密かに台湾防衛を支えた日本軍人-防衛協力を考える

2015年06月25日 01:04

他人の国に干渉するな

日本の「右」の人は、名誉とか信義とかを重んじるため、人柄は「左」より良い人が多いのだが、自己中心的で、ちょっと常識からずれることがある。

台湾で昨年3月に大学生が国会を占拠した(ひまわり学生運動)。現在の国民党政権の馬英九総統の進める中国との一体化政策を批判したものだ。運動は理知的で、暴力沙汰も起こらなかった。また政治的な争点を一つに絞り、政党などに運動が利用されないようにした。日本で騒音デモとか、はしたない街宣活動が最近目立つが、参加する日本の左右の活動家ら(どうも高齢者が多いが)は、台湾人の学生らから学んだ方がいいだろう。(写真はひまわり学生運動の光景)

Occupy_Taiwan_Legislature_by_VOA_(1)

このときに知人の台湾人女子留学生に「何か支援をしたいのだが、日本でどうすればよいのか」と聞かれた。私は日本の政治情勢から以下の提案をした。

「日本人の台湾への親近感は大変根強いので支援は広がるだろう」

「ただし日本では「右」に分類される人たちが台湾を異常に好きだ。親日の李登輝元総統を崇める人もいる。また「反中国」で強い共感を持つ人もいる。しかしこうした右派は日本で傍流の人だし、台湾の人に変な風に受け止められるので近づかない方がよい。日本には「ひいきの引き倒し」という言葉がある」

「台湾本国の学生達は政治的中立性に配慮している。また留学生の本分は勉強だ。あなたたちはエリートで帰国後要職につくだろうから、政治活動は好ましいとは思われないだろう。留学生の多い東大か慶応で募金活動とシンポジウムをしたらいかがか。目立ちすぎてはあなた方のためにはならない」

すると数日後、「石井さんの予想通りになりました」と、不快そうな連絡があった。

soku_20153右のいくつかの団体の数十人が、東京の台湾の代表部を、台湾独立派と称するグループと共に取り囲み日章旗、旭日旗を立て、国民党政権を拡声器で批判した。彼らの拠点になっている某放送局(仮名とする)が、それを放送したそうだ。

すると「旭日旗をはためかせた日本のウヨク集団が台湾代表部を取り囲んだ」と、台湾のテレビニュースで伝わり、一部で反感を生んだという。ちなみに、この女性留学生の曾祖父は国民党の官僚で国共内戦の時に大陸から逃げてきた「外省人」で父から怒りの感想を述べたメールがあったという。この家族にとって日本は敵国だったのだ。

台湾の人々は自国、そして個人の民族、国家意識で複雑な葛藤を持つ。外省人は2割をしめる一方で、日本統治時代をなつかしむ人も、それを否定する人もいる。ただし、韓国のような異常な反日は目立たない。そして「台湾完全独立派」は、少数だ。

そうした他国の事情をわきまえず、台湾代表部に押し寄せた日本の「右派」は、日本人に心地よい外国像を勝手に自分でつくり外国を語る。そして口では「日台友好」を叫ぶ。滑稽さを伴うズレ方だ。

結局、留学生達がシンポジウムを企画しようとしたところ、台湾で学生の占拠は終わってしまった。その報告を聞きながら次の感想を述べた。

「日本人が外国人を語るとき、勝手に親近感や敵意を自分の脳裏につくって、現実とずれる事があります。あの右派の人々が典型です。私はあなた方の国の選択を、あなた方が幸せになることを祈りながら見守りたいです。干渉してはいけないでしょう。私たちの前の世代は、自分勝手な理屈で、中国を勝手に侵略して大変な迷惑をかけ、自分の国を滅ぼしました。愚かしい自国の歴史を日本人の大半は知り、反省しています」

そしてAKB48の前田敦子さんのセリフをもじって「変な日本人は嫌いになっても、日本を嫌いにならないでくださいね」と言った。「分かっていますよ、ありがとう」と、私の意見に好意的な返事をしてくれた。

平和憲法下の私的軍事顧問団「白団」

長い前置きになったが、日本と台湾、そして中国は、長く複雑な関係がある。一つのエピソードを紹介したい。日本の敗戦後、日本の陸海軍軍人の一部は、かつての敵である中華民国を助けた。その事実はあまり知られていない。

日本の敗北後に中華民国政府と中国共産党の間で国共内戦(1946-50年)が勃発。民国政府の敗北が濃厚になった48年から米国は台湾への援助を縮小する。そこで民国軍を支援したのは旧日本軍人だった。

終戦時に駐蒙軍司令官だった根本博中将は49年に本土を制圧した共産軍が台湾沖の金門島に侵攻した際に軍事顧問として現地指揮官に助言をして撃退に成功した。(これは日本側の記録しか筆者は読んでいないので、別の事実があるかもしれない。)

支那派遣軍総司令官だった岡村寧次大将のグループは、私的に軍事顧問団を結成。現地に1949年から69年まで断続的に100人ほどの旧陸海軍の将校を台湾に送った。現地責任者の富田直亮(なおすけ)少将が秘匿のために付けた中国名である「白鴻亮」から「白団」(パイダン)という隠語で呼ばれた。憲法9条の制約があるために、日本政府は表向き白団に支援をしなかったが、隠れて連携は保った。

