「宗教」と「政治」の接点を求めて --- 長谷川 良

2015年02月13日 09:11

オーストリア日刊紙プレッセ11日付は宗教学者ヤン・アスマン教授とのインタビュー記事を掲載していた。同教授はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の唯一神教の暴力性を指摘し、話題を呼んでいる学者だ。


エジプト学を専攻する教授は古代エジプトの多神教を宇宙教と呼び、「神は目に見える被造世界の中でどこでも発見できる存在だった。一方、エジプトから出国したモースを中心としたイスラエルの人々は古代エジプトの多神教とは違い、神を不可視の存在と捉えていた。その不可視の神を知ることはできず、ただ“信じる”ことが求められた。そこから、神への信仰が生まれてきた」というのだ。

アスマン教授は旧約聖書の「出エジプト記の内容が歴史的事実と一致するかは不確かだが、出エジプト記はユダヤ民族が多神教から唯一教へ変わっていったことを象徴的に記した文献ではないか」と、インタビューの中で述べている。すなわち、可視的神を「知る」多神教から、不可視の神を「信じる」宗教へと変わっていったというわけだ。

神は「知る」のではなく、「信じる」対象となるから、その不可視の神を信じるか、信じないかが分岐点となる。興味深い点は、この場合、他の神の存在が前提とされていることから、「あの神」ではなく、「“私”を信じよ」というわけだ。神は妬むからだ。

ユダヤ人民族の信仰が唯一神教となるのはゾロアスター教の影響があったと推測されている。ゾロアスター教は唯一神教で、善と悪が戦っていると考える。多神教の場合、神たちは共存できるが、唯一神は他の神(悪)を許さないから、そこから「聖戦」という概念が生まれてくることになるわけだ。

アスマン教授は、「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、その実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げている。
 
同教授は、「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のキリスト教は久しく非政治化(政治と宗教の分離)を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張している。

当方はイスラム教スンニ派過激テロ組織「イスラム国」やナイジェリアの過激派勢力「ボコ・ハラム」の蛮行を聞くたびに、イスラム教という唯一神教の暴力性について考えてきた。ヤン・アスマン教授はキリスト教の歴史を振り返りながら、イスラム教の非政治化プロセスをその解決策に挙げている。具体的には、政教分離だ。

当方は、神が存在し、その教えが真理とすれば、その内容は宗教界だけに通じるものではなく、政治、経済など人間のあらゆる分野に通じるから、政治と宗教は完全には分離できないし、分離すべきではないと考える。

政教分離を実施する欧州社会で世俗化が進み、人々は神を失ってきた。一方、イスラム教を国教とし、シャリアを導入している国では政教の分離を求める声が出てきている。だから、政治と宗教の完全な分離ではなく、その接点を模索していくべきではないか。

ちなみに、「アメリカ独立宣言」の起草者であり、第3代米大統領トーマス・ジェファーソンは「文明社会は宗教なしには永続し得ない」と述べ、「真の民主主義の根底に宗教は不可欠だ」と主張している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。また、2015年2月16日に記事の一部を修正しました。


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