知られざる歴史、インドネシア独立を支えた日本軍

2015年07月23日 00:09

インドネシアと日本の軍事協力

e858c0bbc7f83ebaf244dc5951f8bfa8東京・市ヶ谷の防衛省構内にインドネシア独立戦争の英雄で初代軍司令官のスディルマン将軍(1916-1950)の像が置かれている。知られていないが、軍人の勇気と希望が現れ、なかなかよい像だ。2010年1月にインドネシア国防省から贈呈された。見学を希望すれば見ることができる。

贈呈当時は民主党の鳩山由紀夫政権だ。外交音痴でアジアへの萎縮外交を展開した。そのために政府が積極的に広報しなかった。日本の歴史上、有数のダメ首相の時の出来事であったのは残念だ。安倍政権の官邸外交チーム(外務省は疑問だが…)の能力は高い。安倍政権だったら、この出来事を軸に日本とインドネシアの友好キャンペーンを展開したと思われるのが、惜しい。

市ヶ谷は旧日本陸軍の士官学校、そして戦時中は陸軍省・参謀本部があり、戦後は「日本がアジア諸国を侵略した」と断罪した東京裁判の法廷のあった場所だ。そこに感謝と友好の印として像がある。私はインドネシア政府が「東京裁判など、アジア諸国にとってはどうでもいい」と、暗に示してくれたように思える。この銅像、そしてインドネシアと日本の軍事協力の歴史は、太平洋戦争の別の側面「アジア解放」という面も示してくれる。

消されてしまった「アジア解放」の理念

今年は「戦後70年」という節目の年であると同時に、アジア・アフリカ会議(A・A会議)の開催60周年だ。当時のインドネシアのスカルノ大統領などの提唱で1955年に同国バンドンで行われ、ここで西欧列強に虐げられた諸国が「平和的な発展」、「民族自決権などの外交原則」を確認した。安倍首相は今年4月にバンドンで開催された記念会議に出席し、その取り組みを称える演説を行った。この演説も、練られ、とてもよいものだった。(安倍首相スピーチ

そして安倍首相は、インドネシアに貢献した人々が眠るカリパタ英雄墓地を墓参した。これらの行為は大平洋戦争と深く関わっている。

o0520026811128032498日本は太平洋戦争中の昭和18年(1943年)にアジア諸国の首脳を集め「大東亜会議」を開催。当時アジアの大半は欧米列強の植民地だったが、独立と民族自決を強調し、その実現を大東亜戦争(戦時中の戦争の正式呼称)の目的とした。当時のアジアは、欧米列強に植民地化され、収奪と支配の対象だった。(写真は大東亜会議、中央が東条英機)

外交官として会議の開催に中心的役割を果たした加瀬俊一氏(のち初代国連大使)は、戦後にA・A会議に出席した。その時に日本は批判を集めるかと、身構えたという。ところが、「大東亜会議が民族自決、人種差別撤廃の先駆となった」と、各国代表から歓迎され、感動したと回顧している。

またカリパタ英雄墓地には、支配国オランダへの独立戦争(1945-49年)の10万人とされる戦死者の一部が埋葬されている。日本兵はこの戦争に約2000人が参戦し、戦闘などで約1000人が亡くなった。(参戦数百人の異説あり。戦後の混乱により、文献により違う)

142988844080050165179安倍首相はインドネシア、日本の戦没者に献花した。首相は政治的波紋を恐れたのか、明確に言及しなかったが、2つの歴史的事実と今の日本のつながりを行動で示したのだろう。

太平洋戦争でオランダ軍を駆逐した日本は、インドネシア人による郷土防衛義勇軍(PETA)をつくり、日本軍の支援と将来的には独立軍の中核にするための教育を行った。この組織が独立戦争を担った。前述のスディルマン将軍もPETAのリーダーだった。日本軍は、武装解除を整然と行ったが、PETAのために軍事物資を隠匿・横流しした。アジア独立に共鳴する日本人兵士は多かったのだ。

img_0加瀬大使の子息の加瀬英明氏は外交評論家として活躍中だ。加瀬氏は独立戦争に参加した日本兵を描く映画『ムルデカ 17805』(01年公開)の製作委員会の代表になった。「ムルデカ」とは独立という意味だ。そしてスカルノ大統領が45年8月17日に独立宣言文で日本の「皇紀2605年」を使い、日付を「17805」と書いたことが、タイトルの由来だ。スカルノは、日本の貢献を評価し、わざわざ皇紀を使ったという。

映画「ムルデカ」の撮影はインドネシア軍と政府の全面協力で行われた。200名の兵士が参加し兵器の貸し出しが許され、火薬の使用が許されるなど厚遇された。インドネシア人は日本の支援に感謝していたという。

加瀬氏がこの映画製作に情熱をかけたのには理由がある。「日本は大東亜戦争で、自存自衛、アジアの独立、人種差別の撤廃という大義のために戦った。消されたこの事実を、多くの人に知らせたかった」。

太平洋戦争での日本の行動の受け止め方は、日本とアジアの人々それぞれで異なり、批判もあるだろう。しかし日本が欧米の支配を打ち破ったことで、大戦後にアジア諸民族が覚醒し独立したことは、評価するべき事実だ。

余談ながら、福島みずほ現参議院議員をはじめとするおかしな弁護士グループが、インドネシアで従軍慰安婦や強制連行の「被害者」を募集するというとんでもないことを1980年代に行った。もともと反日感情のないインドネシアで、またその事実も確認されてないのに、作りだして韓国と同じように大問題を起こそうとした。(池田信夫氏記事)こういう行為をする福島氏が、国会議員という公職に就けるのは、日本社会に気味悪い面があることを示す。

もちろん筆者は「大日本帝国が正義の味方であった」と単純な意見を強調するわけではない。石油、鉱物資源の豊かなインドネシアを日本は太平洋戦争中には直接統治を続けることをもくろみ、大東亜会議時点で代表派遣を認めなかった。そうしたご都合主義の面はあった。

レッテル貼りから脱し、歴史の冷静な分析が必要

英国の歴史家E・H・カーの歴史へのアプローチへの思索をまとめたエッセイ「歴史とは何か」(岩波新書)に有名な一節がある。

「歴史とは未来と現代と過去の対話であって、現代の視点から過去を断罪するものではないし、過去の事実のみを語るものでもない。人類の未来にとって、何が良いのかということを常に意識したものでなければならない」

日本とインドネシアの関係で分かるとおり、歴史はあざなえる縄のように、さまざまな事実が入り交じりながらつくられていく。その評価において、簡単に答えが出せるものではない。カーの意見の通り、私たちは正負双方の歴史事実を可能な限り客観的に正確に並べ、思索の上で咀嚼(そしゃく)し、未来の糧にすることが、適切な向き合い方だ。

残念ながら、日本では「悪い日本」「侵略」などと、過去の日本にレッテルを貼り、断罪する言説が多すぎた。歴史を政治主張の便利な道具にする例も目立った。それは今でも残る。日本の政治の場においても、学校教育においても、歴史学会においても、メディアの論考においても、社会の風潮においてもそうだった。自分の勝手な史観(ここでは歴史はこうだという決めつけの意味で、史観という言葉を使う)を、他人に押しつけることが多すぎた。日本の否定から出発したいわゆる「戦後民主主義」のためだろうか。

その反動として「正しい戦争」という反論の声も大きかった。また伝えるべき事実は消されてしまった。インドネシア独立を日本人が助けたという重要な歴史は、伝えられなかった事実の好例だ。とても残念なことだ。それぞれの人が「悪い戦争」などというレッテル張りを行ったり、史観を押し付け合ったりするのは、真摯な思索を止めてしまうばかばかしい営みだと筆者は思う。

戦後70年談話に思う

もちろん国の立場では、戦争が大日本帝国の名で行われた以上、個人と事情が多少違う。そして今、安倍首相が行おうとしている「戦後70年談話」が政治的な争点になっている。

筆者は、死者への慰霊と過去の行為への痛切な反省をした「村山談話(戦後50周年の終戦記念日にあたって)」が、日本国民の最大公約数的な意見を表したものとして、尊重すべき見解と思う。ただしこの談話では「植民地支配と侵略」という言葉が、印象に残る形で言及されていることは残念だ。その点を修正してもよいだろう。

ただし繰り返すが、歴史は複雑すぎて正義とか悪とか、簡単に答えはでない。それなのに一つの談話にまとめると、批判が広がり政治と外交が混乱してしまう。7月末時点では、重要度の増す閣議決定ではなく、8月15日に表明する安倍首相の個人見解にするという意見が政権内にあるそうだ。それは妥当と筆者は思う。軽い扱いで、淡々と済ませることを期待したい。

日本とインドネシアの関係史を見返せば、日本が独立を助けた誇るべき事実も、福島みずほ氏とおかしな弁護士たちのような恥ずかしく滑稽な雑音も、共に存在している。歴史は単純に割り切れるものではない。もう第二次世界大戦の終結から70年も経過した。太平洋戦争も政治の争点ではなく、歴史として冷静に受け止める、つまり未来のための糧とする時期が来ていると、筆者は考える。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

参考文献・「大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」加瀬英明・ベスト新書

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