報道の自由を考える

2015年07月10日 10:00

自民党の若手議員の会での報道に対する発言が波紋を呼びました。「広告収入が無くなればよい」と発言した議員の思考回路はあまりにも単純すぎます。それではNHKは自民党にとって嬉しい存在でしょうか?

報道の自由を奪った瞬間に洗脳による国民意識の誘導が可能となります。例えば戦時中の日本は大本営のいい加減な報道を信じ、国民は戦争が有利に展開している、あるいはそこまで悪化しているとは思いもしませんでした。戦後、ロシアに抑留されていた人々は帰国した際に人が変わったようになっているケースがあったと言われています。いわゆる赤化し、グループ教育を受けた影響です。外部のニュースはほとんどない極寒のシベリアでソ連の監視下、日本人教育係が共産思想を時間をかけて埋め込んでいったのです。

オウム真理教はどうだったでしょうか?あの事件の背景は麻原彰晃を中心とする絶対思想が背景です。中国でもそうでしょう。共産党という一党が思想のブレを国民に許さないことをその基本としています。

日本では江戸時代を通じて武士から農民まで勤勉に学問に励みました。その中で国を二分する議論となった良い例が幕末の尊王攘夷に対する思想と思想の戦いでありました。坂本龍馬はもともとは攘夷派だったものの幕府側の役人だった勝海舟から開国の意味を教えられ改心したともされます。

思想や信念は新たなる情報や議論、論戦、勉学を通じてより深まり、その考えは変わるものであります。頑固な人と出くわすとどう説得するか悩むかと思いますが、頑固ほど自分の思想に凝り固まっているため、論戦で論理的攻勢にさらされるともろく崩れやすくなるともいえます。

近所の人がゴミ出しを違う日にして苦情を言うとゴミ出しをした人は自分なりの理由を言うはずです。が、最後は論理に勝てないため、大きな声をあげ、怒鳴り、罵倒したりするいわゆる力の攻撃を加え、自分の行動を守ろうとします。言い換えると相手のいうことを素直に聞き入れ、思想を変える勇気がないともいえるのです。

私はここカナダでいわゆる慰安婦像問題に取り組んでいます。そしてその対立軸は対韓国というよりむしろ、同じ日本人の違う思想家集団であります。その主張とは「過去日本がしてきたことを素直に認め、慰安婦の像を通じて世界平和を実現すべき」とし我々に対して「勉強が足りない」と主張してきました。勉強が足りないというのは実に失礼な話であります。過去の事実関係が研究者たちによって次々と明らかにされ、何が本当なのか、ベールが剥がされているその事実を見ようとせず、過去の一点に固執したこの主義主張にあきれ返っています。

私が秘書時代、会長がある影響力のある経済雑誌の編集長に大変な気の遣い方をしていました。その編集長は記事ネタを正面からでも裏側からでも書く能力を持っていたために機嫌を損ねないよう上げ膳据え膳にする必要があったのです。会長がつぶやいた一言は忘れられません。「ペンは剣なり」。ちなみにあのエリート校、開成中学の校章は「ペンは剣よりも強し」であります。マスコミを抑えるという発想はその頃学んだのですが、もとをただせば会社の顔が表と裏で違って見えることにも原因があるし、そんなたかりのような雑誌の存在はもっと悪であったと今は思っています。

自民党の勉強会がマスコミの使い方を分かっていなかったことは残念なことです。事件や事象に対して100様の意見が出るのは当たり前で読み手はそれを評価し、自分の考えを持つことに意味があります。自己目的実現のため、競合相手を論破できず頭ごなしに抑えつけようとするのは上述のゴミ出しルールを守らない人の思考回路と同じレベルであります。

ネットやSNSで膨大な情報を得られる時代にあるからこそ、見方、感じ方は様々あってよいと思います。そしてそこで相手に頷いてもらえるような説得力を持たせることが最重要な戦略でありましょう。逆に報道機関は自社のニュースに対して読み手がどう考えるのか、第三者機関が可視化できる仕組みを作り上げるべきでしょう。当然ながら程度の低いニュースソースは淘汰されることになります。なぜならばメディアは広告宣伝で成り立っているからだ、という反論を私は自民党の若手勉強会にぶっつけてみたいところであります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 7月10日付より

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