社会格差を大きくしない成長を目指すミャンマー --- 森 宏一郎

アゴラ

まさか、自分がミャンマーの国家公務員に対して授業をする機会に恵まれるとは思わなかった。2月上旬、ミャンマーの若手国家公務員を中心に16人が滋賀大学にやってきた。2週間の短期集中型の研修プログラムを実施したのである。

カバーした分野は経済・金融・企業・農業・環境・政策・統計学と多岐にわたる。それに加えて、滋賀、京都、東京でさまざまな視察・外部講義が行われた。いずれも「包含的な成長」すなわち「社会格差を大きくしない成長」を統一的テーマとしている。

今回のコラムでは、研修プログラムを通して、ミャンマーについて考えたことを書いてみたい。


◆ミャンマーと日本

ミャンマーは軍事政権から民主化し、経済成長が期待され、世界から注目を集めている国である。おもしろいことに、ミャンマーの軍事政権時代から、日本はミャンマーと友好的な関係を築いてきた。

また、ミャンマーは仏教国で、日本人とミャンマー人は文化的背景としての共通性が比較的多く、なじみやすいところがある。これらに着眼して、笹川平和財団の支援をいただいて、研修プログラムを企画したわけである。

これから経済が離陸するミャンマーは人口ボーナスもあって、高度経済成長が期待されるため、欧米の先進国やグローバル資本も投資先として注目しているだろう。しかし、国内外の資本家だけを利し、社会的な格差を拡大するような事態は回避したいところである。

従来の日本型経済システムは、アメリカのアングロサクソン型経済システムとは異なり、包含的な成長メカニズムを持っていると考えられる(アルベール・ミッシェル(2011)『資本主義対資本主義』竹内書店新社を参照)。したがって、日本はミャンマーに伝えられることを多く持っているはずである。

さらに、米国発の面白い現象もある。多くの米国企業は、上下階層が分離したピラミッド組織、成果主義報酬に立脚した個人主義、効率的実行への集中によって、組織学習に支障をきたしているという。そこで、組織学習のためのチーミングが提唱されているのである(エドモンドソン・エイミー・C(2014)『チームが機能するとはどういうことか─「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』英治出版を参照)。

だが、トヨタ・システムを象徴として、現場で自律的に組織学習を行うチーミングは日本型企業組織の十八番である。そのため、「何を今さら、そんなことを」という思いがある。だが、日本もグローバル化の名の下の米国化を反省するときが来ているのかもしれない。

◆ミャンマーの資本市場の意味

「どうすると儲かるのですか?」
今年、ミャンマーに証券取引所が設立される。そのため、ミャンマーの証券取引所・資本市場に関するプロから特別講義を受ける機会を研修内に設けた。そのときの研修者からの最初の質問がこれである。

答えは言うまでもないことだが、「必ず儲かる方法はありません」だ。だが、研修者は「それなら、何のために証券取引所を設置するのだ?」と質問を続けた。

これに対しては、もちろん「経済成長のために、企業の資金調達を効率化するため」というのが答えである。しかし、研修者たちは「証券取引所がなくても、今も企業は個人から株式を媒介に資金調達できている」という。

事業規模イメージが、彼らが現在イメージできる程度の大きさにとどまっているのである。事業規模が大きくなれば、企業がバラバラに存在する小さな個人から小さな資金を集めるというのでは、情報探索コストなどの取引コストが高すぎる。

このような話の展開で、研修者はあくまでも、自分たちがどうやって儲けるのかということに執着していた。資本市場は自分たちが儲けるための場所という認識のように見えた。

しかし、ミャンマーに証券取引所が設定される意義と彼らの国家公務員という立場を考えれば、自分たち個人の利益を上げるのは副次的な関心でなければならない。ミャンマーの経済発展のために、いかに公正かつ効率的に資金調達のための市場をつくるかということに集中しなければならない。

まじめで素朴に見える彼らが資本市場の話になった途端、自分たちが儲ける方法の話になったのはややショックでもあった。もちろん、市場参加者が利益を追求するからこそ、資本市場は効率的な資金配分を実現するわけだが、この側面が強調され過ぎるのはどうかという思いもある。包含的な成長の敵になるかもしれない。

◆先生は絶対的な存在?

国によって教育方法は異なる。先生と学生の関係、先生の存在をどう見るのかということが、教育方法に大きな影響を与える。

ミャンマーでは、先生は絶対的な存在なのだそうである。そのため、自然と、先生が学生に教えるというスタイルになる。先生と学生の間でディスカッションをするというのは非常に難しい。また、先生に質問されたら、絶対的な正解と思えなければ、答えるのを躊躇するという。

この辺りは、欧米のソクラテス型教育ではなく、アジアの孔子型教育として、ある程度日本も共有する文化である。だが、日本は少子高齢化、環境問題、過大な政府借金などの課題先進国であり、一方通行で知識を身につけるだけではうまくいかなくなってきた。

現在、経済でも環境でも、問題はグローバルにつながっており、これから大いに経済発展・高度成長するミャンマーでも、単純に知識を仕入れればうまくいくという世界ではないかもしれない。ある程度、唯一の正解が存在しないような問題・課題について議論するということが必要だろう。

最終日、フィッシュボール方式のディスカッションを実施したが、研修のはじめのときとは少し様子が違っていて、自分の意見を堂々と話すようになっていたのには少し感動した。ミャンマー人のスーパーバイザーによると、研修者の何人かは、あの中では言いにくいことも発言していたそうである。

◆おわりに

研修プログラムが微力ながらも日本とミャンマーの架け橋になればと思う。来年度も実施できるかどうかはまだ分からないが、何年か継続できればと考えている。将来的には、多くの日本のNGOや民間企業を巻き込んで、ミャンマーに「包含的な高度経済成長」が起きれば良いと願う。

森 宏一郎
滋賀大学国際センター教授


編集部より:この記事は「先見創意の会」2015年4月7日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。