原子力・エネルギー政策の混迷、自民党議員の考えは?

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石井孝明
経済ジャーナリスト

(写真)第2次安倍政権。自公連立政権

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福島第一原子力発電所事故の後でエネルギー・原子力政策は見直しを余儀なくされた。しかし新しい政策は、方向が曖昧で中身が決まらず、混乱の最中だ。与党自民党の4人のエネルギー問題に詳しい政治家に話を聞く機会があった。それを紹介しながら、エネルギー・原子力政策への政治の影響を考えてみたい。


取材では、無資源国日本では原子力を使うべきという「正論」を、政治家は主張し始めていた。しかし、推進への強い意志は見られなかった。この状況を一歩進め、まとめる方向に動き始めるべきと、筆者は思う。

自民党の大勢は、「原子力の活用を」

筆者は経済誌のエネルギーフォーラム3月号で、「原子力「再出発へ」高まる鼓動」という特集にかかわった。

額賀福志郎衆議院議員(自民党原子力政策・需給問題等調査会会長)、細田博之衆議院議員(自民党幹事長代行・電力安定供給推進議員連盟会長)、細田健一衆議院議員(自民党電力安定供給推進議員連盟事務局長)、阿達雅志(自民党参議院議員)の4人に話をうかがった。(筆者は細田博之氏には取材せず、文章の編集のみ)

取材では原子力の先行きが中心になった。以下がインタビューの要約だ。詳細は上記雑誌で読んでいただきたい。

1・原子力を一定の割合で使うことで全員が一致した。党内の大半が、同じ意見という。

2・福島原発事故を当然、全議員が重く受け止めていた。全員が東京電力の原発管理体制に問題があったと指摘した。ただし、原子力、さらに政策全般における国民の信頼が崩壊したことを受け止め、回復が必要と一致した。しかし「有権者の皆さまの納得感を得るのは大変難しい」(細田健一議員)という。

3・取材は2月中旬で現在進行中のエネルギー改革の議論が行われている最中だった。3月初頭に電力、ガス、簡易ガスの一体改革の方向の結論が出た。自由度を高めるエネルギー制度改革を全議員が肯定したが、住友商事勤務、米国弁護士の阿達議員は「原子力など決めるべき論点を決めずに進んでいる」と、性急な自由化を懸念した。

4・原子力規制委員会による、原子炉の新規制基準をめぐる審査の長期化、非科学的かつ膨大な過重規制、「活断層騒動」による理不尽な廃炉の可能性については、全員が「おかしい」と述べた。原子力の停止の結果、国富の海外流失、電力会社の人的、金銭的負担が増え、財務体質が急速に悪化している。これについても、原発の早期再稼動による経営の正常化の必要を指摘した。

5・核燃料サイクルは、その巨額の費用から、有識者の間から見直し論が出ている。これについて4人とも継続の国策を肯定。さらに再処理事業を行う日本原燃についても、その経営支援で国の関与も「考えるべき」(細田博之議員)という。

以上の自民党議員らの考えは、微妙な違いがあるものの、いずれも常識的だ。民主党政権ではエネルギー・原子力政策が混乱した。所属する政治家の意見も、対策を考えずに原発ゼロを主張するなど、支離滅裂なものが多かった。首相経験者の鳩山由紀夫氏、菅直人氏はそろって退任後に原子力批判を展開した。そうした状況から見ると、現在の自民党の政治家の見識と冷静さは際立つだろう。

しかし過去には戻れない

ただし各種の情報や報道を見ると、自民党内には、他の党よりは原子力を容認しているものの、原子力の推進の雰囲気はない。4人の議員との対話でも、その雰囲気を感じた。

現在のエネルギー政策の混乱の一因は、原子力発電所の長期の運営停止だ。その原因である規制委員会の問題の多い行政について、見直しを行うべきという意見が、有識者の間から出ている。この組織の強すぎる独立性などの問題だ。2012年9月に施行された原子力規制委員会設置法に3年目の見直し条項があり、今年15年は見直しの時期だ。

しかし、自民党議員らからは、大幅な組織見直しについて、慎重な意見が相次いだ。「規制委の活動の問題は承知しているが、これは発足直後で『慣れ』の問題があるだろう。今は再稼動審査に傾注すべき」(額賀議員)という。また原発の発電比率の増加、積極的な新設支援についても、各議員からは、現状を変革する強い前向きの意見はなかった。「マニフェストで減らすと約束した以上、原子力を増やす状況にありません」(同議員)とした。

