「菅・翁長会談」後の普天間基地移設問題

北尾 吉孝

米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題を巡り、日本政府と沖縄県の間で「対立」が深まっていた中で今月5日、菅義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事との初会談が行われました。


当該会談の後、菅官房長官は「これから沖縄県と話し合いを進めていく第一歩になった」と述べられ、翁長知事は「きょうの会談を取っかかりとして大切にしなければならない」と述べられたとの報道もありましたが、これから後、此の会談を機に様々なチャネルを通じて対話を続けて行くことが大事だと思います。

沖縄では昨年、1月の名護市長選で移設反対派の稲嶺進氏が再選を果たし、11月・12月に実施された「知事選や衆院選の県内4小選挙区すべてで反対派が勝った」わけですから、そこに名護市の民意・沖縄県の民意というのは反映されているのでしょう。

事実、沖縄県民を対象に沖縄タイムス社により実施された電話世論調査(4月3~5日)では、『辺野古での新基地建設の賛否は「反対」が76.1%(中略)。「賛成」は18.2%にとどまった』との結果が出たようです。

他方で辺野古移設というのは一つの国策、換言すれば今後の日米関係における重要な要の一つでありますから、沖縄の民意が国民の民意かと考えてみるに、やはり国民の民意というのは日米関係の重視というところにあるのではないかと思います。

それは、読売新聞社により実施された全国世論調査(4月3~5日)にあって、辺野古移設という『安倍内閣の方針を「評価する」とした人は41%で、「評価しない」の41%と拮抗した』との結果に表れているとも言えましょう。

そもそも何ゆえ此の基地問題が今に至るまで之だけ拗れてしまったのかと言えば、それは09年11月の日米首脳会談における「トラスト・ミー」発言がそれを端的に現している通り、一国の約束の重みというものを全く理解していない鳩山由紀夫氏が日本国総理として、9ヶ月(09年9月16日~10年6月8日)もの長きに亘って稚拙な対応を繰り返してきたからです。

自民党政権時に「野中広務さんらが、何度も沖縄に通い、県民と膝を交えて話をし、やっとのことで合意を得」て折角収まっていた問題であったにも拘らず、鳩山氏は「県外移設、県外移設」と散々喚き散らし此の問題を拗らせた挙句、右往左往して何も出来ないままに結局、名護市辺野古への移設で日米合意した状況に至ったということです。

そして更には続く菅政権にあっても、普天間基地の移設問題で連立を離脱(10年5月)した社民党と再び連携して行こうとするなど、党として貫かれた政策の柱あるいは政権の国家ビジョンや安全保障観というものが当時皆無であったが故に、現在にまで引き摺る形で日本の安全保障環境を悪化させてしまったのです。

現下進行中の当該問題に対して私見を申し上げるとすれば、日本政府としては一旦辺野古への移設を進め、また何処かの時点で再移設の可能性を検討するということであろうと思われます。換言すれば、先ずは地元民の理解を得て普天間の固定化に至らないように、現政権としては努力することを約束するしかないでしょう。

そういう意味では今回の「菅・翁長会談」の後、例えば石原慎太郎氏が「沖縄の県民感情は戦争体験を踏まえているので、説得は非常に難しい。官房長官が(沖縄に)出かけるのは大事なことだ。足しげく(通って)努力すべきだ」との考えを示された上で、沖縄の米軍駐留の継続につき「これから先の最悪の事態を考えると、不可欠になる」と指摘されているようです。

前沖縄県知事の仲井眞弘多氏にしても、辺野古の移設支持を宗旨変えし県外移設を求めたものの最終的に辺野古沖埋め立てを承認しているわけで、適当な表現が「粛々」か「堅実」か「適切」かは分かりませんが、少なくとも一つの方向性の中で双方が対話を重ねて行くしか道はないということだけは確かです。

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