それはアカンで日経はん --- 山城 良雄

日本経済新聞が英国の新聞社フィナンシャルタイムズ(以下FTと言うで)社を日本円で、1600億円で買収したらしい。ここアゴラでもこのニュースは、わりと好評で迎えられておるようやな。

国内外の他メディアの注目は、「高額買収がはたして引き合うのか」という一点に集中している。そやけど、その前に考えることがあるやろと、今回ワシはあえてつっこみたい。

ここで、クイズを一つ。日経共栄会とは何の団体か知っとるか。窓際経済記者クラブ、記者OBの温泉旅行会、販売店と怖ーいお兄さんたちとの連絡会、日経直営のパチンコ屋の景品交換所……妄想は膨らむが、名前だけではまるで想像がつかんやろ。正解は、日本経済新聞社の、事実上かつ形式的な筆頭株主団体や。

「事実上」と「形式的」とは矛盾する表現やとも思うが、こうとしか書きようが無い不思議な存在や。まず、「事実上」という点。日経の株式に関する重要なことは、全てここが仕切っている。株主なりたい社員(社員以外はダメらしい)は、ここから一株100円で買って、毎年、数%の配当をもらい、退社するときに100円で返すというケッタイな「共栄会ルール」【ネットIBの記事より】があるからや。

一方、「形式的」と言うのは、これだけの力のある株主でありながら、共栄会は過去に一度も、経営陣にモノを申したことがない。はっきり言えば、共栄会自体が会社の意向(現経営陣の意向)で動いているようにも見える。つまり、日経には株主によるガバナンスは存在せんということになる。

会社法やら株主権について詳しいひとなら、「こんなイカサマ株式会社があっていいのか」と、あきれるかも知れんが、日本には「日刊新聞紙法」という特殊な法律があって、こういう「極端に株主統治が利かない株式会社」が、新聞社に限り合法的に存在できる。

会社法やら税法やらを駆使して、こうした資本主義の異端児にケンカを売った裁判例もあるが、どうやら司法も新聞社の特別扱いを容認しているように思う。日経ほど極端ではないが、朝毎読産にも多かれ少なかれ株主をしばるルールがあり、これにはプラス面とマイナス面がある。

ホリエモン騒動のころ、某全国紙の社長経験者が、「一般企業が新聞社の支配株主になったら、その新聞の信頼性が大幅に失われる。たとえば、ライブドアに買収された新聞社が、どんなに綿密な独自取材をしようが『ライブドア擁護』の論陣を張った記事は信用されなくなる。」と言うてはったことを思い出す。なるほどなとも思った。

社会の中でメディア企業の存在がある程度以上大きくなると、何かを言えば「ポジショントーク」と見なされることが多くなってくる。サッカーで言えば、ボールを蹴りながら笛を吹いているようなもんや。慢性的に公平性に疑問をもたれる。

現状の、社員の持株団体や系列の公益法人なんかが大株主になることで、新聞社のポジションを抽象化するというやり方は、ある意味で仕方ない。だいたい、営利だけを目的に今の大新聞社の経営をしたら、各紙とも即座に新聞発行をやめて不動産経営に専念するのが正解かも知れん。これは、さすがにまずいがな。

ただし、従軍慰安婦問題で歴代経営陣が誤報を放置し(と見られても仕方ないやろ)、あとになって下手な訂正をして、世界中の人に(まっとうな元慰安婦たちを含む)に迷惑をかけた某紙(おい!)の問題なども、株主ガバナンスの抽象化(というより不在)がもたらした、という面は否定できんと思う。

ちなみに、こういうやり方は日本の新聞社だけやない。ニューヨークタイムズ社でも、同じような方向制の株式ルールが、アメリカの法律の範囲内ではあるが一応は機能している。

さて、こういう資本主義の番外地に立つ日本経済新聞社が、ドライな企業買収で他の新聞社を支配下に入れてええのか、というのがワシの今回の疑問や。考えてみれば、今回のFT買収劇で、共栄会代表は日経のガバナンスを代表して、真っ先にコメントを出すべき立場のはずが、沈黙どころか、その存在さえ知られておらん。隠蔽されてさえいるように見える。

以前、「毎日を朝日が買収する」という、なんの根拠もないヨタ話(社名はMainichi&Aasahiで「M&A新聞」がええやろ)が流れたとき、業界人はだれも本気にしなかった。考えてみれば、社風も論調もやってること(たとえば高校野球)も似ているし、単純に経営だけ考えたら、まんざら悪い縁談でもなかったように思うが、真面目に考慮しているやつ、どこにもおらんかった。

つまりそれだけ、新聞経営の独立性は大事にされとるわけや。ハッキリ言わしてもらおう。日経はん。あんたが他紙を買収するのはルール違反や。自分とこの株主と揉めたとき、「株主の権利を制限するルールがあることの重要性」を主張したアンタらが、何の説明もなく、むき出しの資本主義に走る。有り得ん話やろ。

今回の買収目的で、日経の国内のブランドイメージの向上とやらが、やたらに問題になっておるが、むしろ心配すべきは、今後の英国内でのFTの評価や。言いにくい話やが、東洋人に対するネガティブな偏見がいまだに強いブチキレ国家イギリスで、日本企業の傘下に入った新聞社がどういう目で見られるか、前例がないだけに不安や。

考えてみてくれ。もし仮に中国系の大資本が日経を買収したとしたら、日本国内でのブランド価値はどうなるか。差別と言われるかも知れんが、中国人の経営者がどういう形で編集にかかわって行くのか日本の読者には未知数やから、当然警戒される。

「これから中国語版の日経を発行するから、中国人読者のために、合弁事業など日中関係の取材を重点的にやってくれ」という、経営陣からの妥当で穏当な要求でさえ、編集方針に微妙な影響を与え、「おい、最近の日経は変やで」という議論が、根拠のあるなしを問わずに上がりはじめる。そして、その評価が定着する。

現実のFTの問題に戻る。最初に影響が出てきそうなのが、「アベノミクス万歳」でヤケクソ型リフレ論(仕方ないと言えば仕方ないけど)の日経と、アメリカに追随して利上げのひとつもして、場合によってはEUから離れて静かにやっていきたいイギリス経済との折り合いの話や。

まあ、買ってしまったもんは仕方ない。「最近のFTは変だな。きっとジャップが……」と言わせないだけの説得力のある紙面と、FT読者に対する日経からの経営方針の説明が必要になる。そのときに、「日刊新聞紙法」に乗っかった日本式の習慣が、すんなり理解してもらえるか、こころもとない話や。

この部分で失敗すると、きっと1600億円は本当に高い買い物になる。「せめて、オリンピック用に国立競技場(日経スタジアム)でも建てておいた方がマシやった」、ということになりかねん。

今日はこれぐらいに、しといたるわ。

山城 良雄 より暑中見舞い申し上げます