また民国側も、その存在を秘匿した。日中戦争での中国軍人の死者は250万人、民間人は推計750万人と民国は終戦直後に発表している。(中共は3000万人と言っている。)日本人は他国に与えた被害を忘れがちだが、日中戦争が中国人にとっては侵略であり、戦争の惨禍を与えたことは、反省すべきだろう。そして日本は中国に負けた。満州事変以来の中国政策の失敗が泥沼の日中戦争を生み、それが一因となって外交の選択肢を失い、米英と衝突、太平洋戦争に突き進んでしまう。

打算と共感が敵国を結びつけた

0730-2-1日本軍人らは、かつての敵のためになぜ戦ったのか。蒋介石中華民国総統への感謝が一因という。「以徳報怨」(いとくほうえん:うらみに徳で向き合う)。これは蒋が日本の軍と政府に行った政策を表した言葉で『老子』の一節だ。

日本の敗戦後に中国人による暴力行為は一部であったものの、中国大陸にいた約200万人の軍民の日本人の大半は帰国できた。ソ連・中共軍が占領した旧満州、朝鮮北部では日本人の虐殺、暴行、略奪が頻発したことを考えれば、寛大な政策だった。

そして民国と日本の国交回復(1953年)の際にも、蒋は賠償請求をしなかった。蒋の態度に敗戦で疲弊した日本人は大変な感謝をした。

日本の軍人たちも蒋への感謝に加え、また個人の生活の糧を得る、専門の軍事知識を活かすなど、さまざまな目的で働いた。ジャーナリストの野嶋剛氏は白団を追った著書『ラストバタリオン-蒋介石と日本軍人たち』で、居心地の良さに「彼らは帰りたくなかったのではないか」と推測している。さらに1950年代は共産主義の脅威があった。白団の設立書は「赤魔からアジアを防衛する」という文章があり、血書だったという。今からは考えづらい使命感も、旧軍の軍人たちにあったのだろう。

ただこうした動きには批判も一部にあった。日中戦争で和平に尽力し、良識派の参謀として知られ、戦時中は中央部から外されてしまった堀場一雄陸軍大佐には、国民党幹部から直々に、招聘があった。しかし堀場氏は「他国の内戦に日本人がかかわるべきではない」と謝絶したという。それも適切な見識であろう。

もちろん蒋の態度は善意によるためだけではない。国共内戦での敗北後に日本との関係を保ちたいという計算もあった。しかし彼は日本軍の強さや、留学時に知った日本人全体の能力の高さに敬意を持っており、それが白団を作った理由という。

さらに蒋は軍の統制に苦しんだ。派閥争い、軍閥をなかなか解消できなかった。そのために台湾で軍を再編する際に、日本の軍人らに中立的な立場から監察をさせ、軍の近代化と自分の権限強化に使った。蒋は日本軍人らを信頼し、60年代に結局は実現しなかったが大陸反攻作戦の計画まで作らせ、富田少将に名誉上将(大将)の地位も遺贈した。

「失敗したアメリカの中国政策」(朝日新聞出版)という、米国の歴史家バーバラ・タックマンの興味深い本がある。第二次世界大戦中の連合軍の中国地域の総司令官、そして米国の軍事顧問であったジョー・スチルウェル大将の行動を追ったものだ。スチルウェルは純粋、優秀、正義感の強い典型的なアメリカ人だった。中国人に善意で戦争支援を続けるのだが、その非効率さ、アジア的混乱に直面し、悩み、怒り続ける。蒋を「ピーナッツ」と呼び、その政府をバカにした。ところが「中国人は面子(メンツ)を大切にし、それが行動を決める」(中国の作家魯迅)。それをつぶされた蒋は怒り、結局スチルウェルはルーズベルトに解任されてしまう。

ところが日本軍人たちは蒋に敬意を込め従った。蒋には大変使いやすい駒だったのだろう。敵同士が協力した不思議な軍事協力は、両者にメリットが多かったのだ。

緊張高まる東アジアに活かせる教訓

東アジア情勢は今再び、中国が覇権を追求することによって動揺を始めている。そしてフィリピン、ベトナム、台湾など中国の脅威に直面する国々は、日本との軍事面での協力に期待を示すメッセージを送っている。そして日本では集団的自衛権を認める法整備を試みようと政府が動く。筆者には、まだ政府の法と体制の整備が物足りないと思うのだが、それでも反対が凄まじい。現実の軍事上の脅威があるのに、「ケンポー」と騒ぐ人たちの頭が、筆者には理解できない。

そうした現実を前に、白団の経験はさまざまな思索の種を与える。かつての敵が、利害の一致するところでは軍事的に協力できる。そして日本の貴重な力である「人材」「ノウハウ」は、軍事面でも他国に貢献できる。別に、法律にこだわらなくても、多国間の安全保障の協力は可能だ。

しかし、その協力では、相手の気持ちとニーズを尊重しなければならない。最初に滑稽な日本の右派の姿を示したが、「独りよがりの外交論」は、他国の人々の迷惑になるだけだ。

日本が今の混迷する東アジアに向き合う際に、歴史は未来への洞察の材料を提供してくれる。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki
 

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