安倍首相はなぜ「危険人物」とみられるのか

先週の米議会演説はいいスピーチだったが、中国や韓国が批判するのはしょうがないとして、NYTまで安倍首相を「右派の危険な政治家」と書き、内田樹一派に至っては「日本を戦争に巻き込むことが安倍の目的だ」と思い込んでいるのは、なぜだろうか。


一つには、彼の祖父が戦犯容疑者だったという影響があるのかもしれないが、これを孫の責任にするのはかわいそうだ。安倍氏自身はコンセンサス型の政治家で、党内運営も安全運転だ。安保政策以外は、リスキーな問題にほとんどさわらない(金融政策は理解していない)。

もう一つは憲法改正だが、これは自民党の党是であり、それを掲げるのは総裁として当然である。最近の総裁の中でも、改正に反対したのは宮沢喜一と河野洋平ぐらいだ。集団的自衛権は既定路線で、むしろ外務省の考えていたより腰の引けたものになった。

このように消去法で考えると、どうも「歴史問題」が誤解のもとになっているのではあるまいか。慰安婦問題は朝日新聞が「自爆」して収まったが、靖国参拝は余計だった。菅官房長官も反対したらしい。遺族会などは喜ぶだろうが、この世代はもう自民党のコア支持層ではない。

だとすると、安倍氏がここまで靖国に執着する原因は、単なる支持者サービスではなく、長州的ナショナリズムともいうべき情念ではないか。これは他の地域の人には想像しにくいが、長州人の郷土意識の強さは尋常ではない。

ある会で私が「今年の大河ドラマは吉田松陰なんてテロリストを主人公にしたからこけたんだ」というと、隣にいたエコノミストが激怒してびっくりした。彼が長州の出身とは知らなかったが、山口県人にとって松蔭は神様みたいなもので、靖国神社も、もとは安政の大獄で殺された長州藩士をまつる「招魂社」という慰霊施設だ。

そう考えると、安倍氏が靖国神社に特別の愛着を感じる気持ちはわかるが、これは天皇家のために死んだテロリストの神社であり、NYTなどが”War Shrine”と書くのは、まったくナンセンスともいえない。

松蔭に代表されるファナティックな尊王思想が国家統一のエネルギーになった一方で、戦争に暴走する原因になったことを考えると、こういう明治国家との連続性を強調することは、対外的イメージ戦略としては最悪だ。

現実的な安全保障の観点からみても、太平洋で米中の対立が強まる中で、アメリカが重視しているのは価値観の共有だが、この点で韓国はあやしくなってきた。安倍氏は、むしろ米議会の演説のようにリンカーンとの共通点を強調するほうが賢明だろう。