都構想2:竹本はん、辻元はん、大阪を壊しよって、何悪い

北村 隆司

「私は、大阪に生まれ、大阪に育ち、大阪を愛しています。愛する大阪を壊してはなりません!」

これは、「大阪都構想反対」を主張する自民党竹本直一、民主党辻元清美両大阪支部長の街頭演説に共通した一節である。

有権者には心地良く響きそうなこの言葉だが、かつては、東の東京と並び称され、西日本の中心地として君臨してきた大阪の、目を覆うばかりの地盤沈下の惨状を認めない人の言葉でもある。


グローバル化を始めとする激動の波が世界を襲っている今日、大阪に限らず、何処の国、何処の都会でも、政治の仕組み、統治の仕組み、意思決定の仕組みを考え直す時期に来ている事は確かだ。

そして、見直しを怠れば未来が無い事も火を見るより明らかである。

ここでもう一度、先の拙稿(都構想1:竹本はん、辻元はん、あんたらどっち向いとんねん)でも触れた辻元議員の「理念と政策」と竹本議員のオフィシャルWEBに、目を通して欲しい。

そこに、「大阪の栄華を取り戻ずプラン」が盛り込まれているだろうか?

政策に夢は大切だが、「政治は現実」と言う政治家の責任を考えると、夢の実現への道程を示す事は最低の義務である。

辻元議員の政策は、個人的な「願望」の羅列であって、実現への道程はおろか、大阪の未来への「理念」も「政策」も見えない。

竹本議員の政策に至っては、公共投資中心の「国頼り」一辺倒で、「他力本願教」の経典かとすら思える。

1970年代をピークに減り続けている大阪の人口を取り戻すには、今の大阪を壊してでも新たな「魅力」を作らなければその実現は難しい。
豊臣秀吉が居城した栄光の大阪は、徳川政権に到り実質的な首都機能が江戸に移転した後も、経済の中心地としてその存在感を発揮し続け、昭和に到るまでその名に相応しい存在感があった。

ところが、合理的で自由な発想を強みとしていた筈の大阪が、いつの間にかその強みを失った事も手伝い、忍び寄る産業構造の変化に気がつかず、琵琶湖とそこに繋がる広大なヒンターランド、淀川流域の水運の良さ、交通の便などの地理的好環境が、除除にその魅力を失い始めている事に気がつかず、変化に即応する「構想」を打ち出せなかった事が、大阪の衰退に拍車を掛けた。

合理的で変化に対応する能力に長けた大阪気質が、いつの間にか東京化して、権力に擦り寄る事のほうが楽な事をおぼえて仕舞ったつけが、大阪の衰退を呼んだのであろう。

この事を、昔の人は「油断大敵」と言って戒めた。

大阪の更なる地盤低下の阻止には、「東京とは違う」と言う良い意味での気概(対抗心?)と、「お上の言うことなんか知るかい」と言う姿勢を美徳とする大阪人気質を取り戻し、日本の諸悪の根源である過度な中央集権を排し、地方分権を勝ち取る事に限る。

私の見る最近の大阪人は、「栄光の大阪」への回帰を諦め、東京と同じ方向を志向している。この事が、大阪を地方都市レベルに落としてしまった大きな理由である。

こうして、進取の気風を失った大阪は、東京や韓国との国際空港開設の大きなタイムラグを産み、人と人とのコミュニケーションが命綱であるソフト産業の大阪での発展に致命的打撃を与える事となった。

関西圏の大企業が軒並み東京に本社機能を移した事も、大阪の地盤沈下と財政悪化の大きな原因となったが、本社機能の呼び戻しには、大阪改造と言う自助努力だけではなく「地方分権」が必須である。

首都圏、特に東京への政治・経済の一極集中は、大阪の経済的利益以上に、自然災害の多い日本の危機管理上からも大問題であり、地方分権の実現は、日本全国に共通した喫緊の課題である。

この様な深刻な事情を抱えた大阪を「壊すな」と連呼する事は、何としても「埴生の宿」に住み続けたいと叫ぶに等しい。

「ホームスイートホーム」と言う有名なアイルランド民謡は、日本でも「埴生の宿」と言う名前で愛唱されているが、「埴生の宿」の意味は「自分の生い立ちの家は、床も畳もなく粘土を剥き出したままの粗末な造りでも、如何に豪華な殿堂よりずっと楽しく,頼もしい」と言いう意味だが、個人的情緒を別にすれば、狭くて使い難いボロ屋と言う意味だ。

大阪人には「ホームスイートホーム」のよに思える大阪も、大阪の発展の為には欠く事の出来ない移住者や大企業の本社機能側から見れば、狭くて住み難い「仮設住宅」の設備を更に悪くしたバラックとしか見えない現実を直視すべきである。

従い「大阪都構想」の論議は、先ず「埴生の宿(仮設住宅)」状態の大阪を「改築」する必要があるか否かがキーポイントであり、竹本、辻元両議員を始めとする「改築無用論者」は「大阪都構想」を批判するのではなく、大阪の現状維持を主張するのが常道である。

それとも、大阪改築必要論であれば、「大阪都構想」に代る「改築プラン(設計図)」を提言し,「大阪都構想」の弱点を徹底的に指摘する論争を繰り返して欲しい。これは、大阪の将来の為に歓迎する処か、必要なプロセスだと思っている。

ただし、「改築」には例え一部ではあっても「破壊」が必要である事は当然で。それを否定する竹本、辻元両議員に「大阪壊しよって、何悪い」と反論した次第である。

本稿は、「大阪都構想支持」が本意ではなく、何らかの形で大阪の改装が必要だと言う事を強調したかったに過ぎない。

合理的な考えや柔軟な行動で知られる「大阪気質」を持つ筈の大阪で、何故、保守的で他人本願の竹本、辻元両議員が議席を維持出来るのかは理解に苦しむが、それは兎も角、「竹本はん、辻元はん、あんたらほんまの大阪人?」と言う疑問を招いた、統一地方選でのお二人の街頭演説であった。

2015年4月8日
北村 隆司