「自民党政権になれば原子力発電の推進に動く」。2012年末の政権交代の際に、こうした見方があった。しかし筆者は、そのようなことにはならないと予想した。福島原発事故によって原子力の信頼は地に落ち、回復は難しい状況にある。そして国民の反感も根強い。それを打ち破る熱気を、自民党関係者から感じなかった。

その予想通り安倍晋三首相も、政権も、自民党も、原子力の活用を政治の中心的な課題にしていない。もどかしいほど動きは鈍い。

なぜだろうか。この4人とは別のある与党議員が言っていた言葉が、筆者には印象に残る。「原子力を過激に反対する人は社会の1割で、大半の人は原発当面は使うことを容認しているだろう。しかし今は小選挙区制だ。その数パーセントの人が選挙の当落を分けてしまう」。

こうした制度の下で、議員を強く批判できない。現在は少数意見であっても、政治を動かせる状況になっているのだ。議員は保身のためには、とても合理的に行動している。そのために国論の分かれる、原子力の活用を語る人がいなくなっているのだ。

政治家はもう一歩前に出て

今回取材した4人の議員は、原子力をめぐる自らの政治信念を、社会に向けて表明する敬意を持つべき人であろう。それができる人が少ないのが現状だ。

しかし、ここから一歩進めてほしい。原子力の位置づけを、政治の力で明確にしてほしいのだ

原子力は必要だという考えが、与党では根強い。一方で原子力に懐疑的な民意を尊重するのは大切なことだし、福島第一原発事故の真摯な反省は必要だ。しかし諸問題を受け止めた上で、前に進むべき時ではないだろうか。

筆者の個人的な立場は、原子力を国力維持、経済の活性化のために、活用しようというものだ。しかし、政治の現状は推進でも、反対でもない。進むのか、退くのか、曖昧な状況になって、決断が先送りされている。筆者の意見とは違うが、「原子力撤退」という結論は、成り立ち得る。ところが今は、その方向にも進んでいない。

決めるべき事はたくさんある。短期的には、原子力規制委員会の行政の見直しだろう。同委による審査の遅れの是正や、事業者と対話をしない行政への規制委員会への批判が強まっている。米国の原子力規制委員会(NRC)は独立性を与えられているが、米議会は調査や議員の追及によって、行政の横暴を抑えている。日本でも国会の力を活用して、原子力規制委員会の行動に是正をうながすことは可能だ。

長期課題として、政治の場で原子力の位置づけの再検討・再確認が必要であろう。今後、発送電分離など電気事業での自由化が本格化し、競争が激しくなる。電力会社の財務体質も当然、脆弱化が予想される。これまでのように原発を動かせるのか、あるいは核燃料サイクルを維持できるか、エネルギー関係者は懸念している。この国の中でエネルギー供給体制をどのようにするのか、方向を打ち出さなければならない。

曖昧な、何も決まらない状況の下で、時間と金が浪費されている。福島原発事故以来、14年度末までに事故の対応の費用は約11兆円もかかった。そして原子力の停止で代替燃料費は、同12.6兆円の見込みだ。さらに電力会社は、規制委員会の新安全基準の適応対策工事で、1兆円の支出をした。この膨大な支出は、すべて有効に使われたとも思えない。もっと縮小できたはずだ。そして、この負担は最終的に国民が引き受けることになる。

政治主導で始まった原子力

日本の原子力の歴史を振り返ると興味深い事実がある。その出発は政治家が主導した。初代の科学技術庁長官になった読売新聞のオーナーだった正力松太郎氏、そしてのち科学技術庁長官、首相になった中曽根康弘氏、社会党議員だった東海大学総長の松前重義氏が中心になった。(参考「1955年制定の原子力基本法–中曽根演説を読み直す」)

現在、原子力をめぐっては各関係官庁、さらに事業者の所掌事務の範囲内に限定され、横串を刺しての議論は難しい。これが混乱の一因となっている。1950年代にも状況は似ていたが、政治がそれを変えた。

自民党内には、原子力のリスクを正しく把握し、「現状はおかしい」「直さなければならない」という意見が満ち始めた。福島原発事故の直後と違って、正論が語れる状況にある。一歩前進と言える状況だが、さらに先に進めなければならない。

エネルギー・原子力問題で政治のできることはたくさんある。そして志のある政治家は、現状を憂うことで一致している。有言実行。世論の一部に阿(おもね)ることなく、あくまで国益の観点から政策を進めてほしい。

エネルギーをめぐる、真摯な議論が行われれば、賢明なる日本の国民の多数は、必ず冷静な判断を下した政治家を支持すると思う。