日本で直面している。

今年7月、大阪高裁は「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が京都朝鮮第一初級学校(当時)に対し、近くの公園を長年不法占拠していたことへの抗議として、学校周辺で「朝鮮人を保健所で処分しろ」などとがなり立てながら行ったデモを「人種差別」と認定。1審京都地裁と同様にメンバーらに計約1200万円の高額賠償と付近での街宣差し止めを命じた。小学生の児童を大音量で脅すなど、この団体の行動は目にあまる。判決は当然であり、現行法の中で徹底的に処罰してほしい。

賢明な人が多く、成熟した社会を持つ日本では、この頭の悪そうな「在特会」など、大半の人が馬鹿にして相手などしていない。けれども「困った言論の自由」が、社会に広がる可能性がある。

在特会には、これまでこういう活動をしなかった人々が参加しているらしい。一方で反ヘイトをうたう団体が、この在特会への抗議を強め暴力事件が発生している。在特会にも、反対派にも、背景には右と、共産党をはじめとする左の過激な政治団体、また外国居留民団などの政治勢力の影がちらつく。こういう勢力は日本社会の安寧や利益に関心はなく、騒ぎを大きくすることを目的にしている。またポピュリズム政党の民主党は、「いわゆるヘイトスピーチ」をめぐる法規制をさっそく訴え始めた。

私はどのような言論に対しても、原則として法規制には反対だ。私はあらゆる問題で、政府の介入を減らすことが望ましいと考えている。

法による行政の政治介入は、権力による表現の恣意的な判定につながる。また政治主張と過激な発言は紙一重である。上記のシャルリ・エブドのイスラムの絵、朝鮮人の小学生を怒鳴りつける在特会を保護する必要はまったくない。しかし「イスラムのテロへの批判」とか、「外国人の行政優遇の是正」という政治主張まで、法規制に絡めて規制される可能性がある。

ちなみにフランスでは差別禁止法など多数の法律で、人種差別やホロコーストの否定を禁止している。欧米各国もそうだ。(コラージュは産経新聞記事から引用)しかし、イスラム教の侮蔑は規制対象ではなかったらしい。これはいくら規制をしても、「抜け道ができること」を示すだろう。

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「批判は相手の面前で行える範囲にとどめること」

私の答えは、当たり前すぎ、また「本当に過激な言論による害悪を避けられるのか」という批判を受けるだろうが、以下の通りだ。

表現者は、他者を尊重し権利を侵害しないという範囲で、その自由を行使すべきだ。さらに社会の成熟度、個人の知性と感受性を高め、「困った言論の自由」が広がらないようにすべきだ。特に他者を誹謗する言論は、無意味で無駄だと、発信者に知らしめる。

もっと身近な言葉で言ってみよう。日本新聞協会の記者心得(1947年の旧版、今はなぜかなくなってしまった)に「言論人としての誇りと自覚を持ち」「批判は相手の面前で行える範囲にとどめること」とあった。良い言葉と思うし、私もこれを心にとめている。なかなか実行できないが今はネットで誰もが言論人だから、参考になる言葉だろう。

結局は、この問題への対処法は、どこまでいっても、個人の内面の問題だ。「言うは易く行うは難し」。内面に踏み込まずに、共通の土俵を見つけることはしんどい営みだ。しかし表現活動の一人一人の参加者がその質を高めることが、暴力と混沌に対する迂遠に見えても、効果的かつ社会の全体の利益になる対処法であることを信じたい。テロリストも、そうした表現活動に屈服していくはずだ。

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写真は、「私はシャルリだ」に掲載されたマンガ。ペンが銃を押さえつける。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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