左翼小児病を生む「純粋信仰」

2015年03月28日 15:12
日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)

古賀氏のように「リベラル」が極左化して自滅するケースは珍しくない。私はそういう人を山ほど見てきた。中には内ゲバで殺された人もいたし、職場を追われた人もいた。それは彼らが悪意をもっていたからではなく、むしろまじめで純粋な人ほど、そうなりやすい。彼らの脳内にあるのは、山本七平のいう純粋信仰だと思う。

どこの社会でも倫理や規範は宗教にもとづいているものだが、日本社会には普遍的な宗教がないので、「自分の利益にならないことをする」とか「他人につくす」といった原初的な規範しかなく、それが美意識となって人々を強く拘束する。これを丸山眞男は古事記に見出し、キヨキココロの倫理と呼んだ。


本書で山本は、五・一五事件を例にとっている:ここでは天皇のためにつくすという動機の純粋性だけが問題で、その結果の良し悪しは問われない。

天皇の絶対と個人の規範が絶対化されれば、その人間が純粋に天皇を思い、規範においても純粋であればそれでよいことになります。五・一五事件の弁護論はすべてその発想にもとづく動機純粋論でしたよ。[…]要するに弁護の仕方は一つしかない。動機が純粋であった。だからふんどしまで替えていったと押してゆけば、それでいいのだという。

これで助命嘆願が100万通以上も集まり、首相を殺害したクーデタで一人も処刑されなかった。そういう純粋信仰の元祖が、吉田松陰である。「尊王攘夷」のテロリストも、古賀氏のように腹黒い幕府の役人に弾圧されることでさらに純粋な殉教者になった。

この伝統は戦後も生きていて、山本も指摘するように、そこでは尊皇思想の代わりにマルクス主義が純粋信仰の対象になった。共産主義が理想の社会であることは「科学的真理」なのだから、それを実現するために暴力を使うのは当然であり、ブルジョア議会と妥協するのは不純な「改良主義」だった。

こうした純粋信仰のおかげで、戦後の左翼は共産党と社会主義協会というマルクス=レーニン主義が主流だった。それに対して「反スターリニズム」を掲げた新左翼は、もっと極端な純粋信仰で、もっと早く消滅した。

こうした純粋信仰は、革命運動にはよく悪くも必要なものだ。人は損得勘定で革命や戦争は起こさない。しかし革命が成功した後は、危険な攘夷思想を抹消し、ファナティックな尊皇思想を官僚的な立憲君主制にすりかえることで、明治維新は奇蹟的に成功したのだ。野党がそういう「不純さ」をもつまで、日本の政治を変えることはできない。

4月からのアゴラ読書塾では、こうした戦後の左翼的知識人の挫折の歴史を振り返り、その原因を考えたい。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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