侵略って何?(アーカイブ記事)

池田 信夫

政府がロシアのウクライナに対する軍事行動を侵略と認定しました。これは単なる用語の問題ではなく、重要な意味をもっています。2015年3月14日の記事の再掲です。

国際法に「侵略」の定義はない

政府は8月15日に発表する「安倍談話」のための有識者会議をつくりました。その座長代理の北岡伸一さんが「安倍首相には侵略といってほしい」と言ったことがいろいろな反響を呼んでいますが、そもそも侵略って何でしょうか?

実は国際法には、侵略(aggression )という言葉の定義がありません。国連決議では国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使となっていますが、この決議は1974年なので、第2次世界大戦についての基準にはなりません。

侵略を国際法で禁じたのは、1928年の不戦条約だといわれていますが、この条約には侵略についての規定はありません。しかしここで国際紛争の解決手段としての戦争を禁じたので、一般には1928年以降に行なわれた他国の領土侵犯が侵略とされています。

この基準で考えると、日清戦争も日露戦争も侵略ではありません。日韓併合も侵略ではないので、1995年の村山談話の「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という表現はおかしい。植民地支配と侵略はちがいます。歴史上、植民地支配を謝罪した国はありません。

しかし満州事変以降は、国際法上の侵略です。いまだに「南京大虐殺は幻だった」などという人がいますが、何人殺されたかはともかく、日本軍が頼まれて南京まで行ったんじゃないんだから、日中戦争も明らかな侵略です。日米戦争はアメリカの領土を侵犯したわけではないので、厳密には侵略とはいえませんが、アジア・太平洋戦争は全体としてみると侵略です。

侵略という言葉はヨーロッパの自己中心主義

これは考えてみると、変な話です。他国の領土に侵入する行為は1928年に始まったわけではなく、19世紀にはヨーロッパ諸国は世界の陸地の8割以上を植民地として支配しました。その過程で戦争が行なわれ、アジア・アフリカの領土が侵犯されました。

だから日本が初めて侵略をしたわけではありません。不戦条約は当時の世界秩序の中で既得権を守る条約でしたから、その秩序を破った日本が非難されたのですが、これは当時のヨーロッパ諸国の植民地戦争が正しかったことを意味しません。ソ連も満州を侵略しましたが、戦勝国だから何もいわれない。

よい子のみなさんにわかるようにたとえていうと、1928年までは「泥棒してはいけない」というルールがなかったので、それまでによその家に入って泥棒したイギリスやフランスなどは罪に問われないのですが、「泥棒してはいけない」というルールができてから泥棒した日本が罪に問われるのです。

でも日本軍の「侵略」は許されない

「それは欧米のつくった勝手なルールで、日本だけが悪いわけじゃない」という反論には一理あるのですが、やっぱりルールを知っていながら泥棒したのは、それができる前とは違います。日本軍がよその国に行って多くの人を殺したことも事実です。

そんなわけで、少なくとも満州事変以降の日本の戦争は侵略だったといえます。これは定義の問題で、今さら論議することでもない。まして戦後70年もたって侵略かどうかが首相談話の最大の焦点になるのは時代錯誤です。

こういうややこしい問題がからむので、教科書問題をきっかけに、政府は「侵攻」という言葉を使うようになりましたが、これは国際法にもまったく定義のない言い換えです。単に他国を攻撃することと国際法違反の侵略は厳密に区別したほうがいいと思います。

今回はウクライナ問題で、また侵略が議論になっていますが、第2次大戦で日本軍が中国でやったことも、いまロシアがウクライナでやっていることも明白な侵略であり、戦争犯罪です。「どっちもどっち」ではありません。