曽野綾子氏の時代錯誤を憂う

北尾 吉孝

BLOGOSでも「曽野綾子」タグが連日1位と話題のように、曽野氏による一週間前の産経新聞掲載コラム「労働力不足と移民」が、国内外を問わず今各所で問題視されています。


之に対し彼女自身は産経新聞や朝日新聞で「反論」をし、火に油を注ぐ格好となっているわけですが、私として曽野綾子という作家を高く評価していましたから、率直に申し上げて今回この話でがっくりきてしまいました。

「日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならない」という主張まではすっと読めました。しかしながら「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」という所に至っては呆れ果ててしまったのです。

嘗て南アフリカにあってアパルトヘイト(人種差別・隔離政策)を廃絶すべく、27年に及ぶ服役を経て遂には大統領となった故ネルソン・マンデラ氏が如何なる闘争を展開し、結果かの国でどれだけ多くの血が流れたか。

あるいはもっと言えば、あの第二次世界大戦時ナチス‐ドイツがユダヤ人絶滅のために設けた強制収容所、ゲットーに押し込まれたユダヤ人がレイシズム(人種主義)のもと如何なる惨劇を経験したか。

曽野氏は今一度人類の歴史を学び直し、上記した南アやナチの類の人種差別的発想を捨て去って、その現有する誤った認識を根本から改めるべきです。

私が過去100か国以上の国をまわり、約10年の海外生活を経てつくづく思ったのは、人間性は変わらないという、英語で言えば“Human nature does not change.”であります。

彼女は問題コラムの終わりで、「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と述べていますが、私に言わせれば此の“Human nature does not change.”こそ人間というものだと思うのです。

今回曽野氏ほどの影響力を持つ人が、肌や髪の色などによって住む場所に制限を設けた方が良いなどと発言したことを、私自身彼女を評価していただけに極めて残念に思いました。

失礼を承知で申し上げるならば、晩節を汚すことなきよう曽野氏はもう余り発言されない方が宜しいのではないでしょうか、と思います。

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