なぜ幸せな人々は「責任」を感じるのか --- 長谷川 良

2015年05月06日 09:07

英王室からグットニュースが届いた。ウィリアム王子とキャサリン妃夫妻に第2子の女の子が誕生したのだ。王子夫妻が笑顔をたたえながら病院前で赤子を抱えて映る写真が世界に流れた。ウィリアム王子夫婦の喜ぶ姿は幸せを絵に描いたように華やかだ。プリンセス誕生の写真を見る私たちも笑顔がこぼれてくる。幸せであることの喜びを体いっぱいに溢れさせるキャサリン妃の姿はとても印象的だ。


一方、目を地中海に移すと、北アフリカ・中東諸国の紛争地から逃げてきた難民たちで溢れる船舶、それを救済しようとするイタリア警備船が映った写真が流れてきた。地中海には既に数千人の難民が溺れ死んたという。それもここ数年でだ。「地中海は墓場となる」と警告を発したマルタのジョセフ・ムスカット首相の言葉は久しく現実となっている。

上記の全く異なるニュースを並列に紹介したのは理由がある。単純に「幸福」と「不幸」を並列にしたのではない。少なくとも、当方にはそのような意図はない。2つのニュースは21世紀に生きている私たちに多くのことを教えていると考えたからだ。

人は誰も不幸を退け、幸福を追い求めている。それは個人レベルから民族、国家レベルまで、幸せになりたいという人間の飽くなき願望があるからだ。そして21世紀に生きる私たちは、少なくとも前世紀より物質的、外的環境では恵まれた社会で生きている。ウィリアム王子夫妻の喜びを我々も共有できるように、悲しみや不幸な出来事をも共有し、連帯できる時代圏に生きている。

難民たちの姿を見る度に、幸せには「責任」が伴うと痛感する。幸せな人はそうではない人に対して「責任」がある。なぜならば、喜んでいるこの瞬間に涙を流している人が傍にいるからだ。昔はそれが分からなかった。インターネット時代が到来し、ソーシャルネットワークが広がる今日、幸せな人もそうではない人が生きていることをリアルタイムで感じ、目撃できる時代圏に生きている。「責任」は無知からは湧いてこない。幸い、わたしたちは地球の裏側でも同じ人間社会が存在していることを見、知ることができる。「責任」が生まれる理由だ。

地中海の難民だけではない。同じこの時、ネパールの大地震で考えられない多くの人が犠牲となっている。幸せには「責任」が出てきたのだ。幸せな人は「自分は知らなかった」とはもはや弁解できないのだ。

昔は幸せを享受している人々は特権階級であり、支配者階級だった。彼らは自身の幸せが他の犠牲の上に成り立っていることを薄々知っていたから、自身の幸せに没頭し、恣意的に「責任」を感じないように生きてきた。そのような時代は終わった。

幸い、自分の富みを他の貧しい人々の救済に充てたい、といった抑えることのできない衝動を感じる幸せな人々が出てきた。貧富の格差、幸福の格差に人々は昔以上に敏感となってきたからだ。数年前の米ニューヨークの「反ウォール街デモ」だけではない。世界の到る所で貧富の格差是正を訴える人々のデモや集会が行われている。幸せな人々は、自分たちだけが幸せであることにもはや耐えられなくなってきたのだ。

世界一の富豪、ビル・ゲイツ氏がマイクロソフト社の一線から退いた後、夫人と共に慈善団体(「ビル・メリンダ・ゲイツ財団」)の活動に専念し、貧者救済に乗り出している話は有名だ。もし彼とインタビューできる機会があれば、当方は一つ聞きたいことがある。「あなたは貧しい人々の救済に努力しておられるが、それはあなたの幸せの為か、それとも貧しい人々を幸せにしたいからか」と。多分、ゲイツ氏からは「両者の幸せの為だ」という答えが戻ってくるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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