イスラムのテロをなくすためにはどうすればいいのか --- 岡本 裕明

アゴラ

風刺画に激怒したアルカイーダのテロにより多数の犠牲者とショックを引き起こしたフランス、そしてベルギーでもその調査で発覚したアルカイーダの企てを抑えるために死者が出ました。アメリカの911以降、過激派による事件は後を絶ちません。

更にはイスラム国の存在、そこに集まる外国人兵士とは何でしょうか? 何を求め、何と戦っているのでしょうか?


イスラムの教えは神、アッラーの啓示であります。つまり、神からの命令であってその命令に背くと不幸がくるし、神聖化されたものを汚す者があればしかるべき罰が下る、という非常に明確でストレートな信条がそこにあります。

多くの日本人は神道で多神教であります。仏教も多神教に基づく信仰の受け入れの精神が作り出した世界ともいえ、実に奇異な宗教観をもつ国が出来ました。多くの日本人は祝い事は神社で、葬儀は仏式でやりますが、これを外国人に説明するのは容易ではありません。ですからフランスで起きた事件について日本では今一つ実感をもてないのではないかと思います。事実、100万人ものデモ行進(実態は分かりません。なぜ、国家首脳たちが先頭を切っているのか、どうも演出がかっている気もしました)はなぜ起きるのか、日本人の感覚では絶対にありえないことだと思います。

イスラムの教義を誰がどう伝えるか、これを様々な形で解釈することから派閥やアルカイーダのような過激派が発生するとされています。特にイスラム国はイラクの国内戦争がある程度収束したことを受け、兵隊が失業したこともあります。産業が少なく、戦争を「業」としていた人に突然、店の売り子をしろと言っても出来ないでしょう。日本人と違い、外国の人はそれほど自分自身にフレキシビリティがありませんから器用に自分を変身させることは出来ないのです。

となればだれか自分の信条と合う人から声をかけられればかなり危ないこともすることは大いにあり得るのです。また、傭兵と称する職業軍人もアフリカを含めイスラム国の様々な地域から集まりやすい体制にあります。ですのでフランスはそれでも風刺画を止めなかったことで報復が起きやすい状況にあると言えるでしょう。事実、アフリカではこれに反発するデモでキリスト教会が襲われ、死者も二桁に上っています。

一般人には区別のつかない普通のイスラム教徒と過激思想を持った人が混在することで一般のイスラム教徒にも悪影響は当然出てきます。しかし、一般教徒にとっても風刺画で自分の宗教を「笑いのネタ」にされたら誰でも怒るのではないでしょうか? それを表現の自由という言葉で正論化するのはモラル上の問題はあると思います。

事実としていえることはイスラム教は圧倒的な出生率でいずれキリスト教徒の数を抜き、世界で最大の宗教となることです。よって、唯一神のユダヤ、キリスト教からみればイスラム教徒の増大は怖いのであります。それゆえ、フランスのデモ行進の先頭にいた国家首脳の中にはイスラエルのネタニヤフ首相も見えたわけです。

グローバル化が進む中、国家とは何か、と考えるには良い機会かもしれません。お互いの国境の壁ははるかに低くなり、その結果、国と国の争いも少なくなりつつあります。特に「アカ」との戦いとされる朝鮮戦争やベトナム戦争はソ連型共産主義の衰退もあり、ほとんどなくなりました。一方で近年の多くのテロ事件が宗教的背景となっていることは戦争の戦い方が変わった、という事になります。それは陣取り合戦、国盗り合戦だった第二次世界大戦のような戦闘から双方がお互いの陣地に入り混じりながら戦いを進めるスタイルになったとも言えそうです。

ここから力を発揮するのは強力な武器ではなく、諜報となるでしょう。日本はそういう意味で敵がいない国家でありますから逆に基地となりやすい環境にあるとも言えるのです。日本は諜報活動は強化した方がよいかもしれません。

残念ながらイスラムの信条についてはイスラム教徒が決めることであり、キリスト教徒がそれを叩くと必ず、反発されるという問題を抱えます。テロは元から絶たなくてはいけないのですが、その道は至極困難であり、力と力の戦いならば永久に終わらないでしょう。むしろ、双方がリスペクトする関係をどこかで築かないとなりません。だからこそ、私は西側社会のモラルを高めるべく努力を怠ってはならないと考えております。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月19日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。