ラグビーは貴族のスポーツではありません

2015年07月06日 01:26

FootBall_Rugby_in_Japan_1874先月、FIFAスキャンダルに関連した記事(FIFA調査の瓢箪から飛び出したとんでもないコマ)をアップしたところ、熱烈なサッカー・ファンと思われる方から、ツイッターでコメントをいただきました。

私の「私個人としてはラグビーをやっていたものの常として、サッカーというスポーツ自体をいつもからかい半分の目で見てきましたが...」というくだりがお気に召さなかったらしく。「ラグビーが貴族階級のスポーツということをお忘れ無きよう。貴族階級の俯腐敗は周知の事実。明日は我が身と思われた方がいい。」との不吉なご託宣をいただいた次第です。

ご注告の意図するところは、ありがたく拝聴いたします。(もっともただのしがない一引退プレイヤーの身として、世界規模でのスポーツ運営に影響及ぼす力も術もございませんが。)しかしラグビーを「貴族階級のスポーツ」と思われているのはカンチガイですので、一筆啓上、説明させてください。

ラグビーがイングランドのラグビー校を「とりあえず」発祥の地としていることはみなさんご存知のことでしょう。ラグビー校の学生だったウィリアム・ウェッブ・エリス少年が1823年のある日、フットボール(サッカー)のゲーム中、ボールを手に持って走り出したのがその起源という「神話」が広く知れ渡っています。

しかし当時、サッカーとラグビーとにはっきりと分化する以前の「原始フットボール」においては、ボールを手にして走るという行為は明確にルールで禁止されていたことではありません。かつて原始フットボールは村対抗で開催されたお祭りであったという記録もあり、そうした「お祭りゲーム」は村の境界内全体を使って両チームが敵陣深くにあらかじめ決められたゴールに向かってボールを押し込むことを目的とし、その過程においてはボールを手に持って運ぶことが許されていただけでなく、相手チームのプレーヤーを蹴る殴るの暴行も許されていたようです。こうした原始フットボールの原型を今に伝えるものとしては、例えばこれをある程度競技化し、現在でもイタリアのフィレンツェでプレーされている「カルチョ・ストリコ(フィオレンティーノ)」に見ることができます。

エリス少年たちがラグビー校でプレーしていたのは、こうした庶民のスポーツ・お祭りであった原始フットボールを、少年の体育を目的としてある程度ルール化したものだったのでしょう。

おもしろいのは19世紀のイギリスの学校教育の場では、こうしたスポーツを早い段階から奨励したことです。大陸ヨーロッパの教育伝統では、フットボールのような球技やチーム・スポーツは下品な下々のやる「お遊び」で、青少年のためにはならないとされていました。結果としてドイツなどでは青少年の発育と情操教育を目的とした器械体操などが発達するわけです。

イギリスの教育者たち、たとえばそれこそラグビー校の校長として有名だったアーノルド博士などは、フットボールのような「ゲーム」を積極的に教育に取り入れました。その目的には、激しい運動をさせることによって思春期・第二次性徴期の少年たちの性欲エネルギーを減退させ、自慰行為や生徒間の同性愛を防ぐことも含まれていたようですが、後述するようにイギリス独自の教育哲学に基づくものでもありました。

「フットボール」を教育にとりいれたイギリスの学校には、学校それぞれ独自のルールを適用した独自の「フットボール」がありました。たとえば今でもイートン校ではイートン校独自ルールに基づいた「ウォールゲーム」というフットボールの亜種をプレーしています。もっともこの「ウォール・ゲーム」、たいてい試合は膠着状態に陥り、0-0の引き分けで終わるというゲームで、どう考えてもルールに欠陥があると思われるのですが、伝統を守るためのみにイートン校のみにてプレーされ続けています。

当初はあちこちの学校で、それぞれ独自のルールでプレーされていた「フットボール」でしたが、イートン校のウォール・ゲームのようなダメなルールは普及せず、結局ラグビー校のルールが取捨選択を経て支持を受け、結果として「ラグビー校のルール」による学校対抗フットボール試合が組まれるようになり、「ラグビー」が一般化していくことになるわけです。

このように「寄宿舎学校=パブリック・スクール」というイギリス独自の教育機関を基盤として発達したラグビーは、その後アマチュア・スポーツとして発展していきます。それに比して、のちにサッカーとなるフットボールはクラブ・チームを主体にして発展していき、そうしたクラブがプロ化していく過程でプロ・スポーツとなっていきます。

ちょっと脱線しますが、私立の寄宿舎学校をなぜ「パブリック」スクールと呼ぶのか。かつて教育は貴族や上流階級の一部にしか許されなかった特権でした。彼らはそれぞれの家庭で家庭教師を雇い、子弟に教育を受けさせていたのです。こうした「プライベート」の教育に対して、家庭教師を雇う余裕のない家庭の子弟を生徒として公(パブリック)に集め、集団で教育を受けさせる学校という意味で「パブリック」スクールとなったのです。たとえばイートン校で学んだアーサー・ウェルズリー、のちのウェリントン公爵の家はアイルランドの成り上がり貴族で、お父さんは音楽教師でした。

その真偽はともかく、「大英帝国はイギリス政府がうっかりしている間にうまれた」という言葉がありますが、パブリック・スクールは意図的に大英帝国を支える目的で1860年代に改革されています。大英帝国を担って立つ人材を育てるはずのパブリックスクールの教育環境が劣悪だという報告をうけ、1861年にクラレンドン王立委員会が発足し問題を調査・研究。結果としてパブリック・スクールの教育の質向上を目指してパブリック・スクール法が成立します(1868年)。この一連の改革運動のベースになった教育哲学は、プラトンの「リパブリック」に描かれていたスパルタの教育です。スパルタでは、子供達を幼い時期から両親のもとより引き離し、共同生活を送らさせ、個人や家族のためではなく、帰属する団体、階級、ひいては国家に奉仕する価値観をうえつけることが行われていました。このコンセプトがパブリック・スクールの基礎となり、 子供達は質素な寄宿舎における共同生活で粗食になじみ、古典を中心とした教育を受け、激しいチーム・スポーツに身をさらすことを強いられたわけです。「スパルタ教育」というと「巨人の星」の星一徹を思い起こすかもしれませんが、イギリスで導入されたスパルタ教育がイメージしたところは、テルモピュライの戦い(紀元前480年)にペルシャの大軍を相手に玉砕したレオニダス王麾下の300人のスパルタ兵だったわけです。

(ヘロドトス先生もびっくりのハリウッド版...)

こうして製造された学校給食しか知らないジェントルマン階級によって、まずいと言われる英国料理がうまれ、19世紀イギリス音楽の低迷が生み出され、イギリスのロマン派文学はバイロン以降不毛の時代を迎えるとともに、イギリスのエリート階級は現代によみがえったスパルタ兵として第一次世界大戦の塹壕戦で華と散っていったわけですが、それは余談。

しかしパブリック・スクールは決して貴族階級の独占物ではありませんでした。もちろん学者たちの地位向上によって家庭教師の手配が困難になった貴族たちの子弟もパブリック・スクールに学ぶようになりますが、主にパブリック・スクールに子弟を送り込む親たちは中流階級の人々だったのです。パブリック・スクールは上昇志向が強く、それと同時に労働者階級との差別意識が強い、イギリス中流階級にとっての登竜門でした。

パブリック・スクールで親しんだラグビーを卒業後も趣味としてプレーしたジェントルマンたちは、自分たちを労働者階級と差別化することに敏感でした。これがサッカーとことなり、アマチュア・スポーツとしてラグビーが発達していった原因になっています。19世紀の終わりにイングランド北部工業地帯のラグビー・クラブがプロ化を図ろうとした際、イングランド南部のラグビー・クラブは余暇のスポーツで収入を得るのはジェントルマンとして許されないというスタンスをとったため、プロ・スポーツとしてラグビー・リーグが派生し、いまでもラグビー・ユニオンとは異なったスポーツとしてプレーされています。

また以前にも言及しましたが、ラグビー・クラブがイングランドにおいて大量に発足したのは1920年代のことでして、これは当時ジェネラル・ストライキなどを引き起こして盛んだった労働運動に対抗したパブリック・スクール出身者たち、つまりホワイト・カラーの反動だった側面があります。

ラグビーが中流、ホワイト・カラーのスポーツだったとしたら、じゃあ貴族はなにをやっていたかといいますと、中流階級の人々が労働者階級との差別化に励むように、貴族も中流・ホワイトカラーとの差別化に余念がないわけで、彼らはホワイト・カラーができないことをしていたわけです。たとえば生活のための仕事せねばならない、つまり休暇がそうとれない彼らとの差を強調するようなアフリカ・サファリにでかけてライオンやら象を撃ったり、スイスに行ってアルプス登山に励んだり、ヨットを乗り回してアメリカの富豪と競ったり、キツネ狩りやらキジ撃ちといったような典型的有閑人のようなことをしていました。

以上、ラグビーがなぜ貴族のスポーツでないか、寄り道しながら説明させていただきましたが、これはイングランドに限ってのことですとお断りしておきます。お隣のウェールズではラグビーは労働者階級のなかでも比較的高給取りであった炭鉱夫たちの週末の余暇として普及し、結果として国民的スポーツとなります。特定の階級のスポーツであったイングランドのラグビーに比して、全国民の支持を受けていたウェールズのラグビーは1970年代に黄金期を迎えます。スコットランドでは、工業化によって都市部(特にグラスゴー周辺)に集中した人口はサッカー狂。ラグビーはボーダーと呼ばれるイングランドとの国境地帯の農民の間でしか盛んにならず、したがって現在に至るまでプレーヤー人口の伸び悩みに苦しんでいます。アイルランドでは大学のスポーツとして普及したラグビーですが、1995年のラグビーのプロ化に際して各地方の代表チームを頂点とした全国規模(イギリス領である北アイルランド/ウルスター州も含め)でのディベロップメント・プログラムの再編に成功し、強豪国の一角を占めるようになりました。その他、フランスやオーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチンなどなど、ラグビーはそれぞれの国で独自の歴史を経ながら発展して行っています。

現在、発展途上の日本代表チームですが、上記の強豪国の一角を占めるべく戦いは厳しく、最近弱冠32歳で日本ラグビー協会の理事に就任された岩淵健輔代表チーム・ジェネラル・マネジャーがその苦労を記事にされていますので、こちらに紹介しておきます。

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