ホンダとマクドナルド、その共通点

岡本 裕明

マスコミなどで取り上げられ、いろいろ言われやすい会社はたくさんありますが、誰でも知っているBtoCの大企業が特にそのターゲットにされやすいのは世の常であります。逆にそれだけ多くの社外取締役ならぬ「消費側取締役」ないし「民間企業版オンブズマン」がいるからともいえ、言い方を変えれば貴重な意見が集まりやすく反省とその対策が打ち出しやすいともいえます。


その中でホンダとマクドナルドもメディアにしばしば登場するコメンテーターが多い企業でありますが、この二つの会社にはある共通点が隠されているように思えます。

ホンダ。伊東孝紳氏は2009年6月に社長に就任、2015年2月に退任しています。研究開発畑が長い中、リーマン・ショックが冷めやらぬ時に社長就任、その後、東日本大震災、タイの大洪水といった試練を乗り越え、連結売上はその間5割増、営業利益と純利益は2倍に増やしています。ここまで聞けば立派な社長としてホンダの歴史に残ると思われますが、決してそうではないところに伊東元社長の苦悩が見て取れます。

それは販売台数600万台という届かない目標の設定、地産地消の発想から日本からの輸出をほとんどなくした経営、フィットハイブリッドの5度にわたるリコール、そしてタカタ製エアバック問題と積み重なる問題でブランド価値を遺棄させてしまったことでしょうか?

一方のマクドナルドはサラ・ カサノバ社長が2014年3月に就任しました。同社の売り上げは同年7月の期限切れチキン問題や異物混入による影響もありましたが、実際にはマクドナルドがずっと抱えていた経営上から生まれた問題です。売り上げ減少傾向はそれら問題の発覚以前から続いています。つまり、前社長である原田泳幸氏の経営時代からの流れを断ち切れていないのであって、同社の問題はもっと遡らなくては本質を見失うことになります。

原田氏が社長在任期は2003年から2014年まででありますが、就任時の売り上げ3100億円から2008年の4000億円強まで増やした後、ぐっと下げ、2014年は原田氏が就任した時より売り上げは少なくなっています。実は原田氏の経営の一つにフランチャイズと直営店比率のマジックがあります。

店舗総数は3000店から3500店水準であまり変動はないのですが、2005年から09年にかけてフランチャイズがざっくり1000店から2000店以上となり、その分直営が減っているのです。今では直営1000店フランチャイズ2000店強のバランスです。理由は直営を減らせば店舗売却益が出るし、各店の広告などのコスト減に繋がるのです。原田マジックにより営業損益は2010年から11年にピークをつけ、その後急落となっています。

ホンダとマクドナルドに共通するもの。私は目先の数字目標が身を削る経営を引き起こしたと考えています。2000年代に入り、アメリカ式経営が跋扈し、MBAが経営の必須とも言われました。そこにあるのは四半期決算と株主の株価期待、経営側の短期成果を通じた錬金術ともいえます。事実、マクドナルドにおいてはアメリカ本社が5割の株式を持つため、これだけ業績が悪化しても配当は維持しています。つまり、アメリカ本社は吸い上げるだけ吸い上げる、という外資特有の経営戦略なのであります。(同様なスタイルは日産自動車にも見て取れます。)

私はずいぶん前、マクドナルドを救う為にはまずは日本人のトップを据えよ、と申し上げました。今になって10年も前に代表取締役だった下平篤雄氏をCOOに呼び戻しましたが、アメリカ人の会長も就任する中、どれだけ日本的スタイルが維持できるか、予想困難であります。

ホンダも○○○万台クラブに対する固執、そして、トヨタの背中を追い続けたことで経営の独創性はすっかり失われました。水素自動車、天然ガス自動車、ハイブリッドから軽自動車まで自動車のデパートと化し、専門性が失われたことは大きいと思います。北米の高級ブランド、アキュラのネームバリューはどこに行ってしまったのか、と言いたくなります。

中国という巨大市場が数の上で圧倒する世界が容易に想像できる中、日本が目指さなくてはいけないのは独創性と個性そのものであります。これは日本の○○社でしか手に入らないという戦略に他なりません。

MBAを通じた戦略が経営的数字の良化を通じたものであるのに対して日本的な現場との一体感、こだわりの経営が新たなる経営スタイルとして確立され、まずは日本企業が自信を持ち、立ち直りをしなくてはいけません。ホンダ、マクドナルド両社が歩んだ苦労は我々に大いなるヒントをくれたと思っています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 4月2日付より