わかりにくいことを伝えていくということ --- 河原 ノリエ

アゴラ

「わかりにくい本をつくりましょう」
これは、私の本の担当編集者が開口一番言った言葉だった。

PVと呼ばれるページビューが次のトピックスを決め、アルゴリズム的なキューレーター機能が、編集人に取って代わりそうな勢いのWEBジャーナリズムの興隆のなか、わかりにくい話題というものは、時代の中で置いてきぼりをくらっている。


以前もこのコラムで書いたが、ソーシャルメディアの台頭により、情報空間はより短期的なスパンで均一化している。そして、中長期的な視点を社会のなかで掘り下げ、一見わかりにくいことを深く考えることを好む読者を想定した良質な論壇誌が姿を消していっている。

冒頭の言葉はこうした時代風潮への彼女のささやかな反撃だったと思う。

社会のありようが複雑になり、社会課題の解決に必要な智慧の専門性がどんどん増していくなか、情報空間においては複雑な課題を人々の眼をひくようなキャッチフレーズでわかりやすくまとめて伝える職人芸のような技がもてはやされていく。

言葉が広告業界のコピーライターの書いた文章のように軽くなり、ジャーナリズムが情報産業であるより、言論機関であったということを私達は忘れてしまっている。しかもなによりも、複雑な事象を単純化して理解していく事柄の恐ろしさに気づく機会すらもはや失いつつあるのだ。

ひとは言葉で思索し、言葉で伝え、関係を構築し、未来を切り拓いて来た。それに応えるために、良心的な活字媒体たちは、それぞれの眼差しをたよりに、どこにフォーカスを当て、どのアングルでどう切り取るかを、ある種の切迫感のもとに日々闘い、時代と切り結んできたはずだった。

この4月から、私達の講座は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府に移った。東京大学の中でその歴史は新しく、2000年に創設された大学院であるが、もともとは戦前から文学部の中にある新聞研究室が戦後東京大学の新聞研究所となり、その後1992年から社会情報研究所となった組織を受け継ぎ、発展してきた研究教育組織である。

この複雑化する情報社会における「情報」を巡る諸領域を学際的に連携するネットワーク組織であるこの研究機関で、我々の研究テーマである「アジアのがん」という、ある意味言葉でとらえるにはわかりにくい難問をいかに今日的な社会課題として学際的に捉えていくかを目指していく。

我々が大学院生向けに開講して今年5年目に入る東京大学全学研究科等横断型教育プログラムのなかの授業「アジアでがんを生き延びる」は、文理融合型の学際基盤の重要性を学生に認識させるためには格好のラーニング装置であると考えている。

様々な領域の第一人者である講師によるオムニバス方式の講義で、アジアのがんという重い共有課題を通した思索の場となっているこの講座で講義を依頼すると、ほとんどの講師は、何を語ったら良いのかはじめは戸惑う。アジアとがんという概念、この言葉について語ることがなぜ難しいのか。それはこの両者を結びつけてテーマにして考えてこなかったからである。学問は問いたてて学ぶことである。研究の価値はどんな問いを立てられるかで、その成果が左右される。

このアジアのがんという問いは、いまの日本においてどんな意味をもつ問いなのか? この講義は、がんを医学はもとより、政治・経済・文化など様々な領域から捉えてみることを通して、世界の内実を読み解くことを学問的考察の端緒とする「Cross-boundary Cancer Studies」という学際連携プログラグラムの中で、受講者は、それぞれの専門分野に引き寄せて、オムニバスで展開されるアジアのがんを巡る各テーマごとに深堀りされていく場所に降りていくことで、普遍的な問いの輪郭を掴み、自らの研究の相対化に繋がる仕掛けともなっている。

今回から授業は1コマ105分となり、以前より15分ほど伸びる。それを受けて、ジャーナリズムの中から編集長という立場にある人たちにも時には来ていただいて、それぞれの視点からのコメントをもらうこととした。雑誌はそれぞれの世界観のなかで展開されるものであり、編集長という存在は、今という時代状況の中でその世界観の上に屹立して切実な問いに日夜さらされているのではという思いからである。目先のPVに左右されることなく、わかりにくい事柄を深く考え、伝えていくことを使命と考える人にお声かけするつもりだ。メディアこそ、メディア(媒体)であり、学際の知を社会で広げていく基盤のはずである。

その一人でもあり、この講義と連動した東京大学現代韓国研究センターのプロジェクトにも関わってもらってきた週刊金曜日の平井編集長は、私からの問いかけにこう答えてきた。

「言葉と歴史事実がアジアに緊張をもたらしている。言葉による関係構築はハイコンテクストの相互理解方法である。言葉が軽くなっている日本は今、文化や言語についてハイコンテクスト化がこじれ、海外からはよりわかりにくい国なっている。一方、アジアのがんに纏わる連携は形をつくりつつある。それはがんが、ルールや事実を相互共有しやすい科学と資本主義経済を巻き込む存在だからである。国境を越えて共有できる価値観と認識は、言葉や人種を超える。言葉を超えた価値観をアジアという複雑化した関係に取り入れることによって、普遍的な価値を共有し、言葉を取り戻す可能性をみつけることができるのではないか。」(一部抜粋)

戦後70年という節目にたち、日本がアジアとどう向き合っていくべきなのか? その問いかけとして、アジアのがんという難問に問いを立てていくことが、日本とアジアの現実に向き合う対話の回路をもつことである。平井編集長の言葉にあるように、アジアのがんというわかりにくい言葉の背景を想像し思考し経験し関係性を構築していくことによって、このアジアで生き延びるための言葉や意味を取り戻していかなければならないと考えている。

河原 ノリエ
東京大学大学院情報学環・学際情報学府特任講師


編集部より:この記事は「先見創意の会」2015年4月14日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。