極右政党の躍進と社民党の苦悩 --- 長谷川 良

アルプスの小国オーストリアの州選挙についてコラムを書くことはこれまでほとんどなかったが、今回、ブルゲンラント州の選挙結果とその後の連立交渉について読者に報告しなければならないと感じている。ブルゲンラント州で5日、ニスル州知事が率いる社会民主党と同州の極右政党「自由党」の連立政権が発足することになったのだ。


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▲オーストリア社会民主党党首のファイマン首相(社民党HPから)

オーストリアで先月31日、ブルゲンラント州とシュタイアーマルク州の両議会選挙が実施され、両州で知事を出す与党社民党が大きく得票率を失う一方、野党の自由党が議席を大きく増加させた。結果は予想されたことだが、社民党の後退は選挙ごとに一層鮮明となってきた(ブルゲンラント州議会選、社民党41・92%、-6・34%、自由党15・04%、+6・06%)

ブルゲンラント州のニスル州知事は投票結果が判明するや第2党の国民党ではなく、第3党の自由党との連立工作を始めた。その理由として、「有権者が刷新を願っているからだ」と説明、社民党と国民党の大連立政権では新鮮味がないだけではなく、刷新を願う有権者の声を無視することにもなる、というのだ。

与党の社民党はこれまで自由党とは連立を組まないことを半ば党是としてきた。自由党の外国人排斥や移民政策に同意できないことがその主要な理由といわれてきた。ファイマン連邦首相はブルゲンラント州社民党の決定に対し、「州の党が決めたことだから」と冷静だが、「連邦レベルでは自由党との政権は考えられない」と繰り返し述べた。

社民党関係者には自由党との連立には強いアレルギーがある。選挙の度に、「自由党とは絶対組まない」「自由党は政権担当能力がない」と口癖のように言ってきた。州レベルとはいえ、その社民党が自由党と連立政権を発足させるということは大冒険だったはずだ。

自由党との連立工作が伝わった段階で、社民党青年(SJ)は強く抗議し、「ファシズムの自由党とは連立すべきではない」と主張し、ウィーン市の社民党本部前でデモを行ったばかりだ。

ブルゲンラント州議会の動向に神経をとがらせているのは、10月11日に市議会選挙を実施するウィーン市だ。同市社民党は戦後から今日まで市議会の第1党を維持し、「ウィーン市は赤の砦だ」といわれ続けてきた。ホイプル市長はこれまで「自由党とは絶対に連立しない」と言い続けてきた政治家の一人だ。

社民党が自由党との連立もあり得ると言い出せば、自由党との対立を浮かび上がらせることで有権者の支持を集めてきた同党のこれまでの路線を見直さなければならない。社民党が自由党をパートナーとして受け入れれば、得するのは野党の「緑の党」だ。「わが党が唯一、外国人排斥の極右政党自由党とは一線を置いている」と強調することで、社民党に流れていた反自由党票を奪うことができるからだ。

社民党は1983年、連邦レベルで自由党(ノルベルト・シュテーガー党首)と連立を組んだことがあるが、当時の自由党がまだリベラルな政党だった。イェルク・ハイダー党首が1986年、党首となってからは、自由党は極右派傾向を強めていった。そのハイダー党首の自由党と連立を組んだ国民党主導のシュッセル政権(2000年2月~07年1月)は欧州諸国から強い反対を受け、制裁を受けたことはまだ記憶に新しい。

ハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ現党首はハイダー氏(2008年10月11日、交通事故で死去)ほどではないが、外国人排斥、オーストリア・ファーストの政策を継承している。その上、マリーヌ・ル・ペン党首が率いるフランスの右派・国民戦線(FN)やオランダの極右政党・自由党のウィルダース党首との連携を強化し、欧州で極右旋風を巻き起こす狙いを秘めている。

ちなみに、社民党にとって、自由党との連立はマイナスだけではない。連立工作でこれまでは国民党しか政権パートナーがなかった。だから国民党に譲歩を強いられてきた。自由党との連立が可能となれば、自由党カードを利用でき、国民党との大連立交渉を有利に進めることができるからだ。

社民党内には、自由党アレルギーが強いから、連邦レベルの連携は現時点では非現実的だ。いずれにしても、ブルゲンラント州の社民党と自由党連立政権の発足は社民党に党路線の変更を強いることにもなる。それが社民党にとってプラスかマイナスか、その判断はウィーン市議会選の結果を待たなければならないